回答のない朝
三人目のアリスは天の御遣い
千12の始24まりの天12を撃2て
父親から郵便が届いた。あいつが死んでから一ヶ月。
中身はタブレット端末とちぎったコピー用紙。それだけだった。
せめて『いきなり死んでごめん。』の一言くらい残さないものかと、手紙とも言えない紙切れを蛍光灯に透かしてみた。もちろんあの無口で頑固で堅物な父親がそんな殊勝な真似をするはずもなく――。
透かしても炙っても、そこにあるのは意味のわからない二行足らずの文章だけ。タブレット端末のロック番号は、俺の誕生日でもあいつの誕生日でもなかった。
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知らず知らずのうちに、ため息がこぼれる。
空はうんざりするほどの雨模様で、通学路には七色の傘の花が咲いている。細やかな雨がアスファルトに跳ね返り、ローファーを濡らした。
傘と一緒にコピー用紙を握っていたせいで、ところどころ文字が滲みだす。
「なーに唸ってんだ?」
「おはよう、工藤」
「おう」
後ろから手元を覗き込んできた工藤は、滲んでしまった『暗号』をなめらかな口調で読み上げる。
「三人目のアリスは天の御遣い。千の始まりの天を撃て。――間の数字は12、24、12、2」
「昨日、父さんから送られてきたんだよ」
父が死んだことは、工藤にも伝えていない。わざわざ言う必要も感じられなかったし、どんな反応をされてもうまく笑える気がしなかった。
学校に届け出は出したけれど、幸いにも噂にならなかったようだ。
「へー!」
工藤の紺色の傘が揺れて、俺のビニール傘にぶつかった。友人の声は明らかな精彩を放っている。
そういえば。
昔からこいつは探偵小説なんかに目がなく、特にホームズに熱を上げていた。最近では実際の事件にも首を突っ込んでいるらしい。
こいつなら、解けるかもしれない。
「なあ、工藤」
「暗号だよなこれ! まずは一行目からいこうぜ。えっと『三人目のアリスは天の御使い』……か」
依頼するまでもなく、高校生探偵殿は完全にやる気のようだ。その嬉しそうな顔と言ったら、同い年だというのにご馳走を目の前にしたちいさな子どもにしか見えない。おかしくなって、肩を震わせる。
説明さえ必要なさそうだったが、「四桁のパスコードを示してるんだと思う」と付け加えておく。
「四桁……天の御遣い、天の使い……天使……」
「天使と言えば……ウリエル、ラファエル、ガブリエル……えっと、あとは」
「ミカエル。……なるほどな」
「そもそも三人目ってなんなんだろうな。一人目のアリスだったらどうなるんだ?」
「一人目も二人目も『」』だ」
確固たる自信に満ちた答えが、間髪入れずに返ってくる。
「もしかして、もうわかったのか!?」
「三人目のアリスっていうのは、『鏡の国のアリス』のこと。鏡に天の御遣い、つまりエルを映せば――」
「……カギカッコとじ! でも『鏡の国のアリス』だったら二人目じゃないのか? あとは『不思議の国のアリス』だけだろ」
「ルイス・キャロルは不思議の国の前に『地下の国のアリス』っていう前身の小説も書いてるんだよ」
「つまり」と工藤はポケットから左手を取り出して、人差し指と親指を立てた。
「この形で数字に関係するものと言えば?」
示された形をじっと見つめる。数字、鏡に映ったL、カギカッコとじ……。
――なるほど!
「点字の数符だ」
「正解!」
工藤はその指のまま、「Bang!」と俺の額を撃った。いちいち仕草がキザったらしいやつだが、いまは協力者なので言わないでやる。
数字は文字と同じ点字を用いるため、一連の数字が始まる前に数符を置いて文字との区別をさせる。暗号でさえルールを守るなんて、堅物な父さんらしい。
「『千12の始24まりの天12を撃2て』はそのまま、『線のはじまりの点を打て』ってことだね」
ここまでくれば、さすがに俺にも分かった。
中学校に上がる頃までは父もそれほど忙しくなく、役に立つものから役に立たないものまで、様々なことを教えてくれた。役に立つものの筆頭が、この点字と英語、それからパルクール。役に立たないものは――。
今思えば、どうして普通の会社員の父がそんなものを知っていたのか。この暗号と違って、その答えは永遠にわからないままなんだろう。
「だろうな。で、漢字の横に書かれた数字に対応する画数、つまり『千』の一画目と二角目のはじまり、四の点と二の点で『9』」
点字は二列三行の六つの点で表記される。
左の列が上から一の点、二の点、三の点。右の列は同じく上から四の点、五の点、六の点。数字を表す時に使用するのは一、二、四、五の点の上二行だ。
数字の前に打つ符号、数符は、三の点、四の点、五の点、六の点。繋げれば、鏡に映したL、カギカッコとじ。
「『始』は左側が一の点から三の点、右側が四の点から六の点ってことか? それじゃあ二画目が一の点、四角目が四の点で――『3』」
『天』の一画目が一の点で二画目が二の点で『2』。
『撃』は……。
「って、『撃』はどうすればいいんだよ」
「それは『打』でいいんだと思うぜ。そうすれば二画目のはじまりは一の点、つまり『1』だ!」
――えっと。
「それってありなの? ヒントなしじゃないか」
「ま、まあ。でも点字でうつって言ったら『打』つ、だからな」
「こじつけくさい」
「つまり! 読み解いていけば『9321』になるってわけだ」
「……まあ、素人が作った暗号ならそんなもんか」
俺以外には絶対に解けず、
俺になら絶対に解ける暗号なら、父さんは作ることが出来たはずだった。
それならどうしてこれが俺の元に届いたんだろう。俺以外に、解かせる気のあるものが。
次から次へと、答えのない疑問ばかり増えていく。
「サンキュー工藤。助かったよ」
しかし、改めて工藤の推理力には舌を巻く。通学路を歩くほんの十分たらずで、俺が一晩掛けても解けなかった謎を解き明かしてしまった。
頼っておいてなんだが、少し悔しくもある。しかし――それよりも期待と緊張で鼓動が早くなるのを感じた。
「たしかに、お前の父さんあんまり暗号作りは得意じゃなかったみてーだな」
「そりゃそうだろ。ただの車のディーラーだよ?」
「御使い、『五』使い……点字で五の点は濁点のこと。天の使い、つまり天使のしに濁点をつけて――点字」
「……点字ってわからなきゃ、濁点のつけようもない」
「そういうこと」
工藤は機嫌よさげに、今度はパチとウィンクを決めた。調子よく推理が終わってさぞ気分がいいのだろう。
呆れるほどの推理馬鹿さ加減に、微かに残っていた敗北感さえアホらしくなる。
「ごめんなさいね。ツメの甘い親子で」
「別に、そこまでは言ってねーだろ」
喉を鳴らして笑う頼りになる友人を横目に、早速タブレットをブレザーのポケットから取り出す。
こんな大層な暗号まで用意しているのだから、きっと……。しかしパスコードの三桁目まで入力したところで、指が止まる。
――見てしまったら、もうおしまい。これが本当に最後の、父さんの痕跡。
そんな俺を見て、工藤はなにも言わないでくれた。
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