「昨日、夢を見たんだ」

新羅を目の前にして静雄が発した第一声がそれだった。
夢を見た。それだけならわざわざ新羅に報告する余地もないだろう。
でも静雄がわざわざ新羅に言いにきたということは、きっと静雄にとっては深刻な問題に違いない。
新羅はそう思って、真剣な顔つきをした静雄を家に入れた。

「で、どんな夢を見たの?」

ソファに座って好物のプリンを頬張っている静雄に本題を投げかけた。
新羅がその言葉を発した瞬間、先程まで微笑んでいた静雄の顔が急に曇る。
スプーンを机の上に置いて神妙な顔つきになる静雄に、新羅は唾を飲み込んだ。

「…俺って欲求不満なのか……?」

いきなりそんなことを言われて新羅は怯んだ。
夢の話をしていたのに、いきなり静雄の欲のことを聞かれても。静雄は無欲だと思っていたからそういうことを聞いてくるのが意外だったとか、そういうのではなく、純粋な驚きからだった。
新羅が目を丸くしている間も、静雄は口調を重々しくして話し続ける。

「俺、キスされてる夢を見たんだ。しかもやけにリアルで、俺ベッドに寝てて目を覚ましたら周りは真っ暗なのに、唇が温かくて、それから変なにゅるにゅるしたのが口ん中入ってきて、それで視界がぼやけて、それで…」
「静雄、無理しなくていいから」

次々と頭を抱えながら話す静雄の手は震えていた。思い出すように伏せられた睫毛も小刻みに震えている。
キスをされる、夢を見た。静雄は確かにそう言った。
その夢自体に疑問を覚えたわけではない。そりゃあ男だからそういう夢を見る事だってある。
だが新羅は、その夢が果たして夢だったのかどうか。それが気になった。

「無理しなくていいって言ったすぐから申し訳ないんだけど……相手は誰?」
「……い、」
「臨也?」
「え、そうだけど……」

どうしてわかったんだ、と言うように驚きの視線を向けている静雄に新羅は苦笑を漏らす。それと同時に溜め息を吐いた。
その夢は夢じゃない。新羅は説明するべきかしまいべきか迷っていた。
その間も静雄は眉を顰めて、新羅に怪訝な視線を向けている。諦めたような視線が静雄に向けられた。

「…その夢は、夢じゃないよ」

静雄は目を丸くする。何度か瞬きをさせて、その目をすぐに疑問の色に変えた。
夢じゃないと、どうしてそう言えるのか。そう言ってるのが丸わかりだ。
説明を求めているその純粋な眼差しに、真実を教える為に口を開く。

「それはね」

ピーンポーン。
四文字だけしか言ってない丁度いいタイミングでインターホンが鳴る。
新羅は無視を決め込もうとしていたのだが、静雄の方がどうも如何せん気になるらしく。

「…くせぇ」

というかこの反応をする相手は必然的に一人に限定されるのだが。
その相手を想像してか、静雄は頬を真っ赤に染めて俯く。
当然だ、あんな夢を見た後にその夢の中でキスをした相手と会わなければいけない。そんな可哀想な末路を辿るのを、静雄は嫌がった。
けれど、その気持ちの中に、確実な何かがあるのに気付いている。それは、温かいようなどこかもどかしいような。ふわふわしていて、鷲掴みでもすると簡単に崩れてしまいそうな。
でも、その気持ちを静雄は絶対に認めようとしない。
認めてしまったら何かが崩れ落ちていくような気がしたから。
今回の夢で静雄は理解した。理解したけど認めない。結局はその繰り返しに終わるのだ。
だから静雄は匂いでわかっていても、敢えて出ていこうとはしなかった。

「ピーンポーン。ちょっと、新羅?いるよね?」

明らかに機械音ではない人の声が聞こえる。
静雄は耳を塞ぎ、目を閉じ、明らかな拒絶反応を示していた。その耳は少し見ただけでもわかるほど真っ赤に染まっている。
扉を叩く鈍い音、外から聞こえるテノールが部屋に響いては静まる。
はぁ、と溜め息を吐く音が聞こえ、新羅は玄関へと向かって解錠した。
その瞬間に、扉が勢いよく開かれ、新羅は予想通りすぎる人物に息を洩らす。

「……臨也、近所迷惑」
「だって新羅開けるの遅いんだもん。いつもは暇だから普通に開けてくれるのに」

暇だから、という言葉に嫌悪感を覚えて眉を顰めるも、臨也は軽くスルーして奥へと進んでいった。
そこで新羅は思い出す。あ、そっちには確か。
臨也がどんどんと歩を進めていくと、金髪の青年の背中がそれに合わせて大きく震える。
ふるふると震える塊を見つけた臨也は、最初、それが誰なのかがわからなかった。

「……シズちゃん?」

名前を呼ぶと大袈裟に跳ねる。
耳を塞いで、ソファの上に縮こまるように座る静雄に、臨也は疑問を覚えた。
そして、昨日の夜、自分が犯してしまった過ちを思い出す。

昨日も肌寒い夜だった。
日付も変わり、勿論健全な静雄はそんな時間にはもう寝ている。
その時間に臨也は静雄の家に訪れた。勿論夜這いのつもりで。
静雄の家の鍵なんて臨也にとっては玩具も同然だった。針金を鍵穴に差し込みものの数秒でガチャリと解錠する音が聞こえる。所謂ピッキング。立派な犯罪だが臨也は気にせず、ドアノブに手をかけた。
室内は当然ながら静まっている。すうすうと規則正しい寝息が聞こえるだけだった。
臨也は物音ひとつ立てずにゆっくりと、布の塊に近付く。その中から覗く金髪は余程寒いのか、小さく震えていた。
真っ暗闇で何も見えないはずなのに、臨也は布団を捲って確実に静雄の頬を触る。こめかみに血管が浮いているが気にしない。
頬に触れるだけでは殊更足りない臨也は、我慢できずに自らの唇を、吸い寄せられるように静雄の唇に重ねた。
何度も何度も触れ合わせて、偶に唇をべろりと舐める。その瞬間の静雄の肩の跳ね具合を楽しんだ。
味わうように唇を重ね、舐め、重ね。それを繰り返していると、静雄の唇が違和感を感じたのか、自然に開く。
そのタイミングを見計らってか、臨也は静雄の口内に素早く舌を挿し入れた。
じゅるじゅると吸い上げるように静雄の口内を這いずり回り、一旦離しては再び角度を変えてまた口付ける。
そんな違和感に漸く静雄も気付き、目を覚ますと男にディープキスをされているという異質な状況に、この出来事を夢だと信じた。
そのうえ、静雄は知らなかった。口内に潜り込んで、その口内を無遠慮に荒らし、それでいて妙な熱を引き起こさせているのが臨也の舌だということを。
微睡んだ思考で何も考えることなんかできず、ただキスを享受して感じ取ったことは一つ。臨也の匂いがする、ただそれだけだった。

静雄にとっては生まれて初めてのディープキスだったが、臨也にとっては衝動でやった、以外の何物でもないことである。
静雄を愛しいと思い、ピッキングをし、不法侵入をし、挙句の果てには恋人がするような甘いキスまでして。
そして静雄が寝たのを確認し、帰った後、酷く後悔した。否、後悔はなかったが反省はした。
あの時静雄は確実に起きていて、ひょっとしたら自分の顔を見ているかもしれない。臨也はそう考えて、その日の夜は何度も溜め息を吐いて悩んだ。
そして新羅に電話をして事情を説明し、電話では解決できないと思い家を訪ねると案の定、家に静雄がいた。

静雄がソファでうずくまる光景に、いつもの臨也なら薄く嘲笑っていたことだろう。
だが今はそんな状況ではなく、明らかに臨也拒否反応。ついでに恐怖症を引き起こし、いつもの怒りっぷりはどこかへ消え去っていた。
そんな静雄に臨也は嘲笑う気など毛頭なく、かと言って労わることもできず。
ただ見つめ、悩むだけだった。
その間も静雄は体を震わせ、どうにかこの状況から逃げ出せないかと思案している。
夢の中でキスされた相手といるなんて。しかもその相手が臨也。恥ずかしいにも程がある。
新羅は夢ではないと言ったが、恐らく自分を慰めるための狂言だろう。
こんな欲求不満の汚れた自分を慰めるための。

静雄は自分のことを汚れている、そう認識していた。
こんな薄汚くて、変な力が出て、すぐに人に当たる自分は汚れている。本物の化け物だ、と。
それに比べると、臨也は純粋な人間で、人間を愛している人間だ。愛している、ということはそこに欲があっても当然。
でも、自分は汚れている化け物だ。だから人間でない自分は欲求不満なんて以ての外で、常に無欲であり続けなければならない。
静雄はそう考えていたから、臨也の言っていることを受け止めてこれた。自分は化け物、異端、異常。
なのに、あんな夢を見てしまったらもう臨也をそういう対象としてしか見れなくなる。
駄目だ、欲が自然と溢れ出てくる。愛されたい、愛されたい、と本能が疼くのがわかってしまった。理解してしまった。認めてしまった。
だからこんなにも体を震わせて、自分以外の物体を遮断してうずくまっている。
臨也はその様子を見て相当な悲壮感を覚え、罪悪感さえも芽生えてしまった。

「シズ、ちゃん」

声をかけることさえ、躊躇われた。それでも何とか声を絞り出すと、随分と情けない声が出てくる。
臨也はそんな自分に内心で舌打ちをして、静雄の方に歩み寄った。
足音がする度に、体が大袈裟に跳ねる。その行動が、臨也の罪悪感を余計に募らせた。

「っ、手前は……俺のこと、嫌いだろ……?」
「え、あ、あぁ……そう、だね」

この場合は肯定してよかったのだろうか。臨也のその決断はその後の静雄の様子によって後悔へと導かれる。

「俺は、化け物で、気持ち、悪くて…愛されなくて、なのに、っ……愛されたいって、思って………俺なんかが、俺、なんかが…」
「し、シズちゃん?」

ひぐひぐと声を上げて泣き始める静雄に臨也は本気で狼狽した。
臨也はこんなに弱弱しくて、こんなに怯えた静雄を見るのは初めてだ。
普段自分が軽々しく口にする愛、という言葉に囚われて、怯えて。
けれど、やはり臨也は昨日の出来事もあり、静雄には触れられない。静雄が小さく震えて泣いているのを、ただ見つめることしかできなかった。


続きます

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