影と日の当たる場所

影と


 ここに閉じ込められてもうどれだけ経ったのだろう。あいつの生活サイクルに合わせていたら、日付の感覚なんてあっという間になくなった。
 与えられた鍵を持って、今日も館の散策に出る。寝室を降りて二階。色鮮やかな絵画の飾られたギャラリーは、何時見ても飽きない。

「うわ、『聖家族と幼児洗礼者ヨハネ』。レ、レプリカだよね……?」

 確か、現存するミケランジェロ唯一のパネル絵、だったはずだ。そういえばミケランジェロのダビデ像は瞳がハートらしいが、DIOのあの格好はそれをリスペクトしてなのだろうか。

「だとしてもあれはない」

 軽く嘆息をついていると、目の端に何かを捉える。

「ん?」

 その影を追うように横に目を向けると、少し奥まった場所に扉があった。

「こんなところあったっけ?……気付かなかった」

 好奇心のままドアノブに手を掛ける。そこは――。



「オペラは何処だ」

 自分でも分かるほど不機嫌な声音。たかが人間ごときに振り回されること自体が、どうにも腹がたつ。
 動く物に関心を持つのは、面倒だ。

「見かけておりませんが」

 冷静を装うテレンスはそう言って目を逸らした。分り易い。
 黙って奴を見続ける。うっ、などと声を漏らすが、懸命に堪えているようだ。

「……テレンス」
「も、申し訳ございませんDIO様!」
「貴様は、誰に仕えているのだ?」

 一瞥して唸る。下らない抵抗をするんじゃあない。

「……オペラ様は――」

 「私がお伝えしたことは内緒にしていて下さいね!」と念を押され、(本当にどちらが主だか)、突き止めた場所に向かう。足は自然と逸る。

「くだらん。実に無駄な感情だ」

 独りごちる。
 存在もすっかり忘れていた場所。出来ればこんな時間帯には、近づきたくもない。

「仕様のない男だ」

 それでも、そこにアイツがいるのなら。
 軋む音を立てて開く、植物園への扉。すぐ数歩の所に差し込む陽光、その向こうには真剣な顔で本を読むオペラ。
 白い横顔は光を反射して、輝くような美しさ。細い髪が靡いて色を変えた。

「オペラ」



 ようやく眩しい世界に目が慣れた頃、俺を呼び戻す声がする。
 深く息をすると、放っておかれた草木の濃い匂い。
 
「貴様、何をしている」

 扉の方を向けば、そこには声の主、DIOが此方を睨んでいた。と言っても、表情は影になっていてわからないのだけど。

「日光浴」

 近付いていって笑えば、微かに舌打ちをされる。
 たまには俺が意地悪したっていいじゃないか。

「君も来る?」

 手を引こうと腕をつかんでも、びくともしなかった。
 冗談だよ、と諸手を上げてみせても、DIOの険しい顔は変わらない。おや、怖い怖い。

「冗談だよ」

 一歩引いて、辺りを見渡す。元は丁寧に管理されていただろう木々はもう殆ど伸び放題だ。でもどこか、自然とは違う歪み方。

「貴様が、来い」
「いやだよ」

 たったこれだけの距離。普段の君なら躊躇いもなく奪い去るだろう?
 それにしても、陽の下だと、君にも優しくできそうだ。

「絶対に、やだ」

 気がするだけだけど。
 そう余裕ぶっていられたのも一瞬で、『世界』が『涅槃』の手を引いた。一瞬でDIOの腕の中に戻らされる。

「冗談だよ、DIO」

 どうして、君から俺が逃げられるのか。



「ディーオ、拗ねないでよ」

 しばらく黙っていると、まるで子供を呼ぶような、まるで、人間のディオ・ブランドーをあやすような声音で名前を呼ばれる。
 無視をして更に腕を込めると、細い指が髪に絡んだ。

「ねえDIO、俺お腹すいたからさ」

 喉が干涸びたように、

「戻ろうよ」

 飢えが、消えない。

「オペラ……」

 男の瞳に、私の赤い瞳が混じる。濁った赤は酸化した血のように深い。

「DIO?」

 胸を掻き毟られたように、痛い色だ。いっそ喉を掻き切って欲しいだなんて俺らしくない考えが浮かぶ。

「愛だなんて望まない」

 何も理解しない、しようとしない瞳が、このDIOを真っ直ぐ見つめている。

「跪けとも言わない。憎しみでも、恨みでもなんでもいい。決して揺るがない――」

 縋り付いて、愛していると叫んでくれ。

「永遠を、誓ってくれ」



「どんなブラックジョーク?」

 俺の言葉に、赤い瞳がわずかに歪む。
 情が移りだした頃に、壊したのは君じゃあないか。俺たちの間にある関係は、例え温度を持っても、絶対に優しい熱は帯びない。
 何時だって生温い


それは体液のよう


 「寝ぼけてるの?」と突き放される。腕に残る体温にみっともなく縋っている自分が酷く滑稽だ。ああ、愛しも屈しもしないというのなら、

「ああ、そうだな」

 どうやって憎まれようか。
 さあ、君に消えない傷をつくろう。
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