三ツ星ヴィネット

『あんたって……いっつもそう。死んじゃえばいいのよ。て、天国では会えないから清々する。る、留守番になってるのも嘘なんだろ』

 残された留守録。受話器の叩きつけられた音が、最後に残った。電話の向こうで「やりすぎたかな」と頭を抱える彼女が見えるようだ。
 精一杯冷たく聞こえるように、目一杯愛情を押し隠した声はとても健気で、

「承太郎、そんな顔をするものじゃあないよ」

「口の減らねえ女だ」

「そうだらしない顔をしていると、エリザの努力も無駄になる」

 横でにやけた顔を隠し切れない友人に、少しだけ意地の悪い気分になる。
 久しぶりにアメリカを訪れればこれだ。別居という名目で借りているらしい単身赴任用のアパートは、実に几帳面に片付けられていて、やけに大きな水槽と壁一面の本棚だけが存在感を放っていた。

「……そんなに酷え面か?」

「とてもね」

 片手で顎を撫でる部屋の主に、僕は少しだけ肩を竦めて答える。
 単純な暗号だ。文節の頭を繋げて読めば――。
 コートを脱いだ承太郎は受話器を持ち上げて、淀みない手つきでナンバーを打ち込む。二秒ほどコール音を聞いて、そして、ぽつりぽつりと愛の言葉を吐く。

「俺はお前ほど暇じゃあねえんだ。もういい加減妙な電話を寄越すのはやめろ。……黙らされてえのか」

 まったく、この夫婦は。

「それじゃあ『おもだ』にならないかい?」

「……花京院、コーヒーくらいしかねえが構わないか」

「ああ、砂糖は結構だよ」

 照れくさそうにキッチンへと引っ込んだ承太郎を見送って、僕はベッド代わりになっているだろう革張りの黒いソファーに腰を下ろした。
 相変わらずの彼に、小さく笑い声が溢れる。キッチンから、シンクにマグカップを叩きつける音が聞こえた。本当に、昔のままだ。

 働くようになってお互いに会うことも少なくなって、それでも僕たちは変わらない。
 そう思って窓から外を見上げる。日本ではお目にかかれないような原色を零した空は、記憶の中のあの場所の空よりずっと低いように思えた。あの旅の間に見た空はどこまでも高くて、吸い込まれそうな色をしていた。
 変わらない。――本当に、そうだろうか。ジョセフさんはまだ若々しく元気だけれど、それでも昔通りとは言えない。失踪したポルナレフはSPW財団の力を借りても、足取りを掴むことが出来ない。エリザと承太郎は恋人同士になって、結婚をして、そして今は別々の場所に住んでいる。

 全く変わらないものなんて何もないと分かっていても、妙な感傷が僕に染み込んだ。
 そんな考えを振り切るように、窓から視線を別の場所に移す。反対側の肘置きに、一冊の本が置いてあった。承太郎が昨日読んでいたものだろう。
 僕はなんの気なしに分厚いそれに手を伸ばし、栞のようなものが挟まっているページを開いた。

 そこには――、

「なに泣いてんだ」

 八部咲きの桜に、白い雲、水色の空。制服に別れを告げる同級生たちは、惜しむように校門の前で思い思いの思いを馳せている。
 僕たちもそうだ。三人での写真も撮り終えてもまだ、移動することなくそこに立ち止まっていた。
 特にエリザは卒業式を終えた途端、それまであくびをし続けていた顔をくしゃっと歪めて以来ずっと涙を流し続けている。ぐすぐすと鼻を鳴らして、屈託なく泣いている。
 そんな姿に目を竦めて、承太郎は小さく唸り声を上げた。そして卒業証書の入った筒を肩に引っ掛けて、大きくあくびをした。彼としては寂しさよりも、清々したという感情の方が大きいのだろう。

「だって、だって……」

 已然感傷の海を泳ぐエリザに、僕はポケットティッシュを渡す。

「ありがと、花京院。……もっと高校生でいたかったぁ……ッ! 毎日、私服選ぶの面倒だよ〜〜ッ!」

「ンなことか!」

「それ以外に何があるっていうんだ」

 いや、彼女が溺れていたのは怠惰の波だったようだ。
 呆れる僕の顔を覗きこんで、「やっと笑った」。そう安心したように、彼女もようやく笑った。


※※※


「友だちから恋愛相談を受けるようになるなんて、思いもしなかった」

「こっ恥ずかしいこと言ってるんじゃあねえよ」

「なぁに二人でヒソヒソ話してるんだ? 私も混ぜろ混ぜろ」


「ねえ花京院。最近私は様子がおかしいみたいなの」

「いつもじゃないかい?」

「いつもだけどね!? ……空条に触られると、変にドキドキする」

「……承太郎ー」

「呼ぶなァッ!」


「……空条と、付き合うことになりました」

「……エリザと、付き合うことになった」


「なに変に気を使ってるんだよ、花京院のお馬鹿」

「大体、このアホに俺一人で付き合いきれるわけがねえだろ」

「言わせてもらうけどね、私もだよドアホ。こんな無愛想な馬鹿男を私一人で相手出来るわけないだろ!」


「水族館に行くぞ」

「動物園だよね!」

「美術館がいいな」


「……お前は、俺と花京院が同時に襲われてたら、どっちを助けるんだ」

「きみたちが勝てないような相手に、私が勝てるとおもうか?」

「そういう問題じゃあ――」

「あはは、それもそうだね」

「三人で倒す。これが、正解だよ」


「中華の気分だぜ」

「和食和食! カツ丼食べるー」

「たまにはイタリアンとかどうかな」


「好きだよ、空条、花京院。大好きだ」

「アホ」

「僕も、二人のことが好きだよ」

「……アホ」


※※※


 だって、悲しくはないもの。
 エリザはくるくる落ちていく桜の花びらを両手で捕まえて、そう言った。彼女の声はいつだって、悲しくなるほど綺麗だった。

「高校を卒業しようが、空条と恋人同士であることをやめようが、空条と花京院とは友達だから」

 それからエリザは真っ赤な目元を擦って、予想外の返答に驚く僕と、微妙な表情に顔を歪める承太郎の片腕を掴む。

「形なんて、なんだっていいんだ。繋がってさえいれば」

 ――たった一枚の写真で、蘇るいくつもの記憶の欠片。ああ、僕はこんなにも幸せだった。
 長くて短かかった50日間の旅。ほんのあっという間の、高校生活。

 きっと、僕が女でエリザが男だったら、僕は彼女に恋をしただろう。もしも、承太郎が女だったら。もしも。きっと。それでも、僕にとってこの二人が、『ともだち』であることを、とても嬉しく思う。とても、誇らしく思う。
 いつまでも変化を恐れる子供ではいられない。あの幸福な日々は、いまも姿を変えてここにある。

「承太郎。君は、この写真を覚えているかい?」


「これは……たまたまそこにあったから挟んでおいただけだぜ」

「おや、別に僕はこの写真を君が後生大事に持っていたことを茶化しているわけじゃあないよ。ただ覚えているか?と聞いただけだ」

 相変わらず食えねえ男だ。
 にこにこと人のよさそうな笑みを浮かべ――実際、身内には異常に甘いやつだが――、手の中の写真を俺に見せつける。

「……卒業した時の、だろ」

 何が悲しいのか涙を流して鼻と目を真っ赤にしたエリザと、その横でエリザの背を撫でながら目をうるませる花京院、それと、

「珍しいね。君が、カメラ目線だ」
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