マザーメイビーアイラブユー

「旅立つ君に、ひとつ餞別をやろう」
 夜の帝王と呼ばれる帝王は、少女の白い額に手を重ねて一つ言葉を紡いだ。
「――よい、名前だろう?」
それが今から、きみの力になるだろう。少女は泣き出さんばかりに様相を崩し、感極まってその場に膝をついた。
「DIO、さま……私の、絶対のお方……ッ!」



 揺れるヘリの座席で、『マザー』の喉元を猫にやるように撫でる。舞い上がる砂埃がわずらわしくて目を細めた私と、彼女は同じような表情を浮かべた。

「エリザ、あのよォ……ホントに」
「おじさんくどい」

 隣に座るホル・ホース――と、DIO様に呼ばれていた――は、何度目かわからない確認を、歯切れ悪く私に投げかけてくる。それを断ち切るように返事をすると、おじさんはため息とともに禁煙パイプの煙を吐いた。DIO様の命を狙うなんて、愚にもつかない目的を持つ旅人の存在に、私の気分はいつもよりも斜めを向いているのだ。
 それでも、穏やかでどこか悲しげな笑みを浮かべる『マザー』を見つめると、そんな刺々しい気持ちも落ち着いた。

「……大丈夫、だよ」


※※※

 そう呟く声は、俺に向けられたものじゃあなかった。
 夢を見るような瞳で、スタンドの頬撫でるエリザ。俺は、このスタンドの名付け親にして主君の、言っていた言葉を思い出す。

「彼女は、わたしに母性を求めていると……このDIOは考える」
「はァっ!? ……は、はぁ」
「父性ではなくね。それも、信仰対象と言い換えてもいい」

 とにかく、絶対の信頼を置けるものだよ。と締めくくり、あの美しすぎる化物は興味をなくしたように口を閉じた。多くの配下が持つ感情とこの姪が抱いたものの名は、よく似ているのだろう。

「ねぇ、おじさん」
「あー?」

 まったく、寒気がする。
 手持ち無沙汰なようで、エリザは長い髪を指に巻き付けながら目をふせている。こいつの父、俺の義兄に当たる男に褒められたからと、丹念に伸ばされたそれが、きらきらと細く細く紡がれた蜘蛛の糸のようになびく。

「どれくらい、で着くの? その、ジョースターご一行様、とやらがいる場所には」

 エリザの言葉に自然と顔が歪んだ。
 頭が痛い。違う、胸が痛い。罪悪感も、正義の心とやらも覚悟も、そんなものは持った覚えはなかったし、これから芽生える予定もない。
 それでも、痛い。苦しい。

「半日、ってとこかね」
「ふぅん」

 悲しい。
 自分から振っておいて興味なさげにこちらを見つめ、エリザは頼りなく笑ってみせた。

「もっと、早くつかないかな」

 よくもまぁ器用に、片目だけで泣けるものだ。
 右側の頬だけ、涙に濡らされていく。

「エリザ」
「なに」
「エリザ」
「だから、」

 後から後へと流れるそれは、ただの体液でしかなくて、見るものに訴えかける何かがあるはずもない。ただの生ぬるい水。
 名前を呼び続ける俺に、姪っ子はぎこちなく口角を上げた。

「エリザ」
「おじさん」

 俺は、

「エリザ!」

 そんな顔が、させたかったわけじゃあない。
 華奢な肩に指の食い込む感触が生々しくて、辛くて、自分自身に腹が立って、どうしようもくて、

「なに?」

 だけどこいつにかける言葉なんて、俺がかけてもいい言葉なんて、一つもなかった。
 だってそうだろ。全て自分の保身の為に、俺が招いた結果だ。そんな俺が何を言っても、許されない。許されちゃあいけない。

「……腹、減ってねェか?」
「な、なんだ、びっくりしたー! おじさん、勿体ぶりすぎだよ」

 屈託なく笑う顔がまっすぐ見れなくて項垂れる俺の頭を、エリザはぽんぽんと撫でた。
 そう、俺は結局なにも守れない。はじめから守るつもりなんてなかった。

「私は、大丈夫だよ」

 ただ――変わらないで、いてほしかっただけなんだ。
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