Peeeeer baccanale!!!!

 飼い主たちはそれぞれに買い込んだものをキッチンに積み上げ、今日ばかりはととっておきのワインを冷やした。
 メローネはらしくなくタイまで締めて手慣れた手つきで林檎の皮を剥いているし、テーブルクロスを広げるリゾットの眉間の渓谷はいつもより浅く見える。ホルマジオは猫の留守中に見つけたプレゼントを包装し直し、ギアッチョはそんなはしゃぎきった同僚たちを呆れた目で眺めている。――文句を言いながらも郊外の猫が贔屓していたパン屋に車を走らせたばかりだというのに。
 イルーゾォとペッシは四苦八苦しながら埃の被った花瓶を洗っては真っ赤な薔薇を飾り、プロシュートは煙草を銜えながら、ヴォイエッロ社のパスタにソースを絡める。
 それとソルベとジェラートはソファを占領して、いつも通り思い思いの罵倒と愛の言葉を発表しあっていた。いつもと違うのは向ける相手が互いでなく、あの猫宛だということだ。

 ところで当の本猫は。

「あ゛〜〜〜ッ、さびぃーーッ!」

 浮かれた大人たちに帰ったばかりの棲家を追い出されていた。
 冬も深みに達した二月頃、バールに入って一杯引っ掛けようにも「何も食うなよ! 何も飲むなよ! 女とシケ込むなよ!」と二度も三度も言葉を替えて言い聞かされたロゼットは、言いつけ通りなにも口を出来ずにいる。

「ったくよォ」

 悪態をついても、ニヤけた顔では格好がつかない。他所でどれだけ可愛がられても、彼らのぶっきらぼうで、それでいて蕩けるような甘やかしは格別だった。
 しかしその我慢も限界に近い。放り出されて約一時間。堪え性のない猫は、街を散歩するのにもすっかり飽いていた。そんな時ばかりは普段は気にも止めないランプレドットの車屋台や、通りすがりの浮ついた視線が酷く魅力的に見えるものだ。

 『素直でよいこ』のロゼットは言いつけ通り、壁に持たれて煙草をふかしていただけ。ただそんな彼に興味を引かれた人間がその冷えた体を暖めてあげたいと思うことに、思われることになんの罪があるだろう。
 ロゼットはしょうがねえなとポーズを取りながらも、内心ではこれ幸いと腕に絡む女の金髪を撫でた――瞬間のことだ。押し付けられた携帯が季節外れのクリスマスソングを奏でる。

「……見張ってんの?」

 驚愕の滲む声に、電話口に立つ男はくくと喉を鳴らせた。

「そろそろ腹空かしてるだろうと思ってなァ。子猫ちゃん、戻ってきていいぜ。隣の"フロイライン"にはお引取り願いな」

「見張ってんの!?」

「アホ、見張ってなんかねえよ。見てなくったって、お前のことなら分かるんだよ。じゃあな」

 早く帰ってこいよ〜、と明るい声を上げて、ホルマジオは会話を強制的に終わらせた。
 ロゼットはもうなにも聞こえない携帯を眺めてから、胡乱な目で辺りを見渡した。勿論、それらしいものは発見できない。柄悪く舌打ちをして、革パンツの後ろにそれをしまう。

「中々好みだっつーのに勿体ねェなあ、畜生」

「どうしたのン? 誰からの電話かしら。もしかして、恋人とか」

「ンにゃ」

 飼い主からの呼び出しだ。そう言って飼い猫は、首輪のない首をこきりと鳴らした。


※※※


 空が名残の太陽に焼ける。名前の無い色、鈍いグラデーション。
 死んだ太陽の光が街を照らし始める頃、まとまりなくグラスをぶつけ合って、一年の散歩から帰ってきた子猫の出迎えは始まる。
 
「In vino veritas(真実はワインの中にある)!」

 テーブルクロスに白く染められた卓を囲んで――といっても10人が囲めるほどこの家のローテーブルは広くない。それでも各々、ソファに腰を下ろしたり、ダイニングから椅子を持ってきたりと、思い思いに足を伸ばしている。
 折角のワインを味わいもせず、一気に飲み干したロゼットは隣に座るメローネにしなだれかかるようにしてそう叫んだ。

「ああ、俺のネッタレ! 一体どこで何をしていたんだ。一体何を学んでいた! ところで俺はこの一年、心配でいくつ眠れない夜を過ごしたと思う?」

「嘘吐け馬ぁ鹿。ンな健康そうな顔してナニ言ってんだよ」

 メローネの大仰な哀願をロゼットが鼻で笑い飛ばすと、既にアルコールで気分を良くしたプロシュートが、反対側から彼の肩に手を回す。

「まったく違いねえな! でもこっちのリゾットは違うぜ〜? 我らがリーダーはなァ……ニャンニャンが留守してる間、一体なにを買ったと思う? なんとまあ、抱き枕だ!」

「アハハハ! まじかよリーダー! 駄目だ、想像するだけで腹痛ェ!」

 猫とプロシュートの高らかな笑い声のユニゾン、なんか抱っこしてないと眠れないんでちゅかー?と揶揄するジェラートのやじや、口にしたビールを噴き出しそうなホルマジオと息もできない程肩を震わせるギアッチョたちの無音の悲鳴が部屋に響き渡る。しかし当のリゾットは、一言も言い返さずサラミを口に入れるだけだ。

「――えッ……オイオイオイオイ。嘘だよな〜」

「ま、まさかだろ?」

 笑いすぎて涙目のイルーゾォとメローネが、引きつった笑みで尋ねる。チームのリーダーは、それにも沈黙で返した。
 その時、リゾットチーム全体にかつてない程を衝撃が走る。迂闊に取り返しのつかないことを口走ってはならないと、発端のプロシュートさえ形良い唇を引き締めた。
 ゴクリと、誰のものかも知れない喉が生唾を飲み込む。
 
「……冗談だ」

 それはリゾットのものだったようで、彼は口の中身を嚥下すると、少しだけ口角を上げてみせた。
 一気に緊張の糸が切れる。「なんだよーッ! リーダーも人が悪いぜぇ」とペッシは空になった兄貴分のグラスにワインを注いだ。その手が微かに震えていることを、指摘できる者は誰もいなかった。ペッシの言葉を皮切りに、ようやく馬鹿騒ぎは勢いを取り戻したが、

「リーダー……マジでだよなッ! なッ!」

 若干一名――リーダーを一等尊敬しているはずのギアッチョだけは、いまだ心配そうに、フォークに突き刺した肉を口に運べずにいる。再び、リビングは笑いに包まれた。

 そんな騒ぎを経て、テーブルに並べられた時は水揚げしたばかりだったレタスとトマト、人参にオリーブ、モッツァレラチーズを乗せた山盛りのインサラトーナはいくらか室温に戻ってしまっている。酒と流し込めば同じだと取り分けて、ロゼットは適当にフォークを口に運ぶ。

「心臓に悪いっつーの。まあオレは、一晩も独りじゃあ寝れなかったけどな」

「……ロゼット、俺はそんな風にお前を育てた覚えは」

「リゾーット、アンタまだ冗談続けてるわけ?」


「おーーい、ロゼットっちゃあん。久しぶりにお兄さんの膝の上おいで〜ッ。どんだけ立派になったか見せてみろよ」

「おっし、行ってやろうじゃあねェか。ギアッチョ、足揉めッ」

「なんでだよ!」

 手招くホルマジオにつかつかと歩み寄って、ロゼットはあぐらをかいた彼の上で足を伸ばしたり――。(結局はメローネがマッサージをすることになったが、猫は二秒でくすぐったいと逃げ出してしまった。)

「ヤニくせーーッ! 酒くせーーッ! にんにく臭ェーッ!」

 目の視点の定まらないイルーゾォが悲鳴を上げながら鏡の中に逃げようとするのを、同じく酔いどれたソルベが羽交い絞めに引き止め、その顔にプロシュートが煙草の煙を吹き掛けたり――。(足取りの覚束ないギアッチョが窓を開けることで事なきをギリギリで得た。)

「つまみがねぇぞつまみが! ロゼット、なんか作れッ!」

「プロシュートぉ……アンタさあ、まだ作ったら作りっぱなしなのかよ」

「おう! ったくオメーがいねェ間は皿代嵩んでしょうがなかったぜ」

「捨てるな、洗えッ!」 

 久しぶりに立ったキッチンの荒廃ぶりに頭を抱えるロゼットの腰には、ホルマジオの腕が回されたり――。(皿を洗うのは後!と放置を決め込もうとした猫をたしなめて、並んでスポンジを走らせる。つかの間の夫婦気分を味わっていた彼の表情は実に幸せそうだった。)

「ジェラーット! 愛してるぜーーーッ!」

「ソールべッ! おれもおれも!」
「なんで俺を挟んでェッ!?」

「ギャハハハ! ギアッチョ、いいッ!その顔最高だぜ!」

 バカップルに挟まれ苦悶の表情を浮かべるギアッチョを肴にウォッカを一瓶開けたり――。 

「飲んでるか、ペッシ」

「もっと飲め!」

「リーダーとロゼットは飲み過ぎだろーーーッ! もう飲めねえよお」

 銀髪二人の飲み比べに無理矢理ペッシが引きずり込まれたり――。(勝敗が付く前にロゼットの身柄はメローネに確保された。)

 それからも小突き合い、笑い合い、存分に飲んで食べて、十人は五年前からは考えられないほど気楽な時間を過ごした。一度汚れた手は元には戻らない。拭っても、手の皮が剥けるほど水に流しても、どれだけ、どれだけ苦しもうとも。それでも、その汚れた手で掴めたものがあった。それでも、背中を預け合う命はまだそこにある。
 だからこそ、愛しい愚か者たちの宴は、もう少しだけ、続く。


Peeeeer baccanale!!!!

「ぅあー」
「ロゼット、どこに行くんだ?」
「おトイレだよおトイレ。そこまでついてくンのか?」
「そんなことしねえよ。……来い!」
「なにがッ!? なにを寄越せって言ってんのアンタ! 助けて、メローネの目がマジだ!」
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