「たっだいま〜」
酒と煙草とけたたましい女物の香水が、冷たい冬の早朝の風に漂う。聞きなれた浮かれた口調、見えてないけど浮かれた足取り。それでも体はいつものように冷たいんだろう。
軋むフローリングの音と一緒に、何故か鼓動も早くなる。
リーダー、ホルマジオ、プロシュートや俺を見るときは緩められる瞳は紅茶色。それでもどこか肉食獣を連想させるその目が、俺は大嫌いだった。凶悪な形に似合わず宿る光は暖かく、いつか冷めてしまう日を思うと、それはそれは恐ろしいものに思えるからだ。
「おかえり、ロゼット。朝帰りとはいいご身分だな」
背を向けたまま、腰に腕を回してくる弟分を迎え入れる。いつの間にか自分より上にあるヘラヘラとした笑顔に包丁を突きつけると、雑にくくっている所為で結びきれていない銀色の髪が頬にかかってきてむず痒い。
「イルちゃん、謝るからソレ下ろして?」
少しも悪びれていない様子で耳に口を寄せる。家族だ家族だ言う割には態度は、ホルマジオ譲りの過剰さで、抱擁にようやく慣れたレベルだというのに、どんどん……なんというか、とにかく心臓に悪い。
「謝る前にはなれて「にゃー」」
子猫、というにはほんの少しだけ低めの鳴き声。黒い毛並みの、美しい成猫がロゼットのコートの胸元から顔を覗かせていた。一度目が合ってしまうと、くりくりとした透き通る青いそれから視線がなかなかそらせない。
「はなれてにゃあ? 美人だろーコイツ」
黙れ。くすくす喉を鳴らし、ロゼットは猫を抱き上げる。そして黒猫のふわふわしている腹部に顔を埋めた。顔に毛がついて痒そうだ。
毛、服。……洗濯は……今日は、プロシュートか。あいつが当番を守るワケないし、後でロゼットに手洗いさせよう。でも酔っ払ったコイツが素直にやるとは思えない。結局俺がやんのか?悶々と後始末のことを考えると、はあと浅いため息が零れた。
「で、彼女、どうするつもりなんだ?」
「目が合ったから連れて来ちゃった。家族だな。名前つけなきゃなだ。ただのネコじゃかわいそすぎる」
頭の悪そうな喋り方。酔っ払いが。
猫のせまい額に唇を落として、ロゼットは動物と同じように目を細めた。その表情は、俺の知っている幼いころのロゼットとおなじ――得体のしれない不気味さと、甘やかしたくなるような無防備さがあった。
「だからイルーゾォ、ご飯作ってやって。ついでにオレのつまみ。あ、あと、腰いてェからマッサージ希望」
「台所に直行の訳はそれかよ。塩でも嘗めとけば?マッサージにはピーラーとか使うよ」
「ピーラーはやだよ!!」
それでも今日は、びっくりするくらい優しくしたくない。
ロゼットはちぇーとかけちーとか言いながら、ホントに塩で酒を飲み始めた。赤ワインに塩って会うのか?ソルティードッグはウォッカで、ニコラシカは砂糖だ。
で、猫の餌。……魚? 缶詰だと塩辛すぎる。もう大人みたいだからミルクじゃ足りない、んだろうか?生き物を飼うのなんて初めてで、俺の頭はぎしぎしと回転した。思考を走らせながら、暢気にごろごろしてる元凶を見下ろす。また、あの青い瞳と目が合う。
猫……ねェ。
「にゃんにゃん、取り合えず牛乳でいい?」
「にゃー」
機嫌よく返事をくれた彼女の横にしゃがみこみ、ふわふわの毛並みを撫でる。思った異常に柔らかいソレからは、野良生活は一切垣間見えず、俺は一匹目の猫に疑いの眼差しを向けた。
「ん? なんだ」
「本当に、 拾 っ て 来たのか?」
「そうだけど」
「……へえ」
「っえええ!? 何その間!! イルーゾォ何疑ってんの!」
今更盗みとかそんなものを怒るほどカワイコぶれないが、やはり嘘を吐かれるのは面白くない。ジトっと睨んでいると困ったような笑顔でこちらに近づいてきた。反射的に一歩後ずさる。
「マジで拾ってきたんだって。そんな目で見んなよ」
前髪を梳かれ、慣れた手つきで腰に手を回された。安い酒の匂いと見下ろしてくる優しげな視線。うっとおしくなって手を弾く。「わかったよ」と呟いても、ロゼットは放してくれない。
なあ、放してよ。だって俺は知ってるんだ。暖かい視線も何時かは、冷めていくことを。それは、本当に泣きたくなるくらい――、一瞬の出来事なんだ。
こいつは俺を抱きしめる時と同じ目で、人を殺して愛を囁く。
fine