プロローグ2


 半年ぶりの夜月は相変わらずだった。空港から出た俺達はそのまま、「日本食が食べたい!」と必死になる『外国帰り』の為に定食屋に足を伸ばした。
 それから康一を家まで送って、ついさっき億泰と別れて――俺の家と億泰の家は隣同士で、更にその反対側は夜月の家になっている。出来過ぎた話だ。――、あと数歩で俺の家というところで、鼻歌を口ずさんでいた夜月がこちらを覗きこむ。

「いまから、君の家行ってもいいかい?」

「構わねえけど、荷物置いてからの方がいいんじゃあねえの」

「ほとんど郵送だから、見ての通りほぼ手ぶらだよ」

「……そう、だったな」

 家が近づくにつれ分かりやすくぼんやりとしだした俺に、十年来の幼馴染は小さく笑う。
 まだ実感がない。

「たでーまー」

 扉を開いたら、夜勤明けのじじいがソファの上でいびきでもかいているんじゃあないか。
 町中を歩いていても、いつものように後ろから怒鳴り声が届いてくるんじゃあないか。

「ただいま!」

 こんな風に、夜になったら泊まりがけの仕事を終えたじいちゃんが帰ってくるんじゃあないか。まだ考えている。
 靴を揃えもしないまま、夜月は勝手知ったる様子で廊下を抜けてリビングへと入っていく。なびく黒髪からは、異国の強い匂いとあいつ自身のすっとするような匂いがした。
 その背を追って、俺も廊下を進む。リビングは前とほとんど変わらない。いるはずの、帰ってくるはずの家族が一人減っただけ。見ただけでは変化はないのに、妙にガランとしているように見える。血液が、少しだけ温度を下げた。息が詰まる。
 制服を脱いで、奥の間に目をやる。夜月はそこにある仏壇の前に、いつの間にか座っていた。そのはじめて見るはずなのに見慣れた姿を目に入れると、俺は自分でも驚くほど安心した。
 
「えっと、なにから話そうか。向こうでは色々あったけど、でもやってることは良平じいちゃんに言ったら『いつも通りじゃあねーかー!』って怒られるようなことばっかりかも。言いつけ通り、人を傷つけるようなことはしてない……と、思う。人のものは盗んでない!」

 つらつらと続く報告。小学生の頃、修学旅行から帰ってきた時もこんな風にじいちゃんに話した夜月は、言わなくてもいいことまで言ってお小言をくらっていた。勿論、共犯の俺もだ。懐かしい日々を思い出して、つい口から息が零れた。夜月がこちらを振り返って、不思議そうに首を傾げた。

「なんでもねえよ」

「……じゃあ、あとそれから」

 爺ちゃんの遺影の前で両手を合わせてから、両目を閉じ、

「帰ってくるの、遅くなってごめんなさい」

 静かに呟いた。
 そしてようやく、俺は泣くことが出来た。
 しゃんと伸びた背中に近付いて、全身の体重をかける。もたれかかって斜めになった頬を伝う涙は塩辛くて、顔全体があっという間にひりひりしだした。ようやく死を消化するように動きだした脳みそは静かな熱をもっている。しんしんと、雪がつもるような衝撃が頭蓋骨に響く。

 こいつと出会ったのは、俺たち二人が小学校に上がる年の三月、やけに太陽が白い日のことだった。隣の家に引っ越してきたこいつとは、すぐに仲良くなった。それから何度も喧嘩をしたし、それより少ない数仲直りをした。それはどちらかが素直に謝ったり、じいちゃんに拳骨をくらって二人で泣きながら謝り合ったり色々。少ない数と言っても、いつの間にか元通りになったのを足せば同じ数だ。
 男女関係のない友情とは言えなかったし、これからも言えないが、それでも俺は生涯、夜月に恋をすることはないだろう。

「……康一たちは、よお」

 鼻を啜りながら口を開けば、水分を失った唾液が粘着質な音を立てた。

「うん」

 夜月の声が背骨越しに届く。

「お前のこと、男だと思ってると思うぜ」

 ああそうだ。あいつ達との出会いや、こいつがいない間に起きたこと、全部知らせなくっちゃあならない。スタンドのことも、夜月ならすぐに受け入れるだろう。なにせ俺の能力を『手品』じゃあないと知っているのだから。

「うわ、本気かいそれ」

 気にした様子のない、間延びしたノンキな声。
 こいつに話したらどんな反応をするのか、おおかたは予想がつく。

「おお」

 いつくかは笑って、いくつかには――。

「明日、誤解を解かなきゃ」
「制服着てたら流石に分かるだろ」
「そっか」
「着てみたか?」
「まだ」
「サイズ平気なのかよ」
「どうだろう。また、伸びた気がするんだよね」
「まだ、伸びてるんだな」
「そうだねー」
「そうか」
「うん」
「でっかくなれよー」
「なんだいそれ」
「じいちゃんの真似」
「いっぱい喰って、でっかくなれよー。お前は細っこいからなあ」
「じいちゃんの真似?」
「そう」
「似てねえ」
「そう?」
「そうだよ」
「そっか」

 そっかー、と夜月はまた首を傾げる。会話はそこで終わった。涙は、止まらない。
 いつからか、俺の泣きたくなる場所は夜月の傍だけになっていた。特に背中を向けられると駄目だ。堪えていた涙も、堪えていた覚えのない涙も、まるで満月に惹かれて潮が満ちるように次から次へと零れていく。

 俺は強く、優しくならなくてはいけなかった。じいちゃんも母ちゃんもそんなこと言わなかったけれど、彼らの背中を見ていると自分もそうあるべきだと自然に思えた。思えるだけの『正しさ』を俺にみせてくれた。それに、熱にうなされた俺を助けてくれた『あの人』のこともあった。
 強くあれば、守りたいものを守れる。優しくなければ、守りたいものは出来ない。俺が欲しかったのは、守るための強さだ。誇示するだけの力はいらない。はじめに守りたかったものは『家族』で、今もそれは変わらない。それでも俺はじいちゃんから、もう一つ、守りたいものを受け継いだ。
 どれだけ力を手に入れれば、俺の両手は全てを取り零さずにすむのだろうか。

 ――それから、どれぐらいこうしていただろうか。
 随分と長い時間が経つような、あっという間だったような、不思議な感覚がした。
 昔から夜月の傍にいると、そうやって時間の感覚が歪んだ。夜月は"居"るだけで、摂理も法則も無視するような女だった。いや違う、摂理も法則も時間も、こいつを無視することが出来ない。

「じょうすけー」

 振り返って、俺を胸に抱いて――お美しい幼馴染は、一滴だけ涙を零した。

「かなしいね」

 俺はいつだって、それだけで救われた気になってしまう。
(改稿2013/8/24)
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