carpe diem


 出会ってから何度目かの秋だった。一躍話題になっていた茶碗蒸しの屋台を、彼女が見に行ったのが始まりだったはずだ。その時、何処から湧いたのか分からない懐かしさを覚えたのを、もしかしたら彼等はもう忘れているのかもしれない。そうあることが決まっていたような、遠い昔に引かれた道筋を辿っているような、そんな感覚だったことを、今ではもう、忘れているのかもしれなかった。





 散ってしまった紅葉が、地面に赤い絨毯をひいているかのようだ。足を進める度に、乾いた葉が折れる音がする。狩れる紅葉はもう無くなっていた。
「折角、来たのに」
「……これはこれで、綺麗」
 本来ならば、夕陽と紅葉が素晴らしい風景を見せる場所だったのだが、先日の雨のせいなのか、少し時期が遅かったのか、観光の謳い文句に使われるような風景はもう見られなくなっていた。不満げな顔を見せる名前と、これもまた風情だとこの状況を楽しむ純吾。二人のスタンスは全くもって異なっていたが、響く足音のペースだけは同じだった。
「散っちゃってたら意味ないの」
「でも、時期のものだから……」
「……分かってる!」
 所々、申し訳程度に木に付いたままの葉が揺れていた。それは置いてきぼりを食らった寂しさを、誰か訴えているようにも見えて。微かに頬を膨らませ、駄々をこねるような素振りを見せる名前に、純吾は少しばかり困った素振りを見せた。ぷちん、と枝から取れてしまった真っ赤な紅葉が名前の頭の上に乗る。純吾はそれを取ってやると、自分のポケットの中にそっと仕舞った。
「……来週、時間、ある?」
「あるけど、なんで?」
「名前が行きたいところ、行こう。……どこがいい?」
 優しい声音でそんなことを言われてしまっては、拗ねる気も萎えてしまう。そう感じながらも、名前は取り繕うようにコートの袖を伸ばした。歩幅が小さくなる。でも、距離は離れていくわけでもない。行きたい場所を考えている間の無言さえもどこか甘ったるくって、これだから、と惚気るように内心毒づかれていることを、多分純吾は知らないでいる。進路を阻むような位置にある水溜まりに浮かんだ紅葉が、二人の足元に貼り付いた。
「……シートレインランド。夜に」
「……イルミネーション?」
「そ。今まで見に行ったことないし、来週からだから、行きたいの」
「……じゃ、そうしよう」
 木枯らしが吹いたと同時に名前からくしゅん、とくしゃみが零れた。11月も後半になれば、名古屋でも流石に日暮れ時はもう寒い。純吾は自分が身に付けていた皮の手袋を片方外して、名前の左手に嵌めた。手袋に移った体温が冷えた皮膚を包んでいる。幾分か自分のものより大きいそれに、覚えた心地よさを逃がすまいと名前は手を握りしめた。
「おそろい」
 純吾はそう薄く微笑みながら、素肌のままの指を絡めるようにして手を繋げる。名前は、幾分か自分よりも目線の高い位置にある、その黒い目を睨め付けた。耳は赤く、頬も熱い。これはただの、照れ隠しだ。それを知っているのかいないのか、純吾は気にせず足を進めていく。
「……はずかしいひと」
 漏れた悪態さえ、しあわせのひとつでしかなかった。来年でも来世でもなく、来週の約束をする。当然のようなことの尊さを彼等は何処かで知っていた。冬が近い。風は、寒さを纏っている。いずれ雪が降るその時に、一緒に居ようと言える幸せを待っている。そこには悪魔も神も必要なくて、猫が一匹いればいい。それで事足りるのだ。
「あと、今日帰ったら茶碗蒸し、作って」
「お安い、御用」
 霜が降りる前に、そろそろほほえみかけようか。意地っ張りが繋いだ手をぎゅうと握り返せば、ゆっくりと撫ぜるように手の甲の上の指が踊った。




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