ふと目が覚めた。朝だ。脳はそう認識するけれど、まだはっきりとは覚醒してくれないらしい。
ぼんやりとした意識で、昨日一緒に寝たはずの猫に意識を移す。
狭いシングルベッドでも猫なら大丈夫だと思ったのに、何故か窮屈で肩が痛かった。
おかしい。寝違えたみたいに筋が痛むし、何だか手触りも違う。あのフサフサとした毛が、すべすべした人間の肌みたいになっている。
何だ、どういうことだ。
上げていなかった瞼を開こうと思ったら、目の前から小さく唸り声が聞こえた。

「ん……あ、シズちゃん起きた…?」

この声は間違いなく昨日聞いた臨也の声。
でも何かが違う。臨也じゃないとかじゃなくて、声質そのものが変わった気がする。
眠くて開かなかった瞼を開けて、目の前の猫を確認しようと瞳孔に光を取りこんだ。
眩しくて一瞬目を瞑ったが、幸いカーテンは閉まっていて、すぐに視界は鮮明になる。
けれど、飛び込んできた景色に目を疑った。

「え?は?え……!?」

完全な人間の頭。顔。体。
ただ変わっていなかったのは頭についている黒い耳と布団から出ている黒い尻尾だけだ。
朝から思考回路はショート寸前で、目の前の光景に瞬きを繰り返すだけだった。

「おはよう、シズちゃん」

忙しなく瞬きを繰り返していると、突然額に男の唇が当たる。
何が起きたんだ、全くわからない。
ただでさえ考えることが嫌いなのに、色んなことが一気に押し寄せすぎてパンクしそうだ。
そうこうしている内に男は布団から出て、ぐっと背伸びをした。バキバキと様々な関節が音を立てる。
そして、布団から出た男に驚愕した。
何も身につけていない、一糸纏わぬ姿。ということはやっぱりこいつは。

「お、お前…いざや、か……?」
「ん?ああ、そっか。この姿を見るのは初めてだよね」

ふああ、と大きな欠伸をしてその口許が歪んだ。
寝たままで体が動かない俺に近寄って、ギシリとそのままベッドの上に座る。
はくはくと口を開閉しかできない俺は、ただそれを黙ってみることしかできなかった。
ゆっくりと骨ばった細い指が頬に触れて、心臓が跳ねる。何故か息が詰まりそうになった。

「今日から俺、シズちゃんの飼い猫になるから」
「え、お前、元の飼い主、は」
「だから、昨日シズちゃんが見た通り、俺は捨てられた。理由は、俺がこんな猫だから」

確かに、普通に飼っていた猫が急に喋り出し、しかも人間に変身したら誰もが怖がるだろう。
でも、そんな恐怖心は俺にはなかった。どんな存在であろうと、責任を一回もった限りはその責任を最後まで負わなければいけないんだと思う。
だから、無暗にペットを捨てたりする人間が許せなかった。
そんな人間に捨てられた臨也は、そう悲しそうに語るものだから、こっちまでもが悲しくなる。
体を起こして、臨也の頭を抱き締めた。

「俺はっ、そんな無責任な人間じゃねえ、と思うから、お前が死ぬまで面倒をみる、っ…だから、そんな悲しそうな顔すんじゃねえよ…」

驚く臨也の頭を精一杯に抱き締める。
耳の辺りを撫でて、臨也の名前を呼び続けた。

「……ありがとう…」
「いざ、」
「でも、俺の本来の姿はこっちで、俺は……何て言うんだろ、妖怪みたいなものなんだ。だから死なない。それでもいいの?」

つまりは一生世話になるということだろう。
その点は大丈夫だと思う。何とかやっていける自信はあるし、俺が老いても年金が下りる。
多分、暮らしていくのには問題ないはずだ。
そのことを臨也に伝えると、ふわりとさっきまでとは違った笑みで頬を緩めた。
何だか、その笑みが可愛くも見え、妖艶にも見える。
よく見ると、その顔も人間の基準でいうと随分と整っていて、随分モテたんだろうなと密かに思った。

「何かお前、綺麗だし可愛いな」
「は?何言ってんの、シズちゃんの方が可愛いでしょ」
「………え?」

言葉を理解するのが遅れて、反応も遅くなってしまった。
今こいつ何て言った。俺のことを可愛いって言ったのか?

「……目おかしいんじゃねえのか」
「おかしくない。だって、」

ギシ、とベッドが軋む。
臨也がベッドに乗り上げてきて、今まで抱き締めていた頭を離す。
じりじりと詰め寄るように近寄ってきて、咄嗟に腕だけで後退した。
何だよ、こいつ、急に。

「い、いきなり、何っ」
「顔、真っ赤になってる。それに今、泣きそうな目してる。可愛い」

急にどこかの外国人みたいに拙くなった日本語に違和感を感じた。
臨也が少し進む度に、こっちはその分後退する。
そうしていると壁にぶつかるのはわかっていたけれど、そうしないとその赤い瞳に呑み込まれそうで。
フサフサしたものが腰の辺りに纏わりついて、それが尻尾だと理解する。
逃がさないとでも言うように両腕で体を挟まれて、壁に背がぶつかった。
無理だ、こんなの。初めてが多すぎて処理ができていない。

「可愛い、こんなに純粋で…今すぐにでも……」

やけに整った顔が近付いてくる。
駄目だ、これはだって。瞳を閉じた男の顔に危機感を感じたのに、体は動いてくれない。
結局、唇に予感した通りの感触があって、それはすぐに離れていく、はず。

「……ん?」

離れない。温度は相変わらず唇にある。
しかも無駄に長い。何でこんなに長いんだよ、キスって普通一瞬で終わるんじゃねえのか。
初めての経験だからか、鼻で呼吸するのも嫌で酸素が足りなくなってくる。
とうとう我慢できなくなって唇を少し開くと、生温かいざらざらしたものが遠慮なく口内に侵入してきた。
何だこれ、ざらざらしてちょっと痛い。様子を窺うようにそれを少し舐めてみると、あっという間にそれにペースを奪われた。
口内を舐めまわすように弄られ、舌先を吸われ、上顎を舐められ、思考が上手く働かない。
溺れてるみたいだ。息が苦しくて臨也の背中に抱き着くと、後頭部に手を回された。

「ッぐ、はっ…」

もう何もかもがわからなくて涙が出そうだ。
口内を好き勝手に暴れ回る何かにも、後頭部を押さえる臨也の手にも、何の意図が込められているのかわからない。
ただ息が苦しくて肩を遠慮がちに押し退けると、あっさりと臨也は離れた。

「は、ぁっ……はっ、は」
「ニンゲンの男なのにこんなに息切れするなんて、ね」

荒い呼吸を繰り返していると、涙が自然と零れ落ちた。
目の前の男を見ると、満足そうに舌舐めずりをしている。
その姿だけを見ると妖艶で綺麗に見えるのに、さっきまで俺にしていた行為と対比するとまるで獣。あ、そういえばこいつは獣なんだった。
しかも、さっきの言い草はまるで人間の男なら誰しもあんなことをしているような。
それだけ俺は無知だということなのだろうか。今更自分の知識の浅さを知らされた。

「さて、シズちゃん。これからよろしくね」

先程の行為とは全く違った爽やかな笑みを見せつけられて、少しだけ一緒に暮らしていく自信が不安に変わった。


次回→猫への感情に気付いてしまいました。

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