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なまえは怒らない


なまえは怒らない。
なまえの服を干そうとして間違えて海に落としちまった時も、なまえが気に入っていたマグを割っちまった時も、なまえの櫛を壊した時も、なまえは怒らなかった。
眉根を下げて困ったような少し悲しそうな顔で、いいよ、と俺を許すのだ。
昔っから、なまえのそういうところだけは好きじゃなかった。

* * *


ガシャン、とガラスが割れる音がして顔を上げた。
なまえの足元には割れたグラスが落ちていて、水が飛び散っていた。なまえはグラスを持った形のまま固まって俺を見ている。その目は大きく見開かれ、暗がりに居る猫のように瞳孔が大きくなっている。

「………なまえ?」
「シャチ。」

どきっとした。
普段聞かないような声だった。氷点下、そんな言葉が似合うような。真冬に、バケツいっぱいの氷水をぶっ掛けられたような。とにかく冷たい声だった。
割れたグラスを跨いで、なまえが俺に近付いてくる。
小さな手が俺の輪郭に触れた。銃や刀なんか持ったことのなさそうな柔らかい、けれど温度の低い手だ。
細い指が俺の口端に触れたとき、ピリッとした痛みが走った。反射的に眉をしかめる。
どうしたの、と、なまえが冷たい声で言った。温度の低い手と同じように、名前の声音にも温度が無い。

「ちょっと。喧嘩してきた。」
「相手は?」
「さあ……まだ酒場に居るんじゃねぇ?」
「そう。」

冷たい手が離れていく。
なまえはふらりと食堂の扉から出ていった。
その割れたグラスは俺が片付けなきゃなんねぇのか。出ていってしまったなまえに、小さくぼやいた。

* * *


なまえは怒らない。昔っからそういう奴だった。自分が何をされても、拳を握って耐えるだけだった。そういう奴なんだ。
少なくとも俺の中のなまえは、そういう奴だ。
だからああいう、冷たい声したなまえだけは苦手だった。


16/04/16~16/05/06
 

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