氷が溶ける体温

 静寂で目が覚める。不思議な感覚だが、こういう事は少なくない。わざとらしいほどの静けさ。おれはマットレスから体を起こした。真昼の熱気が、薄い壁を通してまとわりついてくる。
 クソったれ!滅茶苦茶あちい!
 大量に吹き出した汗の所為か、喉は乾ききっている。

「おい、誰もいねえのか?」

 額に浮かんだ汗を拭いながら、階段を下る。そして、リビングの扉を開けば――、

「ちっ、テメーかよ」

 丸い後ろ頭。閉めきっていたのか、どこよりもこの部屋が暑かった。テーブルの前に座っている子供は、悪態をついても、こちらを振り向きもしない。
 馴れ馴れしく飛びついてくると思ってたが……、こないだと随分態度が違うじゃねえか。なんとなく面白くないけれど、まあ好都合といえばそうだ。
 冷蔵庫からサンペレグリノのボトルを取り出して、一気に飲み干す。まだ冷えてねェ。

「ぬっる……」

 舌打ちを一つ。そうしてから視線を、未だテーブルにへばりついているガキに向けた。
 息一つさえ慎重に繰り返す様子に好奇心にくすぐられ、ゆっくりと歩み寄る。

「なにやってんだ?」

 後ろからやつの手元を覗き込めば、古びたカードが、震える指先で積まれていた。

「Spielkarte・Turm(トランプ・タワー)」

 あまり耳馴染みのない言語と、最後の一段。

「……こういうのってよォ……崩したくならねえか?」

 残酷な快感に背中がゾクゾクとし、指先が甘くうずいた。俺は今、相当意地悪く笑っているんだろう。

「……くだらない、っていうのかと思った」
「こういうのって、くだんねェけど熱中しちまうよな。コイン立てとか」
「――積み終わったら壊してもいいぜ」

 言葉とは相反して、余裕のない引きつった笑み。つられるようにこちらの口角まで震えた。
 おもっしれー……ッ!

「D'accordo(わかったよ)。今崩したら、micioは泣いちまいそうだからな」
「だーれがニャンニャンだっつーの」

 喉の奥で笑いを繰り返すおれに、「いいか?終わったらな!」ともう一度念を押すロゼット。子供は指の震えを押さえるように、深呼吸を繰り返した。斜め45度からの真剣な顔に、なぜかおれまで息が詰まる。
 トランプが華奢な指先から、離れた。

「で、き、た」

 満足気に息をつくと、案外子供っぽい――子供なのだから当然と言えば当然なんだろうが――笑みを浮かべて、こちらを振り向く。
 邪気のない表情。そんな顔も出来るのかと、おれは心無い拍手を贈った。

「さて、いいか?」
「Aspetta(待った)!ホルマジオに写メる約束したからってああああああ!!」
「悪ィ。手が、滑った」

 響く絶叫。指先ひとつで崩れる、カーザ・ディ・カルタ。

「Meingott(なにしやがんだ)!!」

 ロゼットが弾かれるように顔を上げると、その大きな目からは涙が一粒零れ落ちた。

「な、泣くことねェじゃねえか!つかどうせまた嘘泣きだろ!?」
「……窓も……開けないで、がんばった、の……に……ッ」

 次々と落ちる涙は、カーテン越しの日差しに光る。
 こないだのしゃくりあげた泣き方とは違う、静かな泣き方。やら……かした……。

「わ、悪かった!手伝ってやるから泣くな!」

 どうもこの手の泣き顔は苦手だ!
 ロゼットは肩に置いたおれの手を払って、「もういい」と目をこすり、こちらを睨んだ。

「ギアッチョ」

 耳障りの良いソプラーノ。やけに平坦な調子で、名前を呼ばれる。
 
「あ"ぁ?」
「アツい、な?」
「は?」
「暑いな」

 なぜか、だんだんと笑みに歪みだす表情。

「テメー、何が言いたい――」
「ギアッチョ、暑いな」
「……」
「なあ」

 こいつ……目が、据わってやがる……ッ!



「あー!涼しいなー!これがあんたのスタンド?」

 クソ……どうしてこうなった……ッ!
 白いのシャツから覗く、同じように白い腕をおれの首に回し抱きついてくるロゼット。満面の笑みを浮かべた子供の体からは、汗とソーダの匂いがした。

「ベタベタすんなッ!」
「だってギアッチョ、冷たくて気持ちいい」

 へにゃりとした情けねえ表情は、さきほどまで泣いていた人間の顔とは思えない。
 頬に宛てがわれる、生温い手の平。

「空気も冷やしてやってんだから、ひっつくんじゃあねェ!」
「Nein(いや)!」

 それはもう、かなり無防備に体を預けられる。ほそっこい体はネコのよう。ロゼットはしなやかに身を寄せては、耳元でくすぐったい笑い声を上げた。

「っつか、テメー誰かから、おれのスタンド能力を聞いたんじゃあねェのか?」
「いや、ジェラートとか買ってきてもらうくらいでヨカッたんだけど……まあ結果的にベネ!」
「おい」
「ん?」

 ロゼットは身をひねって、当然のようにおれの膝の上におさまった。

「……なんでもねェ」

 馴れ馴れしいんだよ、とか離れろ、とか、まだ認めてねえからな、とか。言わなきゃいけねえことは山のようにある。
 けれどどうにも警戒心0な瞳を見ると、怒鳴るのはなにか違うような気がした。

「『ホワイト・アルバム』」

 罵倒の代わりに、また少しだけ、温度を下げる。
 腕の中のロゼットの体が、小さく震えた。極め細かい肌にはうっすらと鳥肌がたっている。そしてしばらくの間黙っていたかと思うと、すくっと立ち上がって緩い足取りで部屋の外に出て行った。

「……ちっ」

 何度目になるか分からない舌打ち。寒さなんてもう忘れたはずなのに、腕の中がやたらとスースーした。
 そのままボンヤリと、ヤツが出ていった扉を見つめ続ける。リビングと体は、どんどん冷えていった。
 ……どうも、調子が狂う。

「シャワーでも、浴びるか」

 時計に視線を移すと、カチャリとドアノブの回る音。振り向かないままでいると、後ろから体温の高いなにかが抱きついてきた。

「毛布もってきた」
「さみいなら窓開けろよ」
「寒い中で毛布にくるまるのがいいんじゃねーか」

 「それでシチューでもあったら最高」と、贅沢なのか微妙な言葉。
 どこから引っ張り出してきたのか、ふわふわしたでかい毛布をおれの肩にかけた。

「で、膝の上に座んのな」
「ん。logico(とーぜん)」
「もういい、好きにしやがれ」

 ロゼットはもう一度、ん、とだけ首を縦に振って、おれの胸に頭を預けた。

「ちっせェ頭蓋骨」

 片手で掴めるサイズ。サラサラで柔らかい銀の髪が、指の間をすり抜けていく。

「ギアッチョ。腹減ったから買い物行こうぜ。ピッツァが食べたい。サラミとチーズだけのやつ」
「はァ?デリバリーでいいじゃねえェか」
「酒ももうないぞ。暑いから一緒に行こう」
「……くそ。でも行かねェ。リーダーに電話しろよ。買ってきてくれるんじゃあねェの」
「……オレの努力を踏みにじったくせに」

 不満そうに花びらみてえな唇を尖らせて、ロゼットはおれの飲みかけのボトルに口をつけた。泡の浮かぶ透明な液体を嚥下する間も、ちろりと、態とらしくこちらを見やる。
 
「……ハァ」

 いつから、こんなにも『ヤサシイ』人間に成り下がっちまったんだろう。
 毛布をはいで、今度はおれが立ち上がる番だ。

「どっかいくの?」
「……行くぞ」

 行きたくないならこなくていいと続けて、唯一残っていたアルファロメオの鍵を取る。あの真っ赤な車で街まで出るのかと思うと、ますます歩くのが億劫になった。玄関ポーチからもう暑い。

「ふは、面倒だなアンタ!」
「面倒見がいいの間違いだろ」

 さり気無く繋がれた手。振りほどこうか一瞬だけ悩んで、どうせ車庫までの何歩かだと、諦めることにした。

fine
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