ナインボールとプレイボール




 バンキングの結果は僅差でオペラの勝利だった。
 屋敷の地下に位置する薄暗い遊戯室。照明はDIOが人間であった頃と同じ、ロウソクの火だけ。揺れる光が、ビリヤード台と人を照らしだす。

「俺からね。今更、撤回なんて聞かないよ」

 いつになく勝気な態度の青年は、白いシャツを雑にまくりあげてキューを手にした。いつもはカーディガンを羽織っている所為で気づかれないが、オペラの腕や手は思うより男性的に出来ている。
 体に沿うシャツと黒いベストに腰のラインが露わになっていて、ブリッジを確認する姿はその手の趣味の者が見れば実に扇情的なのだろう。

「なんとでも言うがいい。私は寛大な男だからな。――ほら、始めてくれ」

 だからどうというわけでもないのだが、と椅子に腰掛け指を組む吸血鬼は、意識を卓上に移した。
 返事の代わりに、オペラは無駄な動きなく白球を撞く。
 それは自信のある態度にそぐう、美しいブレイクショットだった。
 力と角度を完璧に計算されたストロークにより、サンライトイエローとシアンのボールがポケットした。

「あ、ラッキー」

 とくにはしゃぐ風もなく青年は体を起こし、次のショットの算段を練る。もちろんそれは長い時間を要せず、すぐに構えに入る。初打がまぐれだと言えない、手慣れた手つき。
 白が黒を弾き、黒がかすめたカーマインがホールへと吸い込まれていく。
 
 気に入りの玩具の新しい遊び方を見つけたように、吸血鬼の気分はいくらか高揚した。
 勝負自体にそれほど楽しみはないと思っていたが、考えを改めてもいいかもしれない。そう小さく微笑むのだった。
 手球とカンパネラパープルを見つめるオペラの横顔を、館の主は台に腰かけ眺める。

「そういう格好してると、君が綺麗な顔してるって思い出すよ」

 オペラはそれを軽く瞥して、くすりと笑った。
DIOの服装はシャツに黒のスラックスというシンプルなものだったが、彼の完璧なまでの肢体によく似合っていた。仕立てがいいのは元より、DIOという男はなにを身に着けても自分の為にしつらえたように見せることに長けていた。

 そうしているとまるでイイトコのオニーサンみたいだと揶揄する言葉を、DIOは笑に付す。養子とはいえ、一時はアッパークラスに名を置いていた身だ。この青年の想像するイイトコとは精々社長レベルで、貶し言葉になりはせよ決して褒め言葉にはならない。

「見惚れてミスをしたなどと――そのような言い訳は聞かないぞ」

 それでも、吸血鬼の高ぶった気分は下がらなかった。
 洗練されたショットにより、またボールがポケットする。

「いいのか、そんなに余裕ぶってて……約束は覚えてる?」

「イギリスの古書街巡り、だったか」

「同伴、なし、で……だよ。ベイカー街でホームズ先生とデートするんだから」

「ああ、私との約束は覚えているか?」

「あぁ……」

 倦んだ喘ぎと共に、また小気味のよい音を立てオレンジの球が落ちた。

「忘れたい」

 ついでとばかりそれに寄り添うグリーンとバイオレットもポケットされ、ゲームはオペラの独壇場であった。しかしDIOの瞳に焦りはなく、しかし青年の瞳には勝利を確信した若い光。

「このまま、勝っちゃったらどうしよう」

 くすくすと声を立てながら、オペラもDIOと同じように台に腰をかけた。キューを縦に構え、またPくらいは稼いでおきたいなと嘯く。
 マッセの構え。ラシャを気にして止めるような野暮な真似はしない。今更、この人間の腕に心配はないからだ。
 それは見事な急カーブを決め、ブラックのボールをつき出す。
 これで台上はイエローとホワイトのストライプ、ナインを残すのみとなった。

 障害もなく別段難しくない場面――ああ、悲劇とはこんな時にこそ起こるものだ。
 こつりと音を立て手球を撞く。それはオペラにとって何百回と繰り返された行為だったが、彼は「あ」小さく息を飲んだ。腕の立つものほど、ミスショットに気付くのは早い。
 手球は、虚しくナインをなぞるだけ。

「爪の甘い男だな」

 アーッハッハと高らかに声を上げ、DIOは青年の体を組み敷くように覆いかぶさる。まさかこの状態で打つつもりじゃあないだろうというオペラの想像は瞬時に覆され、

「オペラ」

 嫌味がましくも『キスショット』でフィニッシュ。それは文句のつけようのない、完璧なショットだった。
 オペラが陰鬱なため息をつくよりも早く、DIOの赤い瞳が鈍く輝く。
 さあ!いざ!と言わんばかりの彼の首に、オペラは身を捩って腕を回し、

「おめでとう、DIO」

 促される前に、ちゅと軽い音を立て、触れるだけのキスをした。
 唇の真横、もしかしたら口の端にはあたっていたのかもしれない。しかしそれは愛しい者にする口吻というよりも、猫が嫌がるように飼い主の頬へ鼻先を押し付ける、そんな動作に似ていた。

「愛してるよ」

「……ふん、些か児戯じみているが素直な態度だったからな。許してやろう」

「ど、うも」

 張り付いたような笑みを浮かべていた口元を無造作に拭って、もう回と人差し指を立てる。

「俺が勝ったら向こうで泊」

「そのような条件を持ち出すのだ……覚悟は、いいのだろうな」

 帝王と呼ばれる男は声を低め、ラシャの上に青年の体を押し倒した。

「いいよ」

 オペラは開いていた両手を鎖骨に触れさせ、しどけなく媚態を興じる。

「好きに、して」

 しかしその瞳には、闘争心と屈辱の火が灯っていた。

 ――いつぶりだろうか、その熱の篭った視線を私に向けるのは。なぁ、オペラ。まるで、恋をしているような顔じゃあないか。

「さあ、オルタネイトにしろウィナーズにしろ、次はDIOからブレイクだよ」

「構わん、君が打っておけ。それが最後になるだろうからね」

「おや、命拾いした」

 明らかに小馬鹿にした態度に憤ることなく、オペラは軽く肩を竦めて台につく。

「じゃあ退屈させないように、しなきゃいけないね」

 否、憤る素振りを見せないだけだ。かのジョナサン・ジョースターとはまた別の意味で静かなる男オペラは、ブレイクショットでいきなりからまでを沈めてしまう。
 その後も間を置かず撞き続け――はじめこそその姿を楽しげに眺めていた吸血鬼だったが、先程と比べて明らかに精彩の増した青年の手つきに、焦りこそ見えないにせよ、不快感を隠さなくなっていた。勿論、彼の様子を横目で見つつオペラの手は止まらない――のボールが、ポケットにすいこまれていった。 




「うん、やっと勘が戻ってきた」
「オペラ……再戦を、断るなよ」
「いいけど……俺が勝ったらここから、出してね」
「……はじめから、それが狙いか?」
 『コレ』は飼いならすことの出来る猫でも、ましてや犬でもなく、
「勿論」
 それより尚醜悪な、人間という生き物だ。
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