忠誠と傷つき方




 生温い部屋。藤蔓で編まれた籠の中の果実から、甘い腐臭がした。
 熱にぼんやりとしていると、男の足が視界を横切る。つられるように本から顔を上げれば、死体を片付けに来たらしいヴァニラ・アイスと視線が触れ合った。

「化物が……ッ!」

 吐き捨てるような言葉。目があっただけだというのに、酷い言われよう。俺が化物だというのなら、君が仕えている『アレ』はなんだ?
 軽く溜息を吐けば、その反動で淀み倦怠した空気が肺に戻ってきた。

「認めよう。わたしは、貴様が恐ろしい」

 DIOに向けるような狂気は、今の彼の目には見えない。あるのは純粋なまでの憎悪と、少しの羨望。毛を逆立てた雌猫と孤高の騎士をないまぜにしたような男だ。
 彼は重い足取りで、ロッキングチェアに揺られている俺に近づく。上等な筈の椅子が、微かに軋んだ。

「眉ひとつ動かさず……血の一滴も流れない。それを人だと言うのなら――」

 そこで言葉を区切ると、ヴァニラは節榑立った手で俺の頬を撫でた。
 言葉とは裏腹にヤケに恭しい手付きからは、DIOへのこいつの深い敬意が伝わる。それでも隠しきれない敵意。触れられた端から肌がピリピリする。

「俺は、人間だよ」

 君と同じ、と続けようとしたが、彼もまた『吸血鬼』だったはずだ。吸血鬼に化物と呼ばれるなんて、なかなか珍しい体験だろう。
 出来るだけ神経を逆撫でしないよう落ち着いて言葉を返せば、嘲笑いながら首を締められた。もしかしたら頬に触れられた時も、爪の一つでも立てられていたのかもしれない。

「お前は化物だ」

 俺には、分からない。

「違う。否定するのも、面倒だけど」

 傷つくことなんてもう忘れてしまった俺は、力なく笑い返す。ますます、ヴァニラの顔は歪んだ。それはなぜだか、とても美しいもののようだった。

「ヴァニラ・アイス」

 すると背後から、絶対的な声がする。俺にではなく、俺の首に手を掛けたこの男にとっての『絶対』。
 屈服を促すテノール。振り返れば、射抜くような視線がヴァニラの瞳を捕らえていた。

「なにを、しているのだ?」

 決して高圧的な言葉ではない。どこまでも優しく、こんな状況じゃなければ心の拠り所になるほど、穏やかな口調。それでも、ヴァニラ・アイスの顔からは色が消えていた。生に絶望する一歩手前、と言ったところだろうか。
 酷く退屈な茶番が始まりそうだったので、俺は静かに立ち上がる。視界を縫うようにして部屋から出て行こうと試みるが、勿論成功するはずもなく――、

「何をしていたのかと、聞いているんだ」

 配下との会話を続ける帝王に、腰を抱きとめられた。 
 退屈だ。俺は漏れる欠伸を噛み殺して、目の前に死体が転がる日常を、単調と感じる自分を少しだけ省みてみる。気付いたときはそれなりにショックだったけれど、今ではそれにさえ慣れてしまった。受容は狂気に、自由は孤独に似ているなと思う。

「DIO様……に、纏わり付く蠅を――」

 化物の次は虫か。随分と俺も偉くなったものだ。




「ちょっと遊んでただけだよ」

 見目麗しい『化物』はそう言って、DIO様に身を預けた。
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