窓の向こうに憧れたものはなかった
「病気なんだ」
「部屋の外に出ると死んでしまう」
「私は一生、この部屋でチューブに繋がれて生きるしかないんだ」
話し相手にすらならない、大きなうさぎのぬいぐるみに話しかける。当然、返事が返ってくることはない。
ベッド脇の壁にある両開きの窓からは、街の様子がよく見えた。
窓の下の通りを、まだら様の帽子を被った 長刀を持った男が歩いて行く。隣には、小柄な少女。
(いい、なぁ)
この部屋には、いろいろなものがある。
私の体に繋がっているチューブと、それが生えたよく分からない機械。私が寝起きするベッド。私が退屈しないようにと、父さんが買い与えてくれた何冊もの本や可愛らしいぬいぐるみ。綺麗な外国の置物。
その全ては、それらが運ばれてきた時は私を喜ばせはしたが今となっては邪魔でしかない。機械もチューブも、本もぬいぐるみも置物も。虚しいだけだ。
窓から見える景色は、見るたび私を虚しい気持ちにさせる。
外が恋しくないわけじゃない。私の知らない世界が目の前にあって、だのにそれに触れられないというのはとても寂しい。虚しい。悔しい。
「……病気、なんだ」
返事を返してくれない相手に話しかけるこの行為は、他の人にとっては無駄でしかない行動なのだろうが私にとってはちゃんと意味がある。
喋り方を忘れないように、父さんの厚意を無にしないように。
父さん、私寂しくないよ。退屈してないよ。だから大丈夫だから心配しないでね。
また、下の通りをあの男が通った。
「……外に、出ると、死んでしまう」
誰に言うでもなく、呟いた。呟きは誰に届くこともなく、うさぎのぬいぐるみの綿の中に溶けていく。綿の愚痴が、呪詛がうさぎの中の綿に絡まっていくのは少し、可哀想に思う。
窓の下を通る男が、不意にこちらを見上げた。目が合った気がした。
ひらりと手を振ってみる。
男は気付かず、また正面を向いて、少女の手を引いて歩き出してしまった。
興味を示されなくて当然だ、私は所詮 “街人A” なのだから。“窓からこちらを見下ろす少女” あたりか。
男の腕には、さっき通ったときには無かった紙袋が抱えられていた。
「……いっそ、死んでしまおうか…」
チューブに繋がれたまま人として、女として機能せずこの無機質な部屋の中で死ぬのは嫌だ。
あの男を見てそう思った。
チューブを外して腕に刺さる針を抜いて、一人は寂しいからと大きなうさぎのぬいぐるみを両腕でしっかりと抱えて窓を開け放す。
私がチューブを外したせいで、機械がビーッビーッという耳障りな音を出した。
じゅく、という変な音がして、晒された腕や頬が痛んだ。
椅子を窓の下に持ってきてその上に上がる。
椅子の高さのおかげで、窓の外には難なく出られそうだ。
窓枠に片足を掛けた。
バタン、と部屋に誰かが入ってきた。私の名を叫ぶ彼らを無視してもう片方の足も窓枠に置く。
視界に入った腕は、焼け爛れていた。体液がうさぎの顔に染み込んでいるのを見た。
「父さん、病気は治ったんだよ!」
窓枠を蹴って、飛んだ。
加筆修正、2018/04/12
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