「はよーっす、億泰」
仗助は眠たげな目を擦って、教室の窓から外を覗いていた俺の頭を小突いた。『ご自慢』の髪型はいつものようにかっちりと固められているが、擦っていた目はやけに腫れぼったい。例の幼馴染と徹夜で話でもしていたのだろうなと俺は思った。二人は随分と仲がよさそうだったし、仗助は男にしては――俺も人のことは言えねえが――かなりのおしゃべりなのだ。
「うっすぅ〜。今日は、朝会わなかったな〜〜」
俺は振り返った首を元に戻して、また意味もなく外を眺める。
天気がいいぜェ。なんでこんなにいい天気なのに勉強なんかしなくっちゃあならねえんだろう。
こんなことを兄貴に聞かれたら、降ってくるゲンコツはひとつふたつじゃすまないはずだ。耳の奥で兄貴の怒声が聞こえたような気がして、耳を塞ぐ。
仗助はそんな俺に首をひねってから、椅子を引いてそこに腰を下ろした。
「夜月が『先生方にご挨拶しなきゃー』って、バカみてェに早い時間に迎えに来たんだよ」
「『しなきゃー』……ってそれあいつの真似か? へったくそ!」
それから妙な節で高い声をあげる。
俺も同じようにシナを作ってからケタケタと笑ってやると、「それ、昨日夜月にも言われたぜ」などとボヤきながら肩に手をやった。
皇 夜月。なんというか得体の知れない奴だった。中身と見た目がチグハグというか――。『違和感』とでも言うのか。
ぼんやりとしながら、俺は昨日の会話を思い出す。
「向こうはどうだったんだよ」
定食屋に向かいながらの会話だ。仗助が夜月の隣で、その後ろを俺と康一が並んで追っていた。
「えっと、バッファローを倒した」
「はァッ!?」
「ええっ!?」
俺と康一は同時に振り返った。それまでくすくすと俺たちの話を聞いていただけだった夜月が、ようやく文章らしいものを話したと思ったらそれだったのだ。意味がわからなかった。
仗助はなぜか、「それで?」となんでもないことのように続きを促した。
「って言ってるおじいさんがいてね。よくスタッフの人とお昼を食べたお店の常連さんだったのかな、いつもいたんだ。ずっと『バッファローを倒した』『バッファローを倒した』って言ってて」
淡々と、ゆるゆると続く奇妙な話。
その様を想像するとかなりおかしくて、俺は歯を食いしばって笑いを堪える。「いっつも牛乳とハンバーガーを食べててね」。夜月がそう言った瞬間、康一が噴きだした。
「わ、笑っちゃあ失礼なのかな? でも、面白い人もいるんだね」
「だよねえ。でも一緒に行った人たちの誰もその人のこと知らなかったんだよ」
「え?」
「不思議でしょ、いっつも隣のテーブルにいたのに」
「怖い話かよッ!」
「怖い話かな? あ、でもそれを言ったら、お店の人にこれもらった」
肩からかけたバッグの中からは、
「地味に重い」
岩塩。
なにがどうと説明しにくいが……つまりそういうことだ。俺にもよくわからない。『怖い』とか『嫌い』だとかじゃあない。
ただ、『好き』だとか『可愛い』とかでもない。
「――そんなわけで、堂々と入学式もサボって凱旋してきたヤツだァ。精々可愛がってやれ」
「よろしく、お願いします」
言い直す。今、教卓の横に立って困ったような笑顔を浮かべるあいつが、俺は『嫌い』だ。『憎い』と言っても言い過ぎじゃあねえ。
担任教師と一緒に、夜月が教室に入ってきた瞬間のことだ。
「きゃぁぁぁああああぁぁーーーーッ!」
女共のやかましい黄色い悲鳴!
承太郎さんじゃあなくったって腹の立つ歓声だった。ちょびっとばかし綺麗な顔してるからってムカつくぜ〜〜ッ!仗助と違ってやけにスマシているのが、余計に俺の反感を買った。
他の男供も面白くないだろうと目をやると、口をぽかんと開いているのが半分、女と同じように頬を染めているのがその半分、残りはバラバラ。けれど俺と同じように思っているようなのは、片手で足りるほどしかいなかった。康一ですら、目をむいている。
ったく、男の顔なんかジロジロみて何が楽しいっていうんだ。
「ケッ!」
紹介を終えた途端、「ねえ夜月さんって、」「ええ、そうよね」「――って」「ほんとに――」。ざわざわとやかましい。当の夜月はどこか青い顔をして、俺の横をスカートをひるがえしながら歩いて行った。
スカートを、ひるがえしながら。す、スカート。
「……ッスカートォォッ!?」
勢いよくその場から立ち上がると、後ろの席の仗助が弾かれたように笑いだす。一拍遅れて、クラス中もどっと笑い声が上がった。
「ブハハハハハハッ! 今頃気づいたのかよ億泰ッ! ちょっぴり遅いんじゃあねえのーー?」
それから、「あんだけ睨んでたのに」とおかしそうに肩を震わせる夜月。どう見たって男だが、どう見たって――随分と改造されているが――この学校のセーラー服を着ていた。似合っていないわけじゃあない。
俺はすがるように、隣の席に体ごと向ける。
「康一ィッ!」
「ぼ、僕も驚いたよ……夜月くん、じゃあないや、夜月さんが教室に、入ってきたとき」
「ほら見ろ! 遅いんだよおめーはよぉ!」
「あ、ありィ〜〜?」
違和感の理由はこれかァッ!?
俺は納得出来るような出来ないような気分のまま、笑い声が収まるのを待った。
それから一限の現文――何言っているのかさっぱりだが、時々はほお!と思うようなことがある――を終え、二限の数学――これはさっぱりわからねえ。半分夢を見ながら黒板を見ていた――を終え、ようやく中休みになった。
転校生の周りには一気に女共が集まり、各自様々な質問を投げかけている。夜月は「あの」とか「うーん」とか文章にならない唸り声を漏らしながら、泣きそうに顔をひきつらせていた。不思議に思って仗助を振り返ると、そいつはそいつの幼馴染に向かって軽く手招きをした。
夜月は女共に侘びを入れて、逃げるようにこちらへやってくる。
「たすかった、よ」
青白い顔。じっと見つめている俺に気付くと、弱々しく口角を上げて「少し、苦手なんだ」と言った。『女』が、という意味だろう。人事だから言えるんだろうが、もったいねーというかなんというか。
「飲みもん、なんか買ってきてやるよ」
なにがいい?と尋ねながら、仗助は夜月の頭をぽんぽんと撫でた。まるで保護者だ。康一も、「わからないところがあったから聞いてくるね」と仗助と一緒に教室を出て行く。
……二人きりだ。
気まずいわけじゃあねえが、一体こいつと何を話せばいいんだ。悩んでいたのは俺だけなのか、夜月は空いた仗助の席に腰を下ろし、
「……内緒ね」
人懐こい目をして、唇に人差し指を当てた。
そして、どこからか取り出した亀のぬいぐるみを机の上に置き、そのつぶらな瞳を慈しむようにつっつく。
多分、亀が嫌いな仗助へのイタズラのつもりなのだろうが、キャラクターっぽく作られたそれを驚くはずもない。勿論帰ってきた仗助のリアクションは俺が想像した通りだった。
「あァ? 舐めンなよなーッ! こんなオモチャにビビるわけ――」
しかし、そう言って財布をしまうためにカバンを開けた仗助の顔が、一気に引きつる。
「う、うぎゃああああッ!!」
投げ出したそれから飛び出たのは、よじよじと動く手のひらサイズの亀。いつの間に仕込んでいたのだろう。
机をなぎ倒す音が辺りに響いた。仗助はみっともなく腰を抜かして、鼻水まで垂らしながら目を見開いている。
「……ふ」
誰かが、いや、夜月が小さく息をもらす。まるで女神様のような所作で亀を拾い上げると――それまでの澄ました顔とは違う、本当に、心から楽しそうな笑い声を上げた。
「ッハハハハハ! その顔その顔。いやぁ、わざわざこのラジコンの為に一日走り回った甲斐があるよ! 二段ドッキリ大成功!」
違和感の理由はこれだ!
俺は仗助を指さして笑いながら確信した。
見た目通り穏やかで少しズレた、冷たい男、もとい冷たい女だと思っていたが、俺の本能はこいつの本性を見抜いていたのだ。怖いくらいキレイな顔と裏腹に、中身はガチャガチャとした子供のようなヤツ。それが、この夜月という人間だ。
ひきつるように痛む腹を抱え、まだ大笑いしているそいつと目を合わせる。
「おめー、いい性格してんなァ」
「褒められてるかい?」
「ネコ、被ってたのかよ」
いや、多分時差ボケ。そう言って、夜月はにっこりと笑った。
少しは仲良くしてやってもいいかなーッと思ったが、周りから聞こえる「悪戯っ子な王子もかわいーッ!」「お茶目ねえ。笑顔がステキよ!」だのという声に、俺の眉間に力がこもった。
(改稿2013/8/24)