チアノーゼ

 砂埃が目に痛い。
 ここはどこだ。私はだれだ、だなんて。だなんて。

「エリザ、ちゃん。あれが、DIOサマの、敵だ」

 ヘリから降りてから彼らの発見まで、かかった時間はほんの一瞬だった。結局は情報力がものを言う、と言ったのはだれだったろうか・この街には、この国には、いや、この世界にはあの方の手となり足となり目となり、汚れるものがたくさんいる。だってあの方の目に映るには、あの集団は目に痛すぎる。
 一般的なホテルから出てきた彼らは、ともすれば和やかに会話を繰り返しているように見えた。声は聞こえない。

 あれが、これから強大な敵に立ち向かう戦士の姿だろうか。あ、敵って言っちゃった。敵はあっち、あの方は、あの方は――。

「OK! 叩いて殴って存在を消してくればいいんだね」
「じゃんけんみたいなノリでいくんじゃあねェよ!」

 後頭部を軽くはたかれる。それからおじさんはため息をついて、スタンドだという拳銃を指先でくるりと回した。心配しているのかなんなのか、彼はそわそわと、火の付いていない煙草のフィルターを噛んでいる。

「"正義"は"悪"には強いけど、いつだって"一般人"には敵わないんだよ……ところでおじさん。煙草、やめたんじゃあなかったの?」
「……願掛け、みたいなもんさ」
「へぇ……それじゃあ、さよならハロー、またいつか」

 "マザー"の血に飢えた慟哭が、耳元でとぐろを巻いている。
 じゃんけんしましょう。戦いましょう。

「かってくるよ」

 これが私のはじめの一歩目。

「"マザー"」

 そしてこれが、二歩目。
 穏やかに閉じていた目が開く。口が横に裂けていく。鮫を思わすじぐざぐの歯は金色で、ぎらりぎらりと、太陽の光に剥き出しにされたそれはますます輝く。海色の肌がざわめきだす。後ろ手に縛られていた両手の刀が開放される。
 正に変貌と言えるだろう。私のスタンドは、私の怒りで奇妙に歪んでいった。

「何度見ても、」

 気味の悪い。
 ぽつりとおじさんは呟きが、耳に痛いよりも煩わしい。そして彼は、私とは逆方向に歩き出していった。後ろ姿を見送って、私は再び"ジョースター一行"の方に向き直る。

 一際背の高い愚者と、目が合う。

「エリザ」

 彼はとても平坦な声で、私を呼んだ。

「"マザー"」

 返事の変わりに呟いたスタンドの名を滑稽だな、と思う。どこの母が、子を喰らうのか。
 鋭利で切れ味の悪い歯が、首筋にズブズブと食い込んだ。
 鈍い痛みと血の匂いに目を竦めて、私は口を開かず言葉を呟く。

「はじめましてこんにちは、そしてさよなら」

 どこか見覚えのある形に、男の顔が歪んだ。

「"鬼子母神(マザー)"、助けて」

 これが三歩目。
 お別れまでの十三階段。

「Goodbye.jojo」

 金色の歯から赤い血が滴って黒くなる。さよなら、空条。
 

※※※

 いつか帰ってくると、おれはどこかで考えていたのだろう。

 行方をつきとめようと足掻く中でも、――あの女が、簡単にくたばるわけがない。そう、思っていた。
 またすぐにでも、元のくだらない会話が出来ると、そう。

「……なにか、言ってよ」

 くすりと、女が笑う。
 皮膚の裂けそうな殺意を向けられる中、おれは必死に頭を働かせる。理解が出来ないわけではなかった。かつての花京院と同じようにエリザもまた、DIOに洗脳されているのだろう。額には、赤い角のようなものが見える。

「……なァ、あの子ってよォ」

 それでも、ポルナレフが口を開くまでおれ達は、誰一人、あいつに返事をすることが出来なかった。あのジジイや、真っ先に先陣を切るアブドゥルでさえも言葉が出ない。

「ああ、あれは……」

 水中で喉を震わせるよりも、その一言が困難だった。

「ねぇ、まだ?」

 あどけない言葉や表情はそのままに、

「もう、いいや」

 アイスブルーの瞳だけが、悲しげに揺れた。
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