「『王子』って、ほんっと、かっこいいわよね〜っ!」
「ねー!見た目だけじゃあなくて中身も頭も完璧でしょ!?」
「泣いてる姿もキャワイイわよねーッ!」
夕暮れに染まる教室に響く、可愛らしくも騒々しい友人たちの声。
彼女らは学校指定の固い椅子に腰掛け、いつまでも取り留めのない会話をくりかえす。そして他愛もないことで笑いあった。話題は異国の俳優の恋愛事情から、どこそこのケーキが美味しいなんてものまで。こうもごったに全てが同じ扱いをされるのだから、きっと彼女らにとっては――勿論、私も含めてだ。――町で起こる神かくしも映画の中のジェイソンも同じだけ親しい存在で、そしてまた同じだけ自分には縁遠い存在なのだろう。
今口々に上がるのは『王子』。ひなまれなる美貌の、……転校生というのは正しくない。彼女は元からぶどうが丘高校に籍を置いていた。では、遅れて入学してきたクラスメイト、とでもいうのか。
「そうかしら?」
私の口からは、自分でも驚くほど、妙に冷めた声が滑り出た。他の三人は一瞬喋るのをやめ、互いに顔を見合わせる。
「やっだー、委員長はアンチ王子なの〜?」
しかしくるりと持ち上がったまつげを何度かぱちぱちとすれば、すぐに元の賑やかな雰囲気に戻っていく。この年頃の女の子の切り替えの速さと言ったら、サッカー選手も目をむくほどだ。
「べつに、そういうわけじゃないけど……ちょっぴり、過大評価されすぎじゃあない? 私は苦手ね。皇さん、だっけ?」
「すぐビクビクするし、目が合うだけで泣きそうになるし、カンジ悪いわ」。私はそう言って、短くなってしまった髪に指をからませた。ここのところコレの所為で、ただでさえ温和とは言えない性格が刺々しくなった気がする。
しかし私のきつい物言いはかねてからだったし、『王子』の外見がこの私好みでないことを友人たちは知っていた。女々しい男は駄目よ絶対!筋肉よ筋肉!が兼ねてからの私の主張なのだ。(やっぱり男は三十代からだ。同い年なんて子供っぽくって。)
ゆえに彼女らはくすくすと少女特有のませた笑いをこぼし、特に気に止めた様子もなく再びかしましく話し始めた。
「キッビしーのー」
「あれだけ顔が良ければ許しちゃうわ、あたしなんか」
「そうよねー。こないだも、うふふ――」
いまだ続く『王子』の話題に、うんざりと肩を竦める。噂話は嫌いじゃあないが、こうも一人の話を続けるのは飽々だ。私がその『王子』とやらに、あまりいい感情を持っていないせいかもしれない。そんな風に思ってしまうことにさえ嫌気がさして、出来るだけ話が耳に入らないように窓の方に目をやった。
朱に染まる空と、ガラスの反射越しに目が合ったのは、渦中の人物。
「ッ皇さん……」
『王子』と称される女生徒は、私に向けぎこちなく手を上げた。息を飲むこちらとは別に、友人たちは彼女の存在に気づいていない。
いつからいたのか。
それは彼女の怯えたような瞳からは推測できないし、しばらく窓から目を逸らすことしか出来なかった私がようやく振り向く頃には、皇さんの姿は既になかった。
「ああもう――ッ!」
「ど、どうしたの委員長?」
「ちょっと行ってくる!」
私は急いで立ち上がり、皇さんの後を追う。イスの倒れる音がしたが、友人の誰かが直してくれるだろう。「また、委員長のおせっかいかしら」なんて親しみに満ちた口ぶりで語り合いながら。
そんなことを考えていれば、すぐにあの長い黒髪が目に入る。廊下の先に立ち止まっているその背は、泣いているように見えた。
「皇、さん…ッ!」
掴んだ肩は想像よりずっと華奢で、
「……痛い」
振り向いた彼女の涙を溜めた黒い瞳は、ぞっとするくらい美しかった。
「目に、ゴミがはいった……」
「私、こういう言い方って嫌いなんだけど他に適切な言葉が見つからないから言うわね。空気を、読んでくれる?」
「ご、ごめんなさい」
あまりにもベタな展開につい責めるような口調になってしまう。
しかしこれではいけないと思い直して、すぐさま皇さんと正面から向き合う。
「違うわ、そんなこと言いたかったんじゃあないの……えっと、私の方こそ……ごめんなさい。こっちのほうがずっとカンジ悪かったわ」
「なんの、こと?」
やはり顔色がよくない。血の気が引いて、ただでさえ透けるような肌がますます色を失っている。夕日を受けて、ようやく人並みの温度を感じる。
こんな反応も、私だから怯えているんじゃあなく、
「陰口だなんて、フェアじゃなかったわ。あなたにも……事情があるんだろうし。その、」
頭を下げれば、皇さんの怯えていた瞳がすっと優しく細まった。
それから、彼女まで申し訳なさそうに眉をハの字にする。
「そういうことか……でも別に、本当のことだし」
「でも!」
「謝りにきてくれてありがとう」
にっこりと微笑むその姿に私は、本当に『王子』なのだなと思った。
夢のような美貌。そんな言葉が脳裏にはよぎる。なんというか、現実味があまりにないのだ。すぐそこにいるはずなのに、手を伸ばしても一生届かないような。皇さんには、そう思わせる何かがあった。あれだけ騒いでいる女の子たちに、彼女の『恋人』になりたがる子が少ない理由も、同じくして理解する。
性別だのという話ではないのだろう。
「……本当に、ごめんなさい」
再三謝罪を述べる私に、皇さんは首を二度三度横に振って、「出来るだけ、気をつけるようにするよ」と静かに言った。
『女』という、人口の半分に恐れて生きるというのはどんな気持ちなのだろう。
「立ち入ったことを聞くけれど……なにか、あったの?」
恐る恐る尋ねる。幼い好奇心で踏み込んでいいものとは思えなかったが、どうしても聞かずにはいられなかった。
皇さんはなんでもないように、言葉を紡ぐ。
「色々ね」
見えない傷をひきつらせるように笑う姿は、悲しいほど彼女に似合っている。
白い頬を絶望が色付けて、『王子』はほんの一瞬だけ、手を伸ばせば触れられそうな場所にいた。
(改稿2013/8/24)