Like an apple!

「なにやってんの?」

 その声は凍らせたミルクよりも冷たく、ソルベは一瞬あの寒い冬の日を思い出した。
 顔を上げれば、表情さえも氷菓子のような青年が、アイスブルーの瞳でこちらを見据えている。飲み込まれるような、仄明るい闇。泣いているようにも見えた。

「ジェラート……」

 平常通りのテノールに微かに滲むのは焦り。あんまりにも自然にあんまりにもしなやかに命を預けられたものだから、元来の面倒見のよさも手伝い、男は甘えてくるロゼットを拒むことが出来なかった。
 膝で微睡む子供を睨み、彼の片割れは唇を固く噛む。柔らかそうな朱色のそこからは赤い血が滲んだ。

「離れてよ」

 『それ』に触らないで、と開きらない瞳を擦る子供の手を引いて、ジェラートは唸った。怒りに上ずっているせいか変声期をとうに終えたはずの男にしてはいくらか高めの声。
 されるがまま、ロゼットはとろんとした目をしてソルベの膝元から離れる。
「悪いな。ここってあんたの場所だった?」と呑気に訪ねる子供の甘い声。生ぬるい手首。テリトリーに踏み入られた苛立ちと、大事なものに移った他の生き物の体温に、ジェラートのいまだあどけない顔は原始的な嫌悪に歪む。
 そうして、彼が手を高く上げたかと思うと、

「泥棒猫」

 子供の頬を張る高らかな音。それはジェラートの細身な体からは信じられないほどの威力で、ロゼットの小さな身体は強かに床にたたきつけられた。
 理解の追いつかない頭で、ようやく覚醒した目を瞬く。

「いってェ……ッな。イステリーア・ネヴラステーニコ・カリーノガッタ! あんた、女みてェだ」


 もう一度、破裂音に近い音を立てての殴打。


「――ちくしょ……! どっちが猫だよ、くそッ……」

 ふらつく足元を懸命に堪え、ロゼットは小さく唸る。部屋を追い出され、螺旋階段を下る途中。赤く腫れ上がった頬に宛てがわれたのは、冷えたワイングラス。
 その中で揺れる赤い液体はふんわりと甘いアルコール臭でロゼットの鼻孔を擽った。

「大丈夫かァ、ロゼット? ほっぺたにリンゴがついてんぜ」
「チャオ、ホルマジオ! 超ツッケローゾ、マジ最高の気分」

 ロゼットは何か苦いものでも飲まされたように顔を、階段を己とは逆に上ってきていたホルマジオへ、わざとらしくしかめてみせる。
 しかしながら彼はなんてこのないようにその反応を鼻で一笑し、グラスを持つ手とは逆の腕で子供の体を抱き上げた。そして未だ痛々しく腫れた頬に頬ずりをし、くつくつと喉を鳴らす。その時の彼の顔はまさに至福と言わんばかりのトロケた表情であった。

「部屋来いよ。唇も切れてるし、消毒してやる」
「ん」

 お返しとばかりに彼の首筋に、殴られた頬とは逆の頬で擦り寄るロゼット。そのくすぐったいような心地良いような感覚に、ホルマジオは再び喉の奥で笑った。
 巻き戻しのように二階に戻る途中、抱きかかえられ持て余し気味の子供の足先から黒いルームシューズが転げ落ちる。すかさず気づいたホルマジオは子供を一旦下ろし、執事のように恭しく小さな足を収め直した。馬鹿丁寧な手つきと、やけに神妙な表情。付き合うようにロゼットもすました顔でそれを受け入れる。
 そんな無言のやり取りを終え、二人は顔を付き合わせ声に出さずに笑いあった。

「それにしてもコレ、誰にヤラれたんだ?随分とまァ力一杯……」

 自室の扉を開きながらホルマジオは言う。

「ジェラート……」

 片頬だけふくらませて、子供はすねたようにつぶやいた。それは扉の軋む音にかき消されて仕舞いそうに小さな声だったけれどきちんと聞きとったホルマジオは、名前を聞いて腑に落ちたように「どうせソルベにでも引っ付いてたんだろ」とロゼットをベッドにほうり投げた。

「なんで分かンの? あんたも殴られた口?」

 アルミの骨組みがむき出しの冷たいデザインのベッドに寝転がり、子供は首を傾げる。夏場のためかタオルケット一枚もない殺風景な寝具は、ホルマジオの匂いだけがした。

「あいつがそんなに怒んの、ソルベにちょっかい出された時くらいだぜ。ソレ以外いつだって、興味ねェですーみてェな澄ました顔しやがってよォ〜。得体がしれねーぜ」

 「フランスの猫みたいだよな」と子供が相槌を打つと、ホルマジオはこれ以上無いほど柔らかな手つきで、エタノールを含んだ真綿をロゼットの口の端に撫でつけた。微かに染みるピリピリとした感覚とあんまりに手厚い対応に、子供はじっと男の顔を見る。
 言葉を促すように、部屋の主がその目を見つめ返すと、

「なんで、あんたはそんなに優しくしてくれるんだ?」
「なんでって、そりゃあテメーが可愛いからだ」

 がしがしと頭を撫でられる。その大きな掌が、ロゼットがこのチームに入って一番に好きになったものだ。

「可愛くなきゃ、こんなに甘やかしてくれなかった?」
「あったりまえだろ〜? おれは可愛いもんが好きなんだ」

 そう屈託なく笑うと男のキツイ目尻は少しだけ下がり、なんとなく動物的な愛嬌がある。

「ホルマジオのそういうわかりやすい所、キライじゃないよ」
「そうか? おれは嫌いだけどなァ、自分のこーゆーとこ」

 そう答えて男は更に笑みを深くする。するとますます優しげな顔になった。それを見て「笑うとカワイイ顔してるよね、アンタって」と笑いながら顔を枕で隠すロゼットの上に、ホルマジオはのしかかっていった。
 男の体温と重み。
 本当、アッサシーノってわけわかんねェ。そうロゼットは心で呟く。

fine
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