午後五時。伊東が入院している警察病院へ行き、言われた階のナースステーションへと着いた。

そこで、伊東の見舞いに来た事を告げる。と、対応してくれた看護婦とは別の看護婦が奥から出てきた。

一応、笑顔ではあるが、目の奥は笑っていない。


「申し訳ありません。伊東さんは現在面会謝絶中でして、お身内の方以外のお見舞いはご遠慮頂いております。失礼ですが…」

「私の身分証明書なら、これで」

「…失礼致しました。御身内の方でしたら、こちらへ」


無表情のままの看護婦の後を着いて行くと、看護婦は少し離れた個室のドアの前に立った。

ただし、名前の札は無く、代わりに、面会謝絶の札が下がっている。

側には目付きの悪い男が二人。黙って此方を見ていた。護衛、か。

伊東はこの部屋に入院しているらしい。

でも、


「伊東は?」


ベッドはもぬけの殻。

伊東はどこにもいない。

部屋を見渡しても、綺麗なまま。使われている様子すらない。

するとその看護婦は、おもむろに同じナース服を渡してきた。

思ってた通り。この看護婦は監察の人間だ。

これに着替えろという意味らしく、大人しく服を脱ぐ。

これだけで、雰囲気が一気に物々しいものになった。

でも、これには、それだけの理由がある。

面倒ではあるが、伊東を責める気はない。





新たに教えられた部屋は、ナースステーションの直ぐ側にあった。

同じように面会謝絶の札が下がってはいるが、名札に書かれてある名前は別人のもの。

ここならあからさまに監視を置かなくても済むのか、それらしい人間はいない。

中に入ると、ベッドはただ一つきりで、伊東はそこへ寝ていた。

ただし、私に向けられた目は、怪我人のものとはまるで違って見えた。


「伊東って看護婦が好きだったんだ。どう?似合う?」

「ここまで来て、つまらない冗談はよしてくれ。僕が興味を惹かれるのは、いつだってその人間の中身の方だ」

「その中身とやらが皆つまらないから、急に私を呼ぶ事にしたの?」

「ああ。お陰で皆から嫌な顔をされた」


襲われたと聞いて心配してたが、損をした。思ってたより元気そうだ。

ナース姿のまま状況を聞くと、襲われたのは、三日程前。ナイフで胸を刺されたが、心臓から数センチずれていた為に、直ぐに手術を受けて助かったそうだ。伊東は頭もいいが、幼い頃から剣道を習っていた為、剣道は師範代の腕前、運動神経も抜群にいい。

そのお陰もあって、ナイフは心臓を掠めもしなかったんだろう。

ただし、胸の手術をしたばかりの為か、伊東はずっと酸素マスクを付けている。息も切れ気味で、時々顔を歪めて話した。

それに、注射の管が何本も腕から伸びている。これじゃあ着替えすら満足に出来ないだろう。

こうした窮屈な入院生活は、多分、犯人が捕まるまで続く。


「相手の顔は見た?」

「いいや、見ていない。身長も、僕より少し高かったとしか言えない」

「最近恨まれるような事は?」

「思いあたる節なら幾らでもあるからな、見当もつかない」

「…そ」


伊東を殺し損ねたのだとしたら、相手の腕がなかったのか。伊東の運が良かっただけなのか。

ふと、公園で勝男が言っていた事を思い出した。

政治家や官僚の相次ぐ死にまつわる、あの話を。

おばちゃんの孫はともかく、もしかしたら伊東は…。


「最近亡くなってる政治家や官僚の事で、妙な噂を耳にしたんだけど」

「…噂?」

「実は殺されてるんじゃないかって。その線は?」

「…どこでそんな話を聞いたのかは知らないが、暴力に慣れている人間だというのは確かだ。刺されたナイフの角度を考えても、僕を完全に殺しに来てた」

「厄介なのに付け狙われてるんだ。可哀想に」

「もし、そうした不審な事件が相次いでいるのであれば、君も気を付けた方がいい。今は警察庁長官の秘書なんだからな」


他人から見れば、私は今、そういう立場にいるのか。

私の言葉を否定しない伊東の目には、揺るぎがない。

はっきりと何かが見えているようだった。


「…分かった。忠告は素直に受けとく」

「ああ、その方がいい。ところで、持ってきてくれたんだろ?」

「手術したばかりなんだから、ゆっくりすれば?喋る相手が欲しいなら、また今度来るから」

「いいんだ。少しでいい、付き合ってくれ。退屈で仕方がない」


電話で看護婦に言われたのは、「伊東さんと学生時代に遊んだものを持ってくるように」という内容だった。

伊東と私とで遊んだものは、そう多くない。

その中でも、病室でやれそうな物、と考えて、トランプを買って来たのだが。

私本人であるとの証明より、伊東は自身の暇潰しの為の遊び道具が欲しかっただけかもしれない。

常に何かを考えていなければ気が済まない伊東らしいリクエスト、ではある。


「一度だけだからね」

「負けて帰るのがそんなに嫌か」

「心に傷を負ったせいで入院が長引いた、なんて事になったら、税金が勿体無いでしょ」


看護婦らしく気遣ってみせると、伊東はやっと少し笑った。



兆候



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