こい、いなびかり、りそう3


 それから露伴は探究心の赴くがまま、夜月に質問を投げかけた。手にはペン、膝の上には唯一濡れていなかったスケッチブック。
 彼女にはいくつかは言葉を濁したが、それ以外には非常に楽しそうに答えた。元来話し好きなのだなと露伴は思う。特に、幼馴染の仗助やよく名前の上がる『先輩』という人物に水を向けると、夜月は生き生きと彼らとの出来事や素晴らしさを語った。

「だからね、私が今ギターを弾いてるのは、先輩のお陰なんだよ」

 しかしそれも、どこかお気に入りの玩具を説明する子供のようだった。
 悪役に友人を語らせる機会があれば、こんな目を描けばいいのか。露伴はそう考えながら、ペンを走らせた。

「随分と慕っているようだが、そいつとは帰ってきてからまだ会っていないのか?」

「うん、お土産ないまま会いづらくて……。でも先生がCDくれるっていうから、やっと会いにいけるよ。ありがとう」

 夜月の返答は直ぐに脇道にそれたし、説明不足だったりどうしてそうなったのかさっぱり理論がわからないものが多くあったが、露伴はスタンドを使う気にはなれなかった。
 仗助からの報復を考えてのことでもあったが、それよりも彼女という人間を構成するものは文字からの情報だけでは理解できないように思えたからだ。現に具に変わる表情や目線は参考になった。効率を重視しての選択。露伴はようやく自分らしくなってきたと得意になる。

「ね。さっきから私の話ばかりだけれど、先生のことも聞いてみてもいい?」

 夜月の提案をすぐに断ろうとしたが、彼女が何を問うてくるか気になった露伴は「どうぞ」とそれを受けた。そしてようやく、飲み物さえ出していないことに気がつく。

「先生は漫画を描く人なんだよね」

 夜月は立ち上がる露伴を目で追いながら言った。露伴は「そうだ」と簡潔に答え、キッチンへと向かう。ガスコンロの火をつけると、冷えていた体が少しだけ暖まった。

「先生にとって、『漫画』ってなに」

「それは、どんなものを『漫画』と呼ぶかということか?」

「ううん。そうじゃあなく、先生にとって……『漫画』はどんな存在か」

「僕にとって、どんな」

 露伴は言葉をつまらせた。それを表現するのは容易かったが、それを言葉にするのはひどく難しいように思える。
 つまり、彼にとって『漫画』とはそういうものだった。

「改めて、まとまってから答えるのでもいいか」

「うん、ありがとう。それじゃあね、先生にとって『漫画』は自分の何割を占めていると思う?」

「それなら簡単だ。十割きっかりだな」

 今度ははっきりと言い切ることができた。
 彼の好奇心や怒り、悲しみ、喜び、その他の感情や引いては選択。それらには自分が意識する前から『漫画』が付随している。――そうでないことを彼が知るのは、もう少し後のことだ。

「本当?」

 その答えに、夜月の瞳がやにわに煌めく。まるで己と同じ罠に掛かったウサギを見るような目だった。

「ああ」

「そっか、そっかー」

 ふふふと口元を手で隠して、少女は笑う。

「先生も、一緒だ」

「君のギターとか?」

 こくりと頷いた夜月に、露伴は少しだけ苛立った。いくつかの質問で彼女がなみなみならぬ『愛』と呼ぶしかないものを音楽に向けていることは分かっていたが、それにしても学生のお遊びと自分の誇りある仕事を同列に語られるのは我慢ならなかった。

「ありえないね」

 先程と同じように、断ち切るように言う。それから、きちんと時間を測って蒸らした紅茶をカップに注いだ。
 それが、夜月には心地よかった。露伴の迷いない言動は彼女にとって魅力的ですらあった。

「そうかな?」

「そうだ」

「ふうん」

 だからこそ夜月はまだにこにこと目を細めていて、それがますます露伴の癪にさわる。
 彼は少女の前に、叩きつけるようにカップを置いた。

「なんだ。何がおかしい」

 夜月は不躾な視線というものには慣れていたのでそれはマイナスにならない。はたから見れば歪ではあるがしっかりとした芯のある言動。自分であれば考えるのを途中でやめ言葉にしないままにしておく次元のことまで、きちんと言葉にするところ。夜月は、そういう人間が好ましかった。

「私、先生のことが好きになっちゃったかもしれないかも」

 唐突に向けられた恋心らしきものに、露伴は目を見開く。そしてやはり、彼女も人に興味を持つのかと肩透かしを食らった気分だった。予想外の行動というのは彼にとって屈辱的だったが、それ以上に喜んでいる自分がいるのを彼は知っている。
 露伴にとって人間ほど興味深い生き物はいなかった。同じ生き物であるのに、彼の想像以上のことをやってのける。露伴がリアリティを求め『人間』を描きたがるのはそれが理由だ。
 けれど今回は、あまりにも突拍子もない。

「どうして、そうなるんだ」

 そうしてまた、彼の悪い癖が出る。「どうして」とは問うては見たものの、きっと彼女の口から適切な説明などなされないだろう。それは非常に困ることだった。恋愛の細やかな機微が描けていないと、憎き担当に言われたばかりだった。
 そう理由を並べては見たものの、結局は夜月の人間らしさに触れて、露伴にとって彼女は優れた芸術品からただの観察対象になった。来歴を調査するよりも、解剖を。

「『ヘブンズ・ドアー』!」

 紅茶に口をつけようとした夜月は、一瞬で本へと変わった。触れるよりも早く、べらりとページが開かれる。

「……ッ!!」

 全身が総毛立つ。
 文字が描かれているはずのそこは、ペンで執拗に塗りつぶされたように黒い。何度も何度も打ち消された言葉は、一つとして読むことが出来なかった。
 見ていると今にも飲み込まれそうで――夜月の瞳とよく似ているなと露伴は妙に冷静に考えた。
 彼はその中から適当な一枚を破り取って、スタンドを解除する。

「……あれ、先生。今なんか言った?」

 軽く首を揺すって、夜月は夢から覚めたように目を瞬いた。

「……いいや」

 露伴が短く答えると、夜月は特に気にもとめた様子なく紅茶を飲み干した。そして「そろそろ帰るね」と立ち上がる。露伴はそうかと頷くことしか出来なかった。
 パタリとリビングの扉が閉じられ、夜月の姿は完全に見えなくなった。
 男の喉が、引きつった音をたてる。

「あ、ははははは、ははははははははははは!」

 震える体を抱きしめるようにして、露伴は笑った。張り上げられた、どこまでも高らかな笑い声。
 黒い瞳とページはまるで地獄の釜を開けた先のようで、あの深い闇には一体何が隠されているのだろうか。
 露伴は立っていられないほどの興奮を感じながら、手にした黒い紙に目をやる。黒は一種類ではない。マジックで、油彩で、クレヨンで。ありとあらゆる黒でそれは塗りつぶされいる。
 これを暴けた時、自分は一体何を手に入れられるのだろうか。何が描けるようになるのだろうか。考えるだけで笑いが止まらない。
 露伴が夜月へ抱く感情。やはりそれは恋などではなかった。もっと暗く、もっと自身の本質に関わる、深い欲求だった。

「皇、夜月……ッ!」


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