標識を引っこ抜く。振り回す体勢を構える。目の前のノミ蟲を視界に入れる。それに向かって標識を振り回す。
何回キレては何回公共物を持ち上げて何回ノミ蟲に向かって投げたんだろう。
本当はこんなことしたくない。ノミ蟲なんて言ってるけど、本当は標識だって自動販売機だって投げたくない。
だから泣きたくなる気持ちをあいつがいる前では押し込めて、只管に公共物を投げ、振り回して。

この淡い気持ちに気付いたのは数か月前。
高校時代の頃は憎くて憎くて仕方なかったのに……いや、思えばあの頃から俺は焦がれていたのかもしれない。
あの頃から、俺の頭の中は臨也が大半を占めていた。
それまでは体は平凡でなくとも、弟も優しいし、幼馴染も変わってる奴だけど喋れば普通の奴だし、まあまあ充実していた。
それなのに、なのにどうして。あいつが現れてから俺は。あいつに心奪われてから俺は。
何か変わったか、と問われれば特に何もないけれど。けれどそれによって知ったことは俺の心の弱さ。
今だって振り回したくない標識を振り回して、あいつに何か言われる度にキレたふりをして激情するふりをして。
結ばれたい、と思う反面、知られたくないという思いもあって、結局は知られてあの赤い瞳で冷たく蔑まれるのが嫌だった。
こんな大きくて強い体なのに。この体ぐらい俺の心も強くなればいいのに。何度そう思ったことか。

ゴンッ

ずっとそんな事を考えていて、不意に鈍い音が響いたときには驚いた。
いつもはあいつにわざと当たらないように振り回していたから、こんな鈍い音がするのは初めてで。
それに、あいつと対峙している時にこんなに標識に手ごたえがあったのは初めてだ。俺はいつもこの手ごたえが怖い。誰かを傷つけるのが怖い。
それなのに誰かを傷つけて、手を血まみれにして、いつもそれに後悔する。
だからあいつと対峙して、戦うのは、相手を傷つけないで済むから少し気が楽だったのに。
標識の先を見ると鉄の板には赤い血がついていて、あいつの方を見ると右手で頭を押さえて痛そうに顔を歪めていた。
よく見ると頭部から血が出ている。
俺にとってはもう鉄屑と化した標識を放り捨てて、小さく呻き声を上げている臨也の方に走った。

「臨也!」

頭から血が出ている臨也に駆け寄り、患部を押さえている右手に自分のそれを重ねる。
自分の手にも臨也の血が付いたけど、もうそんなのどうでもいい。
目の前に広がる恐怖に、俺は震えながら臨也の顔を見た。

「臨也、ごめん、俺」
「……どうしてシズちゃんが俺の心配をするのかな?」

意外と間近にあった臨也の顔を見ると、怪訝な視線で眉を顰めていた。
そこで自分のしていることに気付く。すぐに手を引っ込めて後ずさる。臨也の視線が怖くて、言葉を発すことができなかった。
俺の心中なんか伝えたらもっと冷たい視線を寄越すんだろうな、と考えて泣きそうになったから俯いて拳を握りしめる。

「手前の、心配なんて……」
「じゃあどうして俺を殺さずに、俺の方に来たの?今の状況なら、シズちゃんが持っていた標識を俺に向かって当てれば俺は人間だから即死。それでシズちゃんは俺が死んで一件落着、ってことになったのにさ。……俺に死んでほしくない?」
「違う」
「じゃあ何。死んでほしくないなら何だって言うの。どうして俺の心配なんかするの、君にとって、俺は死んでもいい存在で死んでほしい存在なんじゃ」
「俺は、手前に死んでほしいなんか思ってねぇ!俺は、臨也のことが……!」

そこまで言って口が止まる。自分は何を言ってるんだ。こんなこと言ったら軽蔑される。
血まみれになった手を握りしめて、唇を噛み締めた。
臨也の顔が怖くて見られない。かと言ってここに怪我人を放置するわけにもいかない。どうしよう、と思案していたら、

「シズちゃん、家連れて行ってよ。それで手当てして」
「え?でも」
「君が俺に怪我を負わせたんだから、君が手当てするのは当然のことだよね?」

俺はその言葉を最後にして黙りこんだ。これ以上、反論する余地がなかったから。
血のついていない左手で俺の腕は掴まれ、血のついた右手で顔を臨也の方に向かされ、そのまま唇を重ねられた。
いきなり柔らかい感触を唇に感じて驚きで何も言えなくなる。その前に何が起きているのかわからない。
頭が真っ白に塗りつぶされて、それは唇の感触が消えてからも変わらなかった。

「…ねぇシズちゃん。いつまでそうやって固まってるつもり?」
「え、あ……」

気がつけば臨也は5メートルぐらい先にいて、頭を押さえながら振り向いていた。
それに気付いて臨也に駆け寄り、臨也の左腕を俺の肩にかける。

「この体勢は辛いだけなんだけど。どうせならおんぶとかしてくれない?」
「え?別にいい、けど……」

臨也が変な笑顔でそんなことを言うから思わず頷いてしまった。
よく見ると、臨也の顔はさっきよりも血色が悪くなっていて、目元辺りが青褪めている。本当に、死人のような。
真っ白になった頬に触れると、人間本来の温かさを失っているような気がした。俺の手よりも冷たくて、白い。
笑顔も、無理に作っているような気がしてならなかった。
俺は臨也に負担をかけないように、俺の肩に回されていた腕をもっと引き寄せて背中に抱きあげた。
肩に頭が預けられる感覚がして、俺は歩き出す。臨也のリアルな息遣いが聞こえて焦燥感に襲われた。

それから暫くして家に着いて、ドアを乱雑に開け、ベッドに臨也を座らせた。
俺の項辺りにはべっとりと臨也の血がついていて、臨也の体の中に血があるのかどうか疑問なぐらい。
でも運んでいる間に携帯電話で新羅を家に呼びだしておいたから大丈夫だ、と思う。
臨也の瞳の色はいつもと同じで血色の良い赤だけど、瞳の中の色が濁っているような気がする。
とりあえず止血をするために少し前、自分を手当てするために使ったガーゼの残りを棚から取り出した。
臨也の右頬は青紫に腫れていて、顔ごと標識が当たったんだとわかる。
患部にガーゼを当てても血が止まる気配はなくて、このまま死んでしまうんではないかと嫌な予感が過った。自然と目頭が熱くなる。

「何、泣きそうな顔してんの。俺が死ぬわけないじゃん」

そう言って笑った臨也は明らかに無理をしていて。
その後新羅が来るまで、俺は泣きながら臨也の頭の止血をしていた。




「どうやったらこの怪我で、こんなになるまで放置できるの?臨也は馬鹿だよね、避けられただろうに。静雄が自分が目の前にいるのに別のこと考えてたからって、何も自分から標識に当たりにいくような真似」
「うるさいよ、新羅。俺はそんなマゾヒストじゃないし、俺も別のこと考えててぼーっとしてただけだし」
「………俺、臨也のこと考えてたのに」

小さく呟くと、止血されたばかりの臨也に思い切り抱きつかれた。そのことに頭がついていかなくて、思考を停止させていると、また臨也が唐突に唇を重ねた。しかも新羅がいる目の前で。
真横からは溜め息と、惚気はいい加減にしてよね、という呆れた声音が聞こえてきた。

あの後、新羅が来るまで泣いていた俺の頭を撫でて大丈夫、と言ったのは、俺よりも辛いはずの臨也だった。
そんなに真っ白な顔で、俺の頭を撫でて大丈夫だなんて、冗談言うな。そう言ったのに臨也は苦笑いしただけで、唐突に好きだよと言った。
その瞬間、俺のキャパシティは容量を超えて、一瞬思考が停止した。
それからまたあの時みたいにキスされて、あいつが無理しながら笑うから、俺も釣られて笑ってしまう。涙が止まらないのに、頬を緩めて。
臨也の頭のガーゼを何度変えたかわからないぐらいになったとき、やっと新羅がきた。
新羅は珍しいものを見た、という風に目を見開いては、臨也の状態を見て更に目を見開けた。それから急いで治療をし、今に至る。
俺は何故かベッドに座った臨也に抱きつかれたままで、そのことに体が硬直していた。人の体温をこんなに近くに感じるのは初めてだったから。

「ということで、新羅はもう帰っていいよ」
「はいはい、言われなくても帰るから。とりあえずお大事にね」

臨也が手で追っ払うような仕草をすると、新羅は苦笑しながら出ていった。
頭に包帯が巻かれてる臨也は、ちゃんと見ると包帯が巻かれているのに顔は端麗なままだから何だか腹が立った。
暫くの沈黙の後、臨也が体を離していきなり立ち上がった。そして肩をガッシリと掴まれ、真摯な視線を向けられた。
その視線に少し驚きながらも、あまりに真剣に見つめてくるものだから目を逆に逸らしてしまう。

「ちゃんと、俺のこと見て」

その声音は酷く優しくて。
その言葉に誘われるかのように臨也の顔を見ると、臨也の顔はいやに真剣で顔が熱くなる。

「俺はシズちゃんのことを好きだって言った。シズちゃんは?」
「……へ?」

いきなり好きだの何だの言われて間抜けな声を出してしまう。変な声で聞き返すと、シズちゃんの返事が欲しい、と真剣な声音で言われた。
俺の返事、今更聞いたってわかってると思うのに。そういうことを聞こうとする臨也は多分、っていうか絶対性格が悪いんだと思う。
俺は結局何も言えなくて、口籠ってしまう。顔が熱くてたまらなくて、今すぐにでも爆発してしまいそうだった。

「まぁ、今はその表情でわかるからいいんだけど」

そう言って臨也が俺を抱き締めて、俺は言えなかったことを後悔してぎゅうっと音がするほど抱き締めた。
かわいい、と揶揄するような声が耳元から聞こえて、顔から火が出そうになる。それで言葉の意味を理解して臨也に少し苛つく。
うるせぇ、と肩口に顔を埋めて言うと、臨也の笑う乾いた声が聞こえた。






薊音様に相互記念として捧げます!!

……こんな駄文でよかったの、か…!?
なんか最初らへん血塗れだし、シズデレも見事に失敗orz←
本当、こんなのでごめんなさい(´・ω・)

そしてこんなんですが、これからもよろしくです^^

無駄に長いオマケ(※えろ)

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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