翌日。決行の日。

外は生憎の曇り空で、ビルを出たのは昼過ぎ。そして数台のバンが署の付近まで来たのは、とうとう雨が降り始めた夕方近くだった。

長官は必ず夕方頃に来る。それを見越してこの時間に来たのだが、歌舞伎町を管轄に置くこの署に訪れる人は、夕方だろうが絶えない。

一般人をあまり巻き込まない為には、この悪天候がいいように働いてくれたらいいけど。


今日の流れはこうだ。

私が神威を署へ連れて行き、長官が到着してから十分後に署を急襲。私と神威は混乱に乗じて適当に逃げ、夜九時にあるポイントへ集合。その間、神威が逃げられないように、阿伏兎は人質として別の場所で監視下におかれる。

頭の中でシュミレーションを繰り返しながら、神威を連れて、いよいよバンを降りた。

ジーパンにTシャツ、まとめられていない髪の毛、スニーカーに、途端に冷たい雨が沁み込む。


「これが終わったら飯でもどう?」

「お断り」

「美味しい北京ダック食べさせてくれる、いい店知ってるんだけど」

「…いいからさっさと歩いて」


傘もささずに、結束バンドをしたままの神威を引き連れて署内へ入ると、当たり前だが、何人かの知り合いに出会った。

皆、私と神威に驚いているらしく、二度見、又は立ち止まってまで見てくる。中には声をかけてきてくれた人までいた。

でも適当に相槌を打って、それら全てやり過ごした。

あまり、時間がない。

走り出したい衝動を堪えながら、急ぎ足で階段を駆け上がる。

そしてその勢いのまま、久しぶりに一課のドアを開けた。


「あれ。棗…って、おい、そいつ…」

「何でここに…」


皆、ずっと手配書の写真を見ていた。追いかけてもいた。だから神威の顔一つで、空気が一変した。

犯人を捕まえた時の独特の高揚感と緊張感。部屋がそれらで一杯になる。

しかも、療養中の、拳銃も何も持っていない女の私が、結束バンドだけで国際手配されている男を一人でひきつれて来たのだから。唖然ともするだろう。

久しぶりに会った山崎君なんか、立ったまま硬直している。少しは成長しててもいいのに。

今度は溜め息を堪えながら、足を早める。


「課長、取調室、借ります。それと近藤さんって今どこにいます?取り調べに付き添ってもらいたいんですけど」

「多分便所に…」

「戻ってきたら来るように言ってもらえますか?」

「ああ、分かった」


そうして取調室に入って直ぐ。近藤さんが息を切らせながら取調室へと入ってきた。


「無事だったか…!」

「近藤さんも」


今にも泣き出しそうな近藤さんに色々と説明をしたいのは山々だが、あまり時間がない。直ぐに取り調べ室の隣の部屋へ行く。

既にいた沖田君と山崎君には少しの間だけ出ていってもらい、事情を説明する事にした。

ここに来るまでの経緯。伊東が絡んでいるかもしれない事。段蔵の目的。そして襲撃計画。

事態を知った近藤さんの顔が、みるみる険しくなっていく。


「じゃあ…ここはもうすぐ襲撃されるって事なのか?」

「そうです。お知らせしようかと思ったんですけど、長官の動きは全て知られていたので」

「だとしたら尚更知らせてくれた方が良かっ…」


近藤さんの顔色が急に変わった。

でも、何を考えているのか、手に取るように分かる。


「…まさか、最初から長官を囮にする気だったんじゃ…」

「…否定はしません。ただ段蔵を逃がす気もありません」

「だったら!長官や仲間が襲撃されてもいいってのかよ!?やられるのを黙って見過ごせってのか!?」


何てお利口な意見だ。思わず息を吐いた。

私にはない近藤さんのこうした正義漢を、たまに鬱陶しいと感じる事がある。反面、こうした真っ直ぐな近藤さんだからこそ、心から信頼出来る。

近藤さんには迷惑な話だったかもしれない。でもやはり、この話に近藤さんを引きこんで正解だった。間違ってなかった。


「近藤さん、トップの首を幾ら挿げ替えても、下が腐ってるままじゃ意味はないんですよ。逆に、根が腐らなければ、幾らでも綺麗な花を咲かせる事が出来る。今やらないんじゃ、また私や段蔵の様な男が生まれます。また同じような事がきっと繰り返されます」

「………棗ちゃん」

「…それに、こんな事頼めるのは近藤さんだから…、近藤さんがいるから、長官を任せられると思ったんです」


近藤さんは悲しげに歪めていた表情を、そこでやっと崩した。

「参ったなあ」と呟く表情は何かが吹っ切れたように見える。


「分かったよ。だがせめてこの署を閉鎖に追い込む様な被害の受け方は避けたい。そうなったら困る人間は沢山いる」

「大丈夫ですって。山崎君と沖田君がいるし、皆もいる。私もそうはさせませんから」

「そうだな。…ハハ、棗ちゃんは俺より皆の事を知ってるんだな」

「買い被ってるだけです」

「え」


そこで近藤さんの携帯が鳴った。それは長官からで、もうすぐで着くという話だった。

この電話が来たら近藤さんは署の入り口まで出迎えに行く。

そしてあと十分で、何もかもが終わる。


「…長官を、頼みます」



そう言って近藤さんの背中を見送ってから十分後。

ドオオーン!という爆発音のような音が聞こえてきた。加えて、足元に振動を感じる。

次に、悲鳴のような叫び声が聞こえてきた。


…始まった


近藤さんは無事だろうか。署員は?長官は?

段蔵の仲間からは騒ぎ声が聞こえたら直ぐにその場から離れろと言われていた。

だが聞く気はない。裏切り者を見極める必要がある。

山崎君を始め、退避を促した数人の署員には直ぐに取調室から出るフリを見せ、わざとそのまま居座った。監視されている、そう踏んだからだ。

そしてその時を待つ。向こうから動いてくる、その時を。


ドアを少し開けながら耳を澄ましていると、バタバタと大勢が走り去っていった後に、一つの足音が聞こえた。

コツ、コツ、コツ…。

バタバタ、でも、ドタドタ、でもない。今までの物とは明らかに歩調が違う。

緊急事態だというのに平時の様なその音からは、まるでこうなる事は分かっていたかのような落ち着き様が伺える。

しかも、此方へ向かってきた。

こいつだ。

足音がドアの前でピタりと止まった。

ここへ入って来る、つもりだ。

そこで疑念が確信に変わる。


…こいつが、裏切り者だ


「あーあ、始まっちゃった。どうするの?俺と取引しないの?」

「ちょっと黙って」


しんと静まった部屋の中。それに呼応するように心臓の音が体全体に響く。

ドアから体を離し、死覚になる様壁際に寄った。


「……誰?」


返事の代わりに音もなく開かれたドア。

そのドアを開けた人物に、思わず声を殺した。


引き換え


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