毒とトランキライザー 僕はあの青年が苦手だった。
薄い笑みを湛えた綺麗な顔も、血なんか通っていないんじゃあないかと思うほど白く陶器のような指先も、甘言ばかり述べる澄んだ声も。如何にも作り物めいた美しさで、今にも砕けてしまいそうな横顔も。
「フーゴくん」
そう名前を呼ばれるのも、あまり好きじゃない。
「久しぶりだね。みんな!」
久方ぶりの陽の下、芙蓉の香りのする街での友人たちとの再会を、青年は心から喜んだ。浮かぶ満面の笑みに、隣に立つジョルノは一瞬だけだが複雑そうな顔をする。
ここに来るまでには多くの苦難――殆どは彼を溺愛する吸血鬼のせいだが――を乗り越える必要があったが、それはまた別の話。
「ああ、久しぶりオペラ」
「Ciao!オペラ」
「……お前ちゃんと飯食ってるのか?」
「オペラー!」
空港に降り立った二人を迎えるブチャラティ達。「おみやげはー?」と抱きついてきたナランチャの頭を、蕩けるような笑顔で撫でるオペラ。
「ちゃんとあるよ。ああ、皆ちょっと見ない間に随分と大人っぽくなったね」
「ナランチャとミスタはともかく、俺とブチャラティはそうそう変わんねえよ」
皮肉っぽく目を細くする長身の男に、青年はそうだねと言ってから、
「フーゴくんもだよ、アバッキオ。見当たらないけど、今日は何か用事が?」
辺りを見渡して足りない友人を探す。いつもなら彼のあの爽やかな声の小言の一つでも聞こえるはずなのだが。
途端、彼以外の表情が固まった。
「……あいつも、お前と会えるのを楽しみにしてたんだけど」
珍しく言い淀むミスタ。
『パープルヘイズ』は唸る。カプセルが割れなくても、辺りを漂う瘴気、飛沫。内側から徐々に腐っていく感覚に、今では笑いすら溢れそうだ。これでもう誰も近寄らない。
遠くで、扉の開く鈍い音がした。
「……来ないで、くれ」
叫びすぎて潰れた喉から、声にならない声。全身に力が入らなくて、体を起こしていられない。
床を通じて届く、階段を下る足音。この乾いた音を、好きだと言ったのは誰だったろうか。足音の主はどんどん僕に近づいてくる。馬鹿だな、君も死んじゃうよ。
視神経にもウィルスが届いたのか、視界はやけに不明瞭だ。
「フーゴくん」
ただ、陽だまりの中のような空気が、微かに漂った。
僕の名前を呼ぶのは誰。
「お腹、空いてない?」
今にも泣き出しそうな、甘い声。
「タイミング悪いよね。時々あるんだって?」
こうやってスタンドが制御出来なくなるの、と男は言う。
距離が縮まるにつれて、ぼんやりとしたシルエットは段々と形をなしていった。甘やかなエカイユの髪とカフェオレのような色の目の持ち主、オペラの頬は、いつにも増して白い。
「なに、しに……来たんだ……。あんた、死に、たいんですか……ッ」
「酷い声。お水、飲めるかい?」
こちらの忠告を無視して、更に歩みを進めた彼は、ペットボトルをこちらに差し出す。寄りによってこいつを入れるなんて、皆はどういうつもりなんだ。
――皆?靄がかった記憶。頭が冷静に働かない。ああ、皆なんていないじゃあないか。僕はいつだって一人で……誰も僕の気持ちなんて分かってくれない!
視界の片隅で、『パープルヘイズ』が再び暴れだした。あいつの咆哮が、地下室に響く。
「俺のスタンドを忘れたの?これくらいで死ねるなら、今ここにいないよ」
彼らしくない、自嘲気味な笑み。見れば、男を守るようにスタンドが羽を広げていた。
光り輝くほど白い、『ニルヴァーナ』。
「なんの……用、だ」
早く消えてくれ。僕の世界に入ってくるな。
人の体温なんていらない。
「フーゴくん」
一人がいいんだ。
オペラの瞳が揺れる。
「君が、俺のことが嫌いなのはいいよ。少しさびしいけど」
それも一瞬だけ。ふふ、と笑う顔はもう何時も通りだ。
「でもね、君には仲間がいるじゃない」
「こんなとこ……まで、わざわざ、」
説教しに来たんですか?随分と暇なんですね。
だから嫌いなんだ。どんな時でもお綺麗な顔をして、人間味があまりにもない。
「いいや、それはついで。今日の夕飯は何がいいか、聞きに来たんだ」
「……は?」
「初流乃くんはプリン、アバッキオは白ワイン、ミスタくんはトリッパ。トリッパなんて、俺はじめて聞いたよ」
ついていけない僕を置いて、微笑むオペラは言葉を続けた。
「トリッシュちゃんは蟹、ブチャラティくんはホタテのオーブン焼き、ナランチャくんはマルゲリータ」
上がる名前の一つ一つが、崩れかけた脳味噌を形付ける。
「それで、フーゴくんは何がいいのかな、って」
僕は知っている。僕は、持っている。人の体温を、笑顔を、笑い合える仲間の手を、背中を預けられる存在を――居場所、帰る場所を。
馬鹿馬鹿しい。何が、一人なものか。
「……苺」
「OK。じゃあ、行こうか。皆待ってるよ」
体は大丈夫?とのぞかれると妙に恥ずかしくて、僕は顔を背ける。
『パープルヘイズ』は暴れるのを止めて、辺りの掃除を始めていた。
「不安定でいいんだよ。君はまだ子供なんだから」
「僕は子供なんかじゃ……!」
「子供だよ。俺からしたら、可愛くて仕方ないくらい子供だ」
「ッ……!」
「だからいっぱい我儘言って、困らせて」
頬に当てられた冷たいペットボトル。
「それで、俺のことを喜ばせてよ。フーゴくん」
そう微笑む顔には、確かに体温があった。
「君の願いを叶えるのが、俺の幸せなんだ」
差し伸べられた陶器のように白く、水蜜のように柔らかな指先。
脆く儚げなそれは、握りしめると見た目よりもずっとしっかりしていて、何故だか僕は涙が止まらなかった。
心ごと抱きしめて
腕の中のフーゴくんの体は細くて、少しでも力加減を間違えたら折れてしまいそうだ。
それでも、俺は腕に力を加えた。毒の甘い匂いと、フーゴくんから漂うミントの香り。