9歳 額当てC
なんかよくわかんない理由でカカシと仲良くなった。
「謝罪って、それはおかしくないですか?だって暗部の任務だったんですよね?それなら……それならしょうがないことだし……確かに少し怖かったけど、わざわざ謝罪するようなことでは……」
「んー、まあいいでしょ。なんかしてやるって言ってんだから」
「よくないですよ。わたしだってわかってます、暗部の仕事の大切さは……なのに……まさか本当は任務も嫌疑もなかったとかじゃないですよね?」
「……」
「え?」
「話せる範囲で」と前置きしたカカシによると、カカシがわたしに探りを入れてきたのは確かに正規の任務の一環だったが、既に容疑者から外れたのに勝手に独断で調べていたらしい。つまり本当に職権乱用だったということだ。
上層部に怪しまれてなくて物凄くほっとした──とはいかない。なんでカカシわたしのこと疑ってるの。
「えっ怖い〜…」
「ま、もう容疑はないから」
「怖いんですけど……」
――というわけで、頼み事を考えながらなりゆきでカカシと市場に鶏肉を買いに来ている。
“とある任務”の内容が柱間細胞強奪未遂の犯人捜しであることは明白だし、もう疑いが晴れたとはいえすぐ横に暗部がいるのは心中穏やかとはいかない。かといって激しく拒絶するのも変だ。
暗部時代のカカシは好き好んで他人に接触したり、”謝罪”程度でわざわざ声をかけてくるイメージがなかったからこの振る舞いはとても不自然に思える。でも、そもそもカカシのイメージなんてわたしが勝手に作り上げたものだから、現物を前にした今となっては一つの仮説だ。観察結果が全てを決める――今必要なのは帰納的推論である。
生憎向こうは気楽に接してくれているし、この機会にカカシとお知り合いになりたい。断じて、口布に隠れたその横顔に見とれているわけではない。
「ケンタッキー・フライド・チキンは、部位によってパサパサなところとジューシーなところがあって、わたしはサイっていう部位が好きなんだけどそこだけ買うのはお金がもったいないし、結局むね肉とか手羽とかのカットされた安いやつを買うことになりそうなんです」
「それじゃダメなの?」
「ダメなんですよー。ケンタッキーの大事なポイントは大きさです!拳大のお肉をかぶりつくサイズ感がジャンキーな満足度を高めるんです!」
「けんたっきーって市販品なの?」
「はい、昔お祭りのとき屋台で売ってて……」
「ふうん」
鶏肉一羽丸ごと吊るされていたので買おうか悩んでいたら、「そんな大きいの買うの?」とカカシが言った。
「覚えてない料理を作ろうとしてんでしょ。たくさん作って失敗したらどうするの」
「ああ……」
「思い出すまでは……ほら、あの辺のにしたら」
調味料合せると確かに相当予算オーバーだ。結局、カカシが指さしていた普通のモモ肉を400g買った。
「たぶんあれは雷の国名物……あ、米の国かも!星が散りばめられた赤と青のマークが特徴的でした」
「コメの国なんてないよ。雷の国は揚げ物が国民食だと聞いたことがある……草の国なら、雷とは海を通じた貿易が盛んだし香辛料を輸入しているのかもしれない。広い草原を活かした養鶏農家も多いと聞く」
「へー」
「独特な香辛料は雷の国沿岸部と海の向こうから渡ってきた小さな島国から持ち込まれたものだ。もう滅亡したが渦の国もその一つで、料理に辛みの強い香辛料が使われるらしい」
「そうなんですか……色々知ってるんですね」
「職業柄、いろんな国に行くから」
カカシは色々と話してくれた。でも生の鶏肉を早く冷蔵庫に入れなければいけないし、今日はこのまま直帰したい。
「あの、謝罪の件ですけど本当に大丈夫です。任務じゃないのはびっくりしましたが、特にお願いしたいこともないので……」
わたしは家にまで着いてこられたくなくてそう言った。ユキやスグリに暗部を会わせたくない。
「ああそう?――じゃ、手裏剣見てあげようか」
「えっ?」
驚いて目を見開いた。
カカシは立ち止まって、一度明後日の方を見て決まり悪そうに後頭部をかいた。
「だからあのこと上に報告しないでもらえる?実は暗部の職権乱用ってわりと問題になってるんですよ」
「ええ……」
カカシは気だるげな表情とは裏腹に片手で「お願い」のポーズを取っている。他人行儀さが新鮮だ。
本当に手裏剣を見て貰えるなら願ってもないことだ。カカシは第三次忍界大戦で数多くの功績をあげ、最年少で暗部入りした天才ということで里でも有数の忍。弟子入り志願者も数多くいて、皆断られているという噂だ。
「本当にいいんですか?あのカカシさん直々に教えてもらえるなんて……勿論願ってもないことです」
「いいよ。君、手裏剣ダメダメだったし……隻眼の立ち回りも、オレなら教えやすいでしょ」
「あっ!そっか、確かに」
「そうそう」
「え、じゃあ……お願いしてもいいですか?勿論、上に報告はしません!」
「助かるよ」
どうしよう。こんな最高なことがあっていいのか……?彼は暗部だけどもう嫌疑は解けたって言ってるし……カカシに指導して欲しすぎる。わたしはダッシュで家まで帰ろうとして、ああ、ここから遠いんだったと気づいて「すぐ戻ります」と言った。カカシは待て待てと手を上げてそれを制した。
「今日の夕方、前の演習林に来れる?」
「行けます!」
「じゃあそこで」
「ありがとうございます……!」
感激して頭を下げる。彼は「ん」と言って踵を返し、いなくなった。
▼
「ユキちゃん、今日五時ごろ約束があって手裏剣術教えてもらうことになったから夕飯後で食べるね」
「えー、もっと早く言いなさいよ」
「だってさっき決まったんだもん……」
帰宅して伝えるとユキは不機嫌そうな声で洗濯物を箪笥にしまった。最近の東雲家ではユキをちゃん付けするブームが流れているので、「ユキちゃん」呼びだ。このブームには正直助かっている。わたしの母親はただ一人元の世界のお母さんだけなので、彼女を”おかあさん”と呼ぶのが少し嫌だった。
「何か作るの?」
わたしが台所に立つと、ユキは不安そうにキッチンを覗いた。
「ちょっとねー買物してきた!冷蔵庫の中身は勝手に使わないから大丈夫」
「え〜っ、怪我しない?包丁は危ないんだよ?」
ノンノン、大丈夫ですよ。こちとら下忍ぞ?刃物はユキよりも扱いなれている。
しかし少し背丈がたりない。私は小さい椅子を持ってきた。これはまだ一歳のころテーブルでものを食べるとき使っていた椅子で、最近は足場代わりになっている。
テーブルの上に買ってきた鶏肉と香辛料を山積みすると、「ちょっと!サエちゃんもしかして」と本格的に慌てる声が聞こえる。こっちに来る足音。
「まさか揚げ物?!いや〜〜〜っダメだよーダメ!絶対ダメだからね」
「大丈夫ーっ!ちゃんとやり方も調べたし、油を固める粉も買ってきたし!」
「だーめ、一緒に揚げます」
ユキはもう”料理を手伝う”と決め込んでしまったらしく、もうしょうがないんだからぁ〜〜と言いながら大慌てでバタバタ洗濯物を片付ける。「わたしが戻るまで絶対に揚げ始めないように!!」と遠くで強めの声が聞こえて、「わかってるー!」と叫び返した。
――わたしに話を聞きに来たのがカカシだったってことは、あのとき刃を振り下ろしたのもカカシだったのかもしれない。部屋は暗かったし、パニック状態だったし、お面の模様もあまり覚えていなかったけど、白っぽい銀髪と背中の帯刀……考えてみれば丁度カカシは今暗部にいるんだから、連想してもおかしくなかった。
あの日我々の姿を写輪眼で見られていたとしたら――どうだろう、何かまずいことは起きるかな?見落としていないことはないか?写輪眼は忍術そのものの構造を看破できる一方で、チャクラの個別感知や正確に点穴を見破るほど敏感な識別性能は持っていない。熟練した忍なら人の気配を嗅ぎ分けることができるが、基本的な性能としてチャクラの固有識別が可能な白眼とは違うのだ。だから、あのとき左眼を斬った人物のチャクラとわたしのチャクラを同定したり、コゼツがチャクラを練れないことは分からないはず――。
そんな考えを巡らせながら、買ってきた香辛料を適当に混ぜてオリジナルチキンバッターを作った。
「鶏肉に下味はつけないの?――あらま、なぁにこの大量の調味料!」
「独特な衣を作ってみたくて……」
「やだ、またこんなに買っちゃって……なんだかんだ言ってもまだ子どもね〜」
ユキは小さな小瓶がお店のように並んだテーブルを見て呆れている。「ねえサエちゃん」といって嬉しそうに笑うので、「だって」と口を尖らせた。
大人だろうが子どもだろうが、給料の使い道に苦言を呈される覚えはない……。
その後、バッター液の配分を変えながら揚げて、変えて揚げて食べてを繰り返して唐揚げを10種類作りその日の試作会は終了した。最終的にケンタッキーには似ても似つかないブツが完成したがユキは初めて食べる味の唐揚げに感動し、その日の夕食でコゼツとスグリに出したいと言って試作ナンバー5と7を多めに揚げた。
購入できた香辛料がネットで公開されている予測レシピに載っているものより五種類少なかったので、どんなに頑張っても再現できない状態だったのだがネット圏外ワールドに住み続ける彼女は知る由もない。不服だ。もう一度市場に行って香辛料集めをしつつ、必ずケンタッキー、いやファミチキでもいいから完成させてやる!――なお、ファミチキはファミチキであの肉汁がじゅわーっと出てくる柔らかいチキンにするのが難しい。企業努力の方向性が違うのだ。
カカシに接触された件はω-11(オメガイレブン)がコゼツに報告していたらしく、アカデミーから帰宅するな否や「カカシって誰だっけ?」と詰め寄られた。そういえばコゼツには『あの夜を回避しよう作戦会議』のときに軽くしかカカシの話をしていなかった。わたしは自室で”はたけカカシ”という忍、その半生をかいつまんで語って聞かせた。
「ボクらそんな強い奴と鉢合わせたのかーっ!絶対まずいでしょ、いくら疑いが晴れたからってあんまり長時間一緒に居たら……」
「わかってる、わかってる!でもカカシってほんとに強いんだよ〜!常時片目隠してるから隻眼の戦い方も知ってるし、写輪眼でいろんな技コピーしてるからきっとわたしみたいな凡人下忍のこともいい感じに指導してくれそうだしぃー……」
下の階からユキが「ご飯!!!」と叫んでいるのが聞こえる。
17時前でも窓から見える空はまだ明るく、僅かに西の空が黄色い。わたしは風遠しのために開けていた窓を閉めた。
「カカシは確かに里に忠誠を誓っている暗部だよ。でもナルト、サスケ、サクラっていう今後のキーパーソンの上忍師として今後活躍するし、凄く良い人だから大丈夫だよ!」
「一度、重要そうなヤツの話を全員分聞いておいた方がいいな〜」
「長くなるよ〜〜大体単行本70巻分くらいにはなる」
週刊連載15年分の物語の情報量だからね。
「だっていざってときにサエしか知らないヤツが出てきたら困るだろ。今みたいに……で、大丈夫なの?ボクも行く?」
「んー、ちょっっっと心配だから今回はいいや。なんかあったらすぐオメガイレブンに報告してもらう」
「任せて〜!」
「オーケー」
ω-11は、今までずっとわたしと同行していたコゼツ別個体ガンマの代わりにそのポストについた新人だ。日向ヒザシの件で死体を作る実験中に生まれたオメガシリーズのうちの一体だが、ω-11を実験に使う前に作戦を始めた為暫く遊ばせていた個体である。やっと仕事が回ってきたということでやる気を出しているらしく、コゼツ曰く「報告に無駄が多くてうるさい」らしい。
「“中”に入れてくかい?」
「いいよ。カカシの前じゃ土に潜るのに時間がかかりすぎる」
「じゃあ監視してまーす」
ω-11が床に消えた。スグリが帰ってくる音が聞こえる。
ユキはご飯を食べるときにスグリが着席する前に子どもたちに着席させたがるので、ここで会話を打ち切って下に降りた。コゼツは「捕まるなよ〜」と言って、ホウレン草を絞るために腕まくりしながらキッチンに入っていった。
「ただいまー…お?」
「スグリおかえり!ちょっと今から出かけるから!」
「今からか?もう暗いぞ」
「凄い人に手裏剣教わってくるの!だから今日は夕飯後で食べるね……!変なことはしないから!!」
変なことはしない、を慌てて語尾に付け足した。普段のほほんとしている人が心配そうな顔をすると心が痛む。全身火傷の二か月後に片目を失った9歳の娘――親じゃなくても心配する。
「気を付けて帰ってくるんだぞ。……あのなサエ、」
スグリが片膝をついてわたしの両肩に手を置いた。
珍しいことをしている。スグリは、垂れ長の瞳をぎこちなく動かして、両肩に置いた手も所在なく動かした後、ぎゅっと身体を抱きしめた。
「本当はお母さんもオレも凄く心配してるから。お前が死んじゃったらほんとに悲しい。おまえの大好きなお姉ちゃんもすごく悲しむから……だから……危ないことはしないでくれ」
「……うん」
心臓がぎゅっと縮んだ。こんなことをスグリに言わせるのは辛い。のほほんとしている顔が困ったように揺らめくのを見ると目を逸らしたくなる。どうしてか分からないが辛かった。
「大丈夫……もう絶対怪我しない為に強くなりに行くだけだから。それに今日はつよい人が修行を見てくれるから……怪我もしないよ」
「そうかあ。良かったな」
タイミングを見計らったようにコゼツが走ってきて、「水筒!」と投げてよこした。水筒を!投げるな!!床に落ちて凹んだら怒られるじゃないか。
▼
やっべー遅刻した。
西の空が突き刺すような橙色の夕焼けに染まり始めた頃、家を出て、ヒマワリと何かの緑色の草が揺れる石畳の真ん中を駆け下りて演習林に向かった。いつも使っている第五演習場のフェンスを抜けると、岩に腰かけて俯いている上忍ベストの青年――カカシがわたしを認め、立ち上がった。
「すみません、少し遅れました……!」
「いいご身分だね」
「す、すみません……ほんとに……親に引き留められたんです…」
雲の上のような存在の鬼強上忍に一介の雑魚下忍が修行を頼んで遅刻だなんてあり得ない。顔が赤くなった。教授に、実験器具届いたので立ち上げやりますとか、論文の件でどっかで話せますかってメールして予定作ってもらって遅刻するみたいなもんだ……。でもスグリのハグを振り払うことはできなかったし、コゼツとの話し合いも省けないし仕方がない。
「……ま、それだけの怪我した後だしな」
カカシはどこか別の場所を見て呟いて、「じゃあやるか」と言っていきなり左側から蹴りを入れた。
ただ棒立ちの体勢から何故そんな急に攻撃ができるんだ、と思えるほど早くてしなやかな蹴りだった。見えなかった。左のこめかみにガツン!と衝撃を感じて、受け身もなにも取れずに地面に倒れた。
「あらら……全然わかってないね」
「いった……」
細かい芝生が鼻の穴に入る。右頬が土と芝生に擦れている。多分かなり軽く蹴られたから頭が揺れるまではいかないが、完全無防備で構えも取れていなかったので地面に倒れた側の右肩が痛い。急いで立ち上がった。
「はい、次」
カカシの腕がびゅん、と伸びて、右側から来ると思いきやフェイントが入り、左側からアッパー。
アッパーというよりただ左手の裏拳で下あごから払いあげたような形だが、モロに顎に入った。顎の先端から脳天にかけて衝撃が走り抜ける。うう、とよろめいて顎を押えた。
杭で刺しぬかれたように痛い。なんで組手始まってるの?
「少し頭回せばわかるでしょ、ホラ」
次の攻撃は前触れがわかった。カカシはポケットに入れっぱなしだった右手を抜いて右足を一歩後ろに引く半身の体制になり、軽くステップを踏んだ。慌ててわたしも距離を取り半身で構える。
組手は半身の体制が基本で、右利きの人は左脚を前に出し、左利きの人は右脚を前に出すのが普通である。足にかける体重バランスは3−7か4−6。利き手が同じ人同士が構えるときは、双方左脚が前に出る形になる。
素早く軽い踏み込みの直後そのまま左で(つまりわたしの右側に)上段蹴り。自分より背が低い相手と戦う場合中段(腹)より上段(頭)のほうが狙いやすいし、相手へのダメージも大きいから絶対に上段にくると思っていたので予想通り。踏み込んで中段を狙う(というか、顎は遠くて狙えない)――つもりだったが、予想していても対応できなかった。
相手のテンポを崩す左のステップ、そこからの秒単位の蹴り上げに踏み込みのテンポが間に合わず、顎にバツンと衝撃が突き抜ける。よろめいて、そのまま左から弧を描くような打撃が入った。耳に当たり、視界がぐるっと回転した。
気づいたら膝をついていた。微かに小さく、キーンという音がする。まって、ちょっとまって……手裏剣の練習って言ってなかったっけ?!
「……耳大丈夫?」
「はい、大丈夫です……すみません、あの、ちょっとま、手裏剣術の練習っていう……」
「あーうん、そうなんだけどね」
カカシは構えを解いて腕を組んだ。腕を組んでいても信用できない、こいつどんな体制からでも攻撃を仕掛けてくるからな。
それにしたって耳を攻撃するのはどうなんだ?当たり所に寄ってはかなりヤバめの影響を相手に与えることになる。しかも左耳……ただでさえ左目が見えないのに。
そうだ、左耳が見えないからいつもより戦いにくい。もっと体勢を並向きに……右眼で全体を見ることができるように、胸を張って――……。
「気づいた?」
「え……いえ、あの……」
「もうその構えじゃダメなのよ。右利きの人がするいつもの半身じゃあね、こっち側しか視野が見えないでしょ」
カカシは、”こっち側”と言いながらわたしと同じ左脚を前にする半身の体勢をとり、腕で扇状にVの形をとって動かす。確かにそうだ。左目が見えない今の状態では、左脚を前にした体勢では右側――身体を開いた方向しか見えない。背中側が全く見えない状態なのだ。
「アカデミーで教える半身はあくまで両目が見える人用。片っぽ失ったら、むしろ右前でもいいくらいだ」
カカシは右前(右脚が前になるサウスポーの体勢)で立ち、その後左前の半身に戻したあと自身の右脚を少し前に寄せて、「右前が無理でも右脚はこれくらい前にして……とにかく体勢を変えた方がいい」と言った。
「手裏剣の投げ方はその後」
「わかりました。……あの」
「?」
「カカシさんも普段は左眼隠してるじゃないですか、構えを変えたりしたんですか?」
「――ま、オレの場合は借り物の眼があるから」
借り物の眼と言うときだけ、カカシは視線を下に落とした。なるほど、と頷いた。
その日は夜遅くまでカカシに修行を見て貰った。手裏剣の構えを見てくれ、と頼んでカカシの前で的当てをして、六枚終わったらアドバイスされて……肩や足の開き方を細かく調整され、また投げて……その繰り返し。カカシのアドバイスは的確で、指摘の全てに彼の経験とセンスが詰まっていて、全部メモしたいくらいためになった。
「慣れるまでは手裏剣より近接武器主体にした方がいいね。なにか他に使える術は?」
「影分身と身代わりくらいしか……」
「あっそう。じゃあ影分身を駆使するしかない。任務のときは死角を仲間にフォローしてもらって、後はひたすらリハビリね」
「わかりました」
右眼だけで距離感を掴む練習を教えてもらったのはとにかく有難い。わたしが覚えきれずにノートに書いていると休憩の空気になり、カカシも水筒から水を飲みながらちらっと空を見上げた。
もう二時間くらい経っただろうか。カカシは夜ご飯前かもしれない、もう終わりかな?
「今日はあの男の子はいないの?」
カカシは聞いた。
「あ、はい。コゼツはアカデミーから帰ってきて、たぶん今頃ご飯の片づけしてます」
「そ」
「はい」
カカシは無言になった。わたしも水筒を取り出し、飲んでいると「君って――」とカカシが言った。
「あんまりオレに質問しないね。君くらいの下忍なら、写輪眼だの暗部だの、みんなアレそれ聞きたがるものなのに」
あ、そうなんだ。慌てて「そんな、聞いてみたいことはあります!聞いていいなら、たくさん……」と誤魔化す。
そりゃあるけど、昨日の職質からの今日のタイミングで聞くのはまだ心の警戒心が解けていない。それにカカシの内面以外の事実は既に知っているし、内面についての質問はまだできるような関係じゃないし。
「でも……せっかく強い人が教えてくれるんだから、わたしの力……技術のための質問に時間を使いたいんです。強くなりたいから……」
「ふーん。真面目だねえ」
「あ、じゃあ額当ての着け方教えてください」
「額当て?」
不可解な顔をするカカシに、顔の左側を指さして「額当てってズレませんか?なんかうまくいかなくて」と言って笑う。
「今は眼帯だけど、ほんとは額当てで隠したいんです。カカシさんみたいに、斜めに!」
「サイズが合ってないんじゃない?額当てって大人も子どもも同じサイズだから、斜めだとフィットしないんでしょ」
「え〜……」
じゃあ物理的に無理なんだ、と少しがっかりする。
するとカカシは「どれ」と言ってわたしの後ろに回った。カカシ自ら額当てを、着けてくれるらしい。
「額当てって案外金属部分が軽いから、額で浮くよね〜。痣もつくし」
「そうなんです!わー、カカシさんと同じ悩みを抱えていたなんて……」
「ちょっと取るね」
眼帯の紐が解かれて、眼帯の裏側の湿った患部に風が当たった。眼帯を取り除くカカシの指が、瞼の上からぞろりと動いて刀傷を掠める。
「写輪眼の方の目はいつも瞑ってるんですか?」
「いや、開けてるよ。瞑ってるといざってときにすぐ焦点が合わないから」
続いて額当ての結び目が解かれた。
「写輪眼はチャクラの消費が激しいって聞いたんですけど、疲れますか?」
「え?良く知ってるね」
「姉がうちは一族に嫁いでて……同じ班にイタチくんもいるから、少しだけ」
額当てが左目を覆うように斜めに降りてきて、ショートカットの髪をかきわけて後頭部でギュッと締め付けられる。
わ〜カカシ先生に額当て結んでもらってる……この高揚感はなんだ?恋とは違うけど何か純粋なときめき……どこかで感じたことがある……コレは……そう!ミニーちゃんとグリーティングの写真撮ってもらったときの感覚!!
「キツくない?」
「大丈夫です!なんか美容室みたいですね」
えへへ〜と笑って答えたそのとき、暗い演習場の芝生の上に地面から生えるようにして、白いコゼツ――恐らくω-11――の頭が飛び出た。
冷や水を被ったように驚いて、”あっ”と口を開けた。一瞬、身体が硬直した。慌てて手前に駆けだして、地面に倒れ込むようにしてその白い頭に覆いかぶさった。
「わっ、あ、あの、すみません今――」
覆いかぶさったはずのω-11の頭は消えている。
え、なんで?!カカシの姿が見えなかったのか?今の、カカシに見られた?慌てて後ろを振り向くと、カカシが"左手で額当てを下ろしたところだった。"
「――………あの、すみません…転んじゃって」
「いや、大丈夫。できたよ額当て」
見間違い?
額当てを下ろしたということは、今、カカシは額当てを上げて左側の眼を出していたということだ。そしてなんともなかったように元に戻した。
疲労が夜風に霧散していく。ピリピリした緊張が心臓を冷静に抑え込もうとしている。
「額当て、いい感じです。全然落ちてこなくて……ありがとうございます!」
顔の左側を触った。指先の腹に、頬の下からぼこぼこした刀傷の先端が覗いている。
額当ては丁度いい締め付け具合で、落ちてこない。
「もう八時ですね……カカシさんもまだご飯食べてませんよね?」
「そうだな……ま、十分教えたか。これで借りは返せたってことでいい?」
「十分です!」
指でVの字を作ってポーズをとると、カカシは呆れたように鼻で笑った。
その後、少しおさらいをしてカカシ指導の修行は終わりになった。カカシは、「後は自分で頑張って」と言ってその場を去った。彼の、動物のような膝のバネが収縮して地面を蹴り、軽やかに木々の向こうへ消える背中を、わたしは暫く眺めていた。
震える溜息をつく。冷えた汗が寒気を呼び起こし、肌をさすった。ずっと鳥肌が立っていたことに終わった後で気づいた。