無題
勝手に現れて、用が済んだらさっさと出て行く。そういう、勝手な者たち。
家の電気は消えていた。人の気配はあるが、動き回ってはいない。おそらく、皆、眠っているのだろう。
眠っている者を起こすのは忍びない。
どうしたものかと、ゲンカンの前で右往左往していると、引き戸がカララと、極めて静かに開けられた。
「おまえ、こんな夜中に人の家の前で、何してるんだ。」
戸を開けたのは、髪の色素の薄い、弱そうな人の子──夏目レイコだった。少し年月が空いたというに、レイコは、姿形がまったくと言っていいほど変わっていなかった。…いや、髪は短くなったか。
仕方ないなというように、レイコは、人差し指を静かに口に持っていって、戸にかけていた手で小さく手招きをした。
着物の合わせのところを握って、促されるまま人の子が退いて空いた空間にちょこちょこと入り込んだ。
また静かに戸を閉めたレイコは、地板に足を乗せる前に足の裏を二度ほど払った。
階段をあがって、畳の間に通された。どうやらそこで寝起きしているらしく、部屋の片隅に机があるのと、箪笥がひとつあるだけの部屋には、一揃いの布団が敷かれていた。
部屋の前でぼやっとしていると、おいでと手招きをされた。失礼、と小さく言い、軽く頭を下げて室内に入った。入ってすぐ脇にずれ、その場で膝を折り、体の向きを変えて障子を閉めた。そしてまた体をレイコに向け、姿勢を正す。
「この度は、夜分遅くに大変失礼をした。」
三つ指ついて頭を深く下げると、レイコは何故だか激しく狼狽しているようだった。
顔を上げろとレイコが言うのでそれに従うと、レイコは困ったように眉尻を下げた。
「いつまで待っても名を呼んでくれないから、名を返して頂きたく参上した。レイコ、どうか、名を返してくれないか。」
「レイコ…?」
レイコが怪訝な顔をした。
どうしたんだと尋ねると、レイコはすっと私を見据えた。
「レイコさんはおれの祖母だよ。」
「祖母?」
「ああ。おれはレイコさんの孫だ。」
つまり。レイコさんは死んだんだよ。いつ。おれが産まれるよりも前だ。
数瞬、言葉を失った。そうか、と短く言い、名を返してくれと再度言った。
*
「レイコさんに会いに来たのか。」
ひどくぐったりとしている夏目が、布団にうつぶせになりながら、くぐもった声で言った。名を返したあとは、ひどく疲れるのだと言っていた。
「そのつもりだったのだ。よろしくないものがお前に近付くのが見えたから。」
「よろしくないもの?」
夏目は顔だけを私に向けた。そうだ、とひとつ頷く。
「だから、今度は守ってやろうと。以前にも、似たものを見たのだが、そのときは間に合わなかったから。」
夏目はじっと私を見ていた。目元だけでは、夏目が何を考えているのかは分からない。
薄茶の目に、正座する私が映る。夏目の瞳孔は猫のように細いと知った。
「お前を、レイコの代わりにしているわけではないよ。」
「…そうか。」
眠たそうに、夏目は長いまつげを伏せた。
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