こい、いなびかり、りそう1


 瞳の大きな猫目で、夜月をまっすぐ睨みつける、彼女にとっては見知らぬ男性。
 彼、露伴は女子高生達から逃げまわっていた夜月の腕を掴んで、夜月はそのまま走って、彼女が立ち止まった瞬間、露伴は怒鳴るように疑問を投げつけた。
 夜月の頭には、わけがわからない。怖い。といった言葉しか浮かばない。瞳には混乱する頭を落ち着かせるように、涙が滲んでいた。
 露伴はそんな夜月の頬に手を伸ばして「触れられそうだな」と言った。

「なんだい、それ?」

 その手は接触する一歩手前で、きゅっと握られる。
 夜月は初対面の人にじろじろと見られたりあれこれ言われるのは慣れていたつもりだったが、そんな言葉を言われたのは初めてだった。「触れられそうだ」なんて。
 彼女は住宅街の道しかもそのど真ん中で腕を捕まれ、まじまじと観察されている今の状況が、改めておかしくなってきた。ついにはふっと吹き出してしまう。
 カードによくある、傾けたら浮かび上がる絵じゃああるまいし!
 そう考えながら、腹を抱えた。軽やかな笑い声が静かな路上に踊る。

 そうして少しうつむいて笑った後、夜月は視線を元通り露伴に戻した。彼はまるで音楽室のモーツァルトの目が動いた瞬間に立ち会ってしまった、または走る二宮金次郎像が横を走り抜けた時のホラーマニアのような顔をしていた。
 それからすぐに、今度はつぶさに色の変わるカナブンの変化を見逃すまいと検分するような目つきに。

「……アイアム人間」

 夜月がポツリと呟くと、先生(研究熱心な博士のような目をしているので、彼女は勝手にそう呼ぶことにした。これは期せずして正答だったのだが。)は、

「僕は君に、恋をしてしまったようだ」

 その瞬間、快晴だった空に暗雲がたちこめ、遠くでピカリと稲光。そして一気に雨粒が降り注いできた。秋の天気は変わりやすいというけれど、まだ六月も初頭。
 あまりにも、出来過ぎだった。
 なにせ古今東西、『一目惚れ』というのは『落雷』に喩えられるもの。

 どんどん水を含んでいく服と荷物に、露伴はゲッとカエルのような声を上げて、集中力を欠くことのなかった顔を歪める。反動で夜月の腕を掴む右手にもいくらか力がこもった。
 少女の柳眉がようやく、ほんの微かにだが歪められる。理由は、痛みではない。

「わかったから、手を離してくれないかなー?」

 それでも口ぶりは穏やかで、気分を害した様子も、人の好意に触れたときめきも見られない。
 人によっては一生に片手で事足りる『告白される』という経験も、夜月にとっては酷く有り触れたものだった。そんなことに、彼女は眉をひそめない。

「ああ、悪いな」

 ただ、己の腕が、何よりも、命よりも大切なのだ。

「このまま立ち話をするのもなんだ。僕の家はすぐそこなんだ。よければ、もう少し付き合ってくれないか。謝礼も、少しで良ければ出そう」

 それは露伴も同じことだった。なによりも大切なのは両腕、ひいては漫画を書き続け読み続けてもらうことで、告白の返事も必要としていない。そもそも――種明かしには少し早いが、彼の感情は恋ではなかった。
 ナニワトモアレ、二人の差異は、露伴の場合両腕を失っても、口や足で漫画を描くだろうということだけだ。

「謝礼は別に……。それより、テレキャスターが私を待ってるから早く帰らなくちゃ」

 そこまでの強さを、夜月は持たない。

「なら、出来るだけ早くすませよう」

 再度少女の手首を掴んで、露伴はずいずいと道を進んでいく。
 雨を顔に受ける感覚は不快だったが、その時の彼の気分は遠足のおやつ代三百円をどう使おうかと悩む小学生一年生よりも高揚していた。

「それ、断らせないってことだよねえ。よければって言ったのに」

 露伴に遠足を純粋に楽しみにするような純粋さがあったかどうか、それは本人さえ知らないことだ。少なくとも夜月は、遠足の前夜は興奮しすぎてなかなか寝付けない程度には、普通の子供だった。

「やだなー、大人ってきたない」

「……あーーッ! ぐだぐだうるさいな。分かった、君は随分と音楽にご執心らしいじゃあないか。僕の持つレコードでどうだ? いまでは金を積んでも手に入らない、レア物もある」

「あーあの、あれ! ヘンドリックスがデビューする前の、ジャケットがエメラルドグリーンでー」

「六枚組CDボックスのやつか? よし……手を打とう。くそっ、ジミ・ヘンドリックスをヘンドリックスだなんて呼ぶやつにアレをやらなくっちゃあならないなんて!」

「いやー助かったよ。亀のラジコンを探すのに必死で、先輩に渡すお土産買いそこねちゃったんだよねー」

 その返事に漫画家はまたぶつくさ何事か不満を漏らすが、それでも未知の体験への興味と好奇心に瞳は輝いている。夜月は夜月で、家に戻ることは諦めてノンキに雨粒を受けていた。雨自体は好きでも嫌いでもなかったが、雨とアスファルトの匂いは心地よかった。
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