溺れたかと囁く これはまだ、男が館に迷い込んだばかりの話。
「DIO、置いてもらっている身で何を言うと思うかもしれないけれど、そろそろ此処から出してくれないかな?」
青年は何時も通り、本の居場所を聞くときと同じトーンで、館の主に語りかけた。
この頃は未だ彼のDIOへの態度は柔らかいもので、顔には心からの微笑みさえ浮いていた。
「一応心配されてると思うんだよ」
例え、手首を抑えられベッドに押し倒されている現状でもだ。
上等なマットに身を沈め、目前の赤い瞳を真っ直ぐ見つめるオペラに、DIOは微かな苛立ちと少しの興味を持つ。
「あまり生意気な口を聞くなよ人間……。貴様なんて、何時でも殺せるのだよ」
そこまで言ったところで、DIOは心中で舌打ちをする。この青年はまるで神に庇護されているかのように、力が通用しないのだ。最強を自負していた己のスタンドすら、傷ひとつ付けることが出来なかった。
「それも思ってたんだけど、俺のことを殺したいなら酸素を奪えば一発だよね」
こう水に沈めるとか、とあっさり言いのけるオペラ。流石のDIOも、一瞬言葉を失う。
身軽だとは思っていたが、ここまで己に執着がないというのはどうなのだろう。
「首締めるのはあんまり意味ないよ、DIO」
疲れきった瞳。細い首に巻きつく白い指。どれだけ力を込めても、男の表情は変わらない。
「私は、脆い物には興味がない」
「じゃあさっさと飽きてくれないかな」
男は、この館の主が自分を手元に置く理由はほんのちっぽけな興味だと思っていた。変わった能力の人間が変わった方法で現れたことへの、好奇心。
それ自体はどうということではないが、自分自身、己に何が起こったのか理解が追いついていない状態で閉じ込められるというのは、オペラにとって想像を絶するストレスだった。
「DIO」
うつろな目。まるで自分が自分じゃなくなるような、奇妙な感覚に内側から侵されていくような。
「来い」
名前を呼ばれた吸血鬼は、押し倒していた人間を打き抱え、隣のバスルームに向かう。
その間、DIOは自身に湧き上がる不快な感情が何なのか、無感情に解析していた。傍らの人間の瞳に見えた絶望に、DIOの凍った心臓は脈打つ。
「どこにいくの?」
オペラの言葉を無視して、扉を開く。白いバスタブには、湯と花びらが湛えられている。
青年の顔は、強張る。
「……さっきのは例え話で――」
DIOは青ざめたオペラの顔を見て、満足気に口角を上げた。
「口だけの、死にたがりめ」
見下した口調。そのまま、オペラの後頭部を抑えバスタブに沈める。
苦しげな気泡。ごぼりごぼりと鈍い水音と、その細い体から考えられないほど力強く抵抗する手足。水面が荒く波打ち、DIOの顔を濡らした。
「どうだ?」
オペラの濡れた髪を掴み上げ、痛々しく咳き込む彼に吸血鬼は囁く。
懸命に酸素を取り入れることに必死なオペラは言葉を紡げず、何か言う前に再び水の中に押し込まれた。
「そうか、ならばもう少し堪能すればいい」
DIOは満面の笑みを浮かべ、都合のいい会話を続ける。水面下から響く悲鳴は、実に彼の欲を満たした。
「オペラ、」
それでも、DIOの表情は歪む。
手を離せば、崩れるようにバスタブにもたれかかる青年。意識を手放したオペラの荒い呼吸だけが、タイルに響いた。長い睫毛がそれに合わせて微かに揺れる。
吸血鬼は、青年の薄く白い瞼に一瞬だけ唇を落とした。
「貴様を……手放してなんてやるものか」
そして、吐き出された言葉。それは呪いのように、それは、
永遠の愛を誓うように
「近頃では、そんな殊勝な目もしなくなったな」
DIOは当時を思い出し、腕の中で寛ぐオペラを見下ろす。
今でも、あの時の感情は理解出来なかった。