文字の海と紙は森 ドーム状になったアラバスターの天井は高く、覆う絵は暗くて見えない。上階の囲いはアラベスク調。
そして、いくつもの立ち並ぶ重厚な本棚。その中には無象の本たちが寄り添い犇めき合っている。何処をみても、一面の図書。その完璧さと言ったら、背表紙の色合いさえも調和しているようだ。
酷く胸がくるしくなるようなこの感覚は、恋とかそんなものに似ているなとオペラは思った。
深く息をすれば、文字の乾いた匂いが咽返るほど肺に広がる。
「すごい……!!」
やけに冷静な体と、興奮する脳。ある種のインクに思いを載せたその香りが、オペラの脳内で麻薬のような役割を果たしたのか。
青年は、歴史と質のよさが犇々と伝わる棚に手を重ねてみる。鼈甲や琥珀の様な色合いと艶、冷たい木の呼吸。いいようのない快感が彼の全身を覆った。
「満足か?」
夜の図書館に響く、男の低い声。
「素晴らしい!素晴らしいねDIO!!」
青年の興奮した声もまた、遠くの天井に反響する。瞳を輝かせる青年に一歩近づくため、チェス盤の様な床にはこつりと足音が沈んだ。
オペラは備え付けの足場をゆっくりと上り、本棚の最上段の一冊を手にとる。
「まるで夢みたいだ」
うっとりと彼方を捉える瞳。
咲き初めの乙女に似た頬に、DIOの表情は緩む。暗い中で慎重にタラップを降りる青年を、男は軽々と抱き支えた。
「そう騒ぐな。目を、覚ましてしまうぞ」
耳元で囁くように。その声はこのシチュエーションと相まって、恋に堕ちてしまいそうに甘やかだ。勿論そんなことはこの二人に限って、有り得る事ではないのだけれど。
「書物とやらは、デリケートだからな」
「ロマンチストだよねDIOって」
「気持ち悪い」と微笑みを漏らしてから、青年は男の腕からするりと抜け出た。そのまま、花に蝶が誘われるように、本を抱きしめたまま螺旋階段の方へ向かうオペラ。
捕まえても捉えられない青年に、DIOは昨夜読んだ本を思い出す。生温い文体で、まるで輪郭を撫でるだけの言葉で心臓を抱き締めてくる、そんな本だった。
それを勧めてきた青年は、穏やかな顔で分厚い本に接吻するような距離で顔を付き合わせている。辺りは渦高く積まれた書架の山。男はまた、息苦しくなった。
「……おい」
息をする代わりに名前を呼ぼうと口を開くが、結局はそうならない。
唸るような呼びかけ。
「何を考えているのか知らんが、呆れる程無防備な顔だな。気をつけねば、文字に飲み込まれてしまうぞ」
月光に晒される横顔。
「この儘、DIOが俺のこと見失ってくれないかなって思ってる」
月の下に照らされた文字の配列を、熱心に追う瞳。
傍に居なければ呼吸も儘ならないのに、どうやって彼を失えるというのだろうか。
「くだらない。私から逃げれると思うなよ」
「逃げる気はないよ。あとはもう、君が俺に飽きるのを待つだけだ」
横顔、横顔、横顔。何故こちらを見ない。DIOの心中は静かな嵐に襲われる。
「くだらない」
それは衝動。
「そんな期待は、無駄だ……!」
華奢な体を本棚に叩きつける。青年の声よりも先に、棚が大きく軋んだ。
「ここで暴れないでよ」
痛みにではなく、軽蔑に歪む表情。オペラは、まるでここが聖域だと言うように、敬意と尊敬を込めた手付きで書架を撫でた。
「俺は、力には屈せない」
正面から睨む青年の瞳に、歪んだ男の顔が映る。
覆いかぶさるように、DIOは体を青年に預けた。
「ここは、寒いな」
「文字は基本的に冷たいからね」
それは愛。どれだけ手を伸ばしても届かない。
それは、既に死んでしまった光
俺を強く抱きしめるDIO。
最近分かったけれど、彼は酷く脆い。
「それと、連れてきてくれて有難う」
脆いというより、危うい。張り詰めた糸は直ぐに切れてしまうようだ。