この世界で苦しんで

 怯えた黒い瞳。バンビに似たそれの持ち主は、時折問いかけるようにおれを見つめる。
 お前は、自分を許せるのか、と。
 黒い双眸は口よりも雄弁に、彼の意志を伝える。

「ギアッチョ、氷入れて」
「自分でやれや。テメー最近リーダーに甘やかされてますますふてぶてしくなってンじゃねェの?」

 ほら、今も。
 かりかりに痩せた指先の、うすっぺらい爪に歯を立てて。オレがそちらを向くと、急いで顔を逸らした。……そんなに、怖がられるようなことしたっけ?
 キッチンの黄色と白のチェス柄のタイルは西日で温い。夏の容赦ない日差し、ボトルの蓋が音を立てて落ちた。面倒そうに屈んでそれを拾うギアッチョ。

「ンなことねェもん。なァ、イルーゾォはなに飲む?」

 オレンジジュース?そう声をかけると、わかりやすく肩を弾ませてから、イルーゾォの白い顔はますます病的な色になる。そして微かに首を横に振ると、溶けていくように鏡の中に消えた。
 『マン・イン・ザ・ミラー』。正しい方向はどっちだ。



 腹が、痛いを通り越して熱い。目は閉じていても開けていても、真っ白な世界しか見えない。

「あれロゼット。どうしたのー?」
「……任務で、少しな」
「失敗?」
「いや、一応成功はした」

 そんな会話が、ぼんやりとした頭に届く。
 えっと……そうだ、どうだ?……確かターゲットの始末が終わって、待機してるリゾットのところに帰る途中――。記憶は明瞭な形をなさないけれど、とにかくオレの腹には穴が開いているらしい。じくじくとした熱が、そこから全身を覆う。

「大丈夫なの?」
「そう、だな……」

 口ごもるリゾットと、相変わらず間延びした口調のメローネの声が、やけに遠くに聞こえた。
 オレ、死ぬ、のかな?これくらい痛かったことってあんまりないかもしれない。伸ばした四肢はびくともしないし、手の平にあたっているはずのシーツの感覚すら夢の中みたいだ。
 途端、燃えるように腹が熱くなったかと思うと、ねじれるような吐き気がこみ上げる。

「ぐ、……ッあァ!」

 その衝撃で体が傾く。ますます痛みが全身を襲った。

「い……ッ!」

 目を開くと、涙でにじむ真っ黒な世界、否、今にも泣き出しそうなイルーゾォの瞳。ベッド脇にしゃがみ込んで、オレの顔を覗き込む。結ばれていない黒髪が、さらさらと頬を掠めた。
 そんな顔するなよ。
 胸が締め付けられるような切ない表情に、つい手を差し伸ばしたくなる。
 少し持ちあげるだけで声にならない程だから、そんなことは出来ずに終わるのだけれど。

「なあ、死ぬのか?」

 柳眉をひそめて、イルーゾォはそう言った。少し掠れた声。

「そう……だな……結構、死に……そう」

 息をするだけで血の味がする。それでも、こいつの顔を見ていると声を返さないといけない気になる。深い森で一人うずくまる子供、そんな感じだ。
 その黒い瞳を色付け湧き上がるのは、悲しみでも憐れみでもなく、

「巫山戯るなよ……ッ!」

 怒り。

「この世は辛い、怖い、醜い。そして……恐ろしく……いたい……」

 それでも、イルーゾォは歪に笑った。

「お前だけ先に楽になるなんて……許さない……ッ!」

 ああやばい、吐きそう……。 

「それ……一緒に生きてくれ……って、こと?」
「は?」
「すごい、プロポーズ……だな」

 死ねなくなった、と弱々しく笑って、オレは目を閉じた。

「命に別状は、ないらしい」

fine
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