五月ももう終わる今日この頃、五月晴れという言葉がよく似合う空の下、その日僕たちは食堂ではなく屋上でお昼にすることにした。
改めて考えると、『もう』というよりも『まだ』六月にもなっていないのかという気持ちの方が強い。高校に進学してからまだ半年も経っていないのに、奇妙な出来事ばかりで仗助くんと億泰くんとはやはり奇妙な一体感があった。もしかしたら今まで出来た友達の誰よりも、彼らとは深く付き合っているかもしれない。なにせ大きな秘密を一つ、小さなものならいくつも、僕たちは共有しているのだ。
しかし今日は珍しくも、お互いに報告すべきことがなかった。億泰くんはコロッケパンについていたソースの成分表をしげしげと眺めているだけで口を開く様子はなかったし、僕は僕で母さんに作ってもらったお弁当のポテトサラダを口に運ぶことに専念していた。そして仗助くんは――いつにも増してニコニコとした彼が、堪え切れないと言った様子でのり弁から顔を上げた。
「なぁなぁ! 今日の放課後開いてっか? 空港にツレを迎えに行くんだけど、一緒に来てくんねェ?」
僕と億泰くんは突然のお誘いにぽかんと口を開く。
なぜだか彼は朝からソワソワとしていて――理由を尋ねても別にとはぐらかされてしまったのだけれど――もしかすると、この『お出迎え』の為だったのだろうか。
「俺ァ、別に構わないぜぇ〜。どうせ予定もねェしよぉ」
「僕もだけど。でも、いきなり僕たちまで行ってもいいの?」
「いいんだよ、賑やかなの好きなやつだからさ。よっし、決まりな!」
よっぽど嬉しいのか目がなくなるほど笑顔になる仗助くん。こんなにも喜ぶ彼を見るのは、はじめてかもしれない。しばしその友人の話を聞いていると、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。そのままなだれ込んだ午後の授業も穏やかな日差しにうとうとしている間に終業となった。
そんなわけで、僕たちは県内唯一の空港へと足を運ぶことになったのだ。
平日の昼間だというのに空港にはたくさんのスーツ姿の大人なんかで混み合っていた。あっという間に人混みに流されそうになる僕の襟首を、億泰くんが掴み上げてくれた。僕は彼のバカにするような笑顔を見上げて、深く肩を落とした。
「悪ィなぁ、付き合わせちまって。こんなに混んでるとは思わなかったぜ」
疲弊した僕に、仗助くんは申し訳なさそうに眉を下げる。
「GWの名残かな? それはいいんだけど……こうも人が多いと、見つけるのも一苦労そうだね」
「だよなー! そいつ背ェ高いんだっけ? 康一くらいだったら、埋まっちまってるかもしんねぇぜ」
ニマニマと唇を曲げた億泰くんが僕の頬をつつく。やめてよとその手を払おうとすると、それよりも先に、仗助くんが億泰くんの頭を後ろから小突いた。
「おい億泰、しつけーぞ。それに『見つからねえんじゃあないか』なんて心配はいらねえよ」
すぐに分かる、と歯を見せて笑う友人の言葉に、僕はそれが『幼馴染』というものなのだろうかと勘違いをして――その数十秒後に正しく理解した。
「ねぇ……あれ」
アメリカ発の飛行機からの到着口に人が溢れてきた途端、辺りは突如として色めき立つ。はじめは小さなざわめきが、徐々に大きくなっていった。ロビーで待っていた人たちの視線が、一所に集まっている。ここからでは俯いていてよく見えないが、その一点には長身の少年がいた。
「ほらな、」と小さく笑って仗助くんは、彼に向かって大きく手を振った。
「おーい! 夜月!」
夜月と呼ばれた少年は弾かれるように顔を上げ――僕は一瞬、息をするのを忘れる。
「仗助!」
凛とした声はどこか不思議な響きで、滲む幼さがよりその美しさを際立たせていた。こちらに駆け寄ってくる少年は、長い黒髪を靡かせながら、辺りの視線を奪い尽くす。
なんて、綺麗な人なんだろう。
「ひっさしぶりー、だね! なんか背ぇ伸びたかい?」
目を引くなんてレベルじゃあない、完璧なまでに整った造作。
仗助くんや承太郎さんもそれはそれは格好いいけれど、それとはなんというか系統が違うのだ。彼らの精悍さや美しさが生命感溢れる『動』なら、夜月くんのそれは『静』。失礼かもしれないが、しっくりくる表現はこれだ。『動いている』のが、信じられないような美しさ。
言葉を失う僕と億泰くんを気にも止めず、彼は手を上げたままの仗助くんに飛びついた。それを受け止めた仗助くんはワシャワシャと夜月くんの髪をかきまわし、また嬉しそうに笑う。
「おかえり」
「ただいま」
お互いの瞳に互いだけを映す。完全に二人だけの世界、って感じだ。
「……なあ、なあ、」
ふと我に返った億泰くんが、声をひそめて僕の頭を肘でつつく。
「この二人ってよォ〜、『幼馴染』だっけ?」
「って言ってたけど……」
「それにしたって……アメリカ帰りってこんなもんなのか?」
「いや、アメリカに行ってたのはこの半年だけらしいし」
聞いたところによると、夜月くんはギタリスト志望で、無理を言って知り合いの海外ツアーに裏方として着いて行っていたのだそうだ。同い年なのに、すごい行動力だ。
「じゃあなんだ? 知らねえけど『幼馴染』、っつーのは男同士でもこんなにひっつくのか?」
「いや……それは……」
見上げてみると二人はまだくっついたまま額を重ね、なにやら話し込んでいた。
「ないと、思うけど」
そう苦笑すると、仗助くんと目が合った。
「あ、そうだ。紹介するぜ夜月! こっちが広瀬康一でこっちが虹村億泰。二人共同じ高校のやつだ。こう見えていいやつだからよォ、きっとお前も気が合うはずだぜ!」
彼は夜月くんの両腕を抑えて、くるっとその体を回転させた。
少年の黒い瞳が、こちらに向けられる。
背筋が凍ってしまいそうなその目に、僕は改めて見惚れてしまう。同性でこれなのだから、先程からやけに周りに女の人の姿が増えてきたのも仕様のない事なんだろう。
「仗助ッ! こう見えて、ってとこでこっちを見るんじゃあねぇよ! ま、よろしくしといてやるよ」
「だって億泰……てめーん家に、鏡あるか?」
「うっせー!」
夜月くんは二人の掛け合いにくすくすと声を零しながら、「よろしくね」とこちらに手を差し出した。
「は、はじめまして! こちらこそ、よろしくね」
僕はやけに緊張しながらその手を握り返す。真っ白で綺麗な手だったけれど、指先は何度も皮が向けたように硬くなっていた。
こうして、僕の日常にいくつめか理解らない石が投げ込まれたのだった。
いや、僕の日常に、ではなく、彼の日常に、僕たちという要素が投げ込まれたという方が正しいのかもしれない。
(改稿2013/8/24)