近藤さんが俺の事を呼んでいたのは事実だったようで、総悟に言われたとおり会議室へ行ってみると、そこには課長も同席していた。しかも近藤さんと二人で難しい顔をしている。

段蔵の情報が入ったからだと思いきや、意気込みの無い張りつめただけ空気は、今までに感じた事がない種類のものだった。

不思議に思っていると、近藤さんは生真面目な表情のまま、一枚の写真を俺に見せて寄越した。

三十歳前後の男。坊主、タレ目、下膨れで西洋ナシの様な形の顔。唇は厚めで、右の頬の真ん中より下に、黒子。

収監された時に撮られた写真だ。しかもこの顔には見覚えがある。


「この男を知ってるか」

「…傷害で、前に俺が逮捕した男ですよね。頬の黒子が特徴的だったんで、何となく覚えてます」

「それじゃあ先日の襲撃事件があった時と今朝の五時頃、どこにいた」


課長の問いに、咄嗟に頭を巡らせた。

忘れたわけじゃない。襲撃事件があった時の事も、昨夜の事も、ちゃんと覚えている。

俺が頭を巡らせたのは、昨夜の事をどう言ったらいいのか、考えなければならなかったからだ。

そして何故考えなければいけないのかというと、…さっき俺に抱きついてきたあの女と一緒だったからだ。

とは言っても、別にやましい事をしていたわけではない。家の電球が切れたので換えて欲しいと言われ、出された茶を飲んでいるうちにそのまま眠ってしまった。それだけだからだ。

だがここは正直に言わない方が無難だろう。職場恋愛中だと認識されたら必ず結婚を結び付けてくる、それが警察という組織だ。

棗とはそう思われても異議はない。だがあの女とそう思われては困る。

事実だがそれが全てではない言い方。ここはそれで答えるべきだろう。


「…ずっと寝てたんで、家にいましたけど」

「それを証明出来る人間は」

「…いえ。特には」


俺の言葉を信じたのか、課長と近藤さんは、示し合せたように、顔を見合わせた。


「実はな、トシ。この男が『俺はあの襲撃に関わった』と吹聴しているという情報が入った」

「え?」

「だが証拠がない。それに分かっていると思うが、この街にはやってもいない事を自分がやったと言う人間も多いだろう。だからイマイチ信憑性に欠けてなァ」


近藤さんの言葉はもっともだ。証拠がないと嘆く気持ちも分かる。

科学捜査が未発達だった昔なら、証拠を探すより先に自白を引き出したってよかったんだろうが、今は違う。令状を取り、法にのっとって粛々と進める捜査や、現行犯でさえも、人権を盾に「不当だ」と声を荒げる犯罪者が増えたからだ。

取調室の机が、普通の四つ足のものから、壁に埋め込むタイプの机に変わったのもそういう奴らのせいだ。足が少しでも当ろうものなら「わざとぶつけられた」「威圧的な態度をとられた」と弁護士に喚く。証拠に圧倒的な説得力がない限り、そういう連中は黙らない。

それに「あの事件の犯人は俺だ」だと言い廻るのは、屁っぴり腰で、目立ちたがり屋の口先だけの人間が多く、しかもそのほとんどが本当の犯人ではない。

だからそうした発言はまるで当てにならない。そう考えるのは歌舞伎町を管轄にするこの署の常識とも言える。


となると、俺は何の為に呼ばれたのだろう。

裏を取れと言われるのだろうか。


しかし課長の次の言葉はそんな俺の考えを全て否定した。


「この男は君が関係していると言っていたらしい」

「…は?」

「その裏付けもあるんだよ…トシ」


近藤さんが悲しそうな顔で、今度は一枚の紙を見せた。それは署内の電話の通話記録のコピーのようだった。


「土方君、それを見てくれ。君の内線番号の通話記録だが…マーカーが引いてある番号に覚えは?」

「…いえ。全く」

「トシ…、その番号は、男の携帯の番号だ」


頭の中が真っ白になった。

俺がこの男に電話を?いつ、どうして。

だが紙を見たって思い当たる事は何もない。

しかも日付と時間を見比べて、更に愕然とした。

覚えている限り、ではあるが…、マーカーに線が引いてあるその日時、俺は署内にいたからだ。


「いや、待って下さい。わざわざ自分の机の電話からかけるなんて、そんな分かりやすいヘマ、俺ならしません」

「だがこの男と接点のある署員は他にいない。しかも男は君を名指ししてるんだ」

「…だったらしょっ引いて聞き出します」

「無駄だよ。死んだ」

「…死んだ?」

「ああ。今朝、中野の方で、刺殺体が見つかってな」


課長と近藤さんはそれきり黙ってしまったが。その乾いた間によって、二人が何を言いたいのか分かった。そしてどうしてここへ呼ばれたのか、その意味にも気が付いた。

理由は口封じの為の殺し。アリバイもない。

第一容疑者だと疑われているのか、この俺が。


「しばらく休め。いい機会だから、温泉にでも行ってきたらどうだ」


本当ならそれに「冗談じゃねぇ!」と叫びたい。だったら「昨晩は女と一緒だった」と本当の事を言ってもいいとさえ思った。

だが奥歯を食いしばって声を抑えた。拳を握って感情を必死に殺した。

本当に疑われているのなら、課長は逃走の恐れがある遠方への旅行なんかではなく、俺に自宅待機を命じる筈だからだ。

課長も近藤さんも、立場上言わなければならないんだろうと思うと、俺も堪えるしかない。

そうするしか、ない。


「すまない、トシ。何の力にもなれなくて」

「近藤さん…」

「お前の無罪は俺らが必ず証明する」


この時の近藤さんは、誰よりも頼もしく見えた。

そして、俺ら、と口にした近藤さんの本当の言葉の意味を、俺はこの時、まだ知らない。



[*前] | [次#]

/3

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -