朝礼を終えた僕は、急いで部屋に戻った。
あのあと皆と何を話したのか全然覚えていない。
焦るこころを抑える事で精一杯で、覚えてるのは逃げるようにここに帰ってきたことだけ。
「アツヤ…っ!アツヤ返事してよ!居るんでしょっ」
誰もいない部屋に、僕の声だけが虚しく響く。
アツヤの嘘つきっ…!
いつも僕のなかに居るって言ったじゃないか。
消えたって僕らはひとつだって。
混乱したまま手紙を握る僕の手に、急にふわりと後ろから暖かい手が重なり、驚いて僕は飛びのくように振り向いた。
「ごめんよ驚かせて…声はかけたんだけど」
「ひ、ヒロトくん…っ」
視線を泳がせながら確認した人物はヒロトくんだった。
彼は、後ずさった僕に
もう一度近づいて、グシャグシャに握り潰してしまったアツヤの手紙を持つ僕の手を、優しく開いてその便箋のシワをきれいに伸ばしてくれた。
緩やかなその動作に、僕の呼吸と混乱はすこし落ち着きを見せてくる。
「あ…ありがとうヒロトくん。僕…混乱して」
「話は豪炎寺くんから聞いた。つまりこの手紙に書き足されたあとがあるんだね」
すこしシワののこってしまった便箋を見ながら言うヒロトくん。
彼は真剣な眼差しを僕にむけて、すこしだけ言いにくそうに苦笑した。
「気分をわるくしたらごめんね。この字、君の別人格だったアツヤくんが書いたものってことは考えられない?」
ヒロトくんの言っていることは、僕も思っていたことだ。
現実的にアツヤが生きていると考えるのは難しい。
だって僕は葬式で両親とアツヤの顔をみているんだから。
僕が慌ててへやにもどった理由も、人格のアツヤに確認をとるためだった。
「僕もそう思ってアツヤに話しかけてみたけど、ダメみたい。すこし前から、ずっとアツヤとは話せないんだ。イナズマジャパンに呼ばれる選考会の前に、夢に出てきたきり。」
「…そっか、もう完全に君と融合したのかもしれないね。それじゃあ真相は確かめようがない、か」
そういって、難しそうな顔をして腕を組むヒロトくんは、しばらくしたらまた顔をあげて僕を見た。
「ねえ、その手紙、すこし借りてもいいかな。確かめたい事があるんだ。」
「いい…けど…」
「ありがとう。手荒く扱ったりしないから安心して?」
僕から手紙をうけとり、彼はそのまま部屋をでていった。
ひとりのこされた僕は、へたりこむようにベッドに腰掛け、そのまま仰向けにたおれる。
すこしだけ…ほんのすこしだけ期待してしまった。
ドラマや映画みたいなことが僕の身に起こったんではないかと。
なにか、
理由のつかない奇跡がおこって、アツヤが僕の前に現れるんじゃないかと。
(そんなはずない…お父さんもお母さんも…アツヤも死んだんだ。僕は…一人ぼっちだ)
そう、今の僕はひとりきり。
涙を堪える必要はない。
頬をつたう涙に、そっと瞳をとじて深呼吸したら、いつしか僕は深い眠りに落ちていった。
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深い海の底、真っ暗ななかに青白いあかりがみえる。
まわりにはその明かり以外何もないのに、どうして海の底だなんてわかるのか。
それは耳に聞こえる水の音だとか、浮遊する髪や僕の着た服の生地の揺れる感覚、理由はいくつかある。
けれど、でもどうして水のなかなのに息ができているのか、という疑問の答えはなにもない。
否、疑問にすら感じない。それが当たり前の世界だから。
夢とは得てしてそういうものだ。
僕は、全身に水の抵抗をかんじつつ、明かりのみえる方へと海底を歩きはじめた。
さほど遠くない距離をあるいてたどりついた明かりの正体は、古びたアナログテレビだった。
海底の砂に斜めに埋まって、画面が青白くひかっている。
(何がうつっているんだろう…)
僕はしゃがんでその画面を覗き込んだ。
うつっていた映像は、どこかで見たことのある顔ぶれと、いつかいったことのある無機質な建物の中。
白いかべに白い床、色とりどりの花に囲まれた長方形の箱がみっつ。
ああ、そうか、これはお葬式のときの場面だ。
まわりにいる見知った顔は、親戚や友人。
そして、棺桶の前でおばあちゃんの足に縋り付いて大泣きしている子供は小さいころの僕だ。
『士郎ちゃん、悲しいかもしれないけれど、これで最後かもしれないからお母さんたちのお顔をみておきましょう?』
音の割れたノイズまじりの音がテレビから響く。
幼い僕は、うながされるまま涙を流すおばあちゃんと一緒に、両親の顔を見ようと棺桶の横に移動した。
眠ってるみたいなお母さん、いまにも起き上がりそうなお父さん。
だけど二人とも、顔の筋肉がまったく機能していないため、今までのとおりの顔つきとは言えない。
幼心に、死を実感した瞬間だった。
また泣き出しそうになった僕は、下唇を噛み締めて震えながら、最後はアツヤの入った小さめの棺桶の横にとぼとぼと移動した。
アツヤ…僕の片割れ…
棺桶についた小窓に手をかけて、ゆっくり開いていけば、まっくらな箱の中がすこしずつ見えてきて――……
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ぱちりと目をあければ、そこは海のなかじゃなくて、夕日の差し込む僕の寮室だった。
僕は、汗ではりつくシャツを軽く引っ張りながら、体を起こして乱れた前髪をかきあげた。
(あー…どうしよう…僕さぼっちゃった)
窓の外にみえるグラウンドで、チームの皆が整備するのを見つめ、僕は監督にどう言い訳しようかと考える。
だけど、本当はもっと気になっていることがあった。
僕の思考はいつしかそちらに流れてしまって、聞こえていた周りの雑音は完全に耳にはいらなくなった。
あの夢はたしかに僕の記憶だった。
悲しいからあまり思いださないようにと無意識に閉じ込めていた僕の記憶…
死に纏われた両親の顔、死化粧では隠しきれない魂の空白。
そしてアツヤも……
アツヤの表情…
アツヤ…
「僕は…
僕は本当にあの後、アツヤの死体を見たっけ……?」
小さくつぶやいてみたら、僕の耳にようやく音が流れ込みはじめた。
起きてから時計を確認していないけど、もう少しで夕飯なのだろう。
いい香りが食堂から漂ってきて、途方にくれる僕の鼻を優しくくすぐった。