葬列のない春

 勝ちたい。
 それだけの気持ちが、俺を今よりも前に、早く走らせる。走って、走って、走って――その先には。

「来栖!」

 絶対に、俺を、チームを、勝たせてくれるやつがいる。
 試合時間はロスタイムを残してあと三十秒。点数は4−3。一点差で、負けている。
 だというのに俺の体力はほとんど残っていなかった。レギュラーになって初めての公式戦だからと、はりきりすぎてしまったせいだ。
 無理やり蹴り飛ばしたサッカーボールは歪んだ螺旋を描く。チームメイト――工藤がいる場所からずいぶんと明後日の方向に飛んでいってしまった。

 それでも工藤はまるで羽が生えているかのようにボールに追いつく。そうしてなにもかも振り切ってフィールドを駆け抜けた。疲れなんて微塵も見せない背中。
 初試合なのはあいつも同じなのに、敵わないな、とこんな場合なのに笑ってしまう。

 しかし笑ってもいられない。ゴール前で上がる歓声、それと同時に試合終了のホイッスル。点数はこれで同点。アディショナルタイムがすぐにはじまる。

 ――本当に、呆れるくらいかっこいい男だ。

「ナイスアシスト! ロスタイムは?」

 先輩たちに背中を叩かれながら、ヒーローがこちらに走り寄ってきた。拳を付き合わせて、「一分だって。勝つには、あと一点だ」と返す。
 すると工藤はまるでいたずら小僧のように、ニイッと口角を持ち上げた。そうして「一点? それじゃハットトリックで終わっちまう」と挑発的に笑う。

「残り時間も。頼むぜ、相棒」

 ずいぶん軽く言ってくれるものだ。
 晴天の空に輝く太陽は無慈悲で、拭っても拭っても汗が地面にしたたり落ちた。四月だと言うのにフィールド上はむせ返るような熱気で、息をするのさえ体力を使う。
 ユニフォームで汗を拭いながら客席の『あの子』を探す余裕さえあるお前と違う。こっちは立ってるので精一杯だというのに。

「――おう! 任せとけ!」

 それでも、倒れるにはまだ早い。







「春大会初戦突破おめでとう! ついでに工藤! 生意気にもハットトリックおめでとう!」

 部長が工藤の頭を抱え込みながら叫ぶ。
 試合は、ラスト十秒で工藤がシュートを決めて勝利となった。今は先輩たちに囲まれてやいのやいのと可愛がられている。なんだかんだあいつも限界だったようで、返す言葉にいつもの覇気はない。

「生意気ってなんですか。新生エースを、もっと褒めてください」

「なんだと〜〜〜」

「ま、ハットトリックくらい当然っすけど」

 それはそれとして、工藤は工藤なんだけど。

「来栖もおつかれさん。初試合で2アシストなら、優秀だ」

 地面に横たわった俺の頭にも、三年生の先輩の手が置かれる。なんだかくすぐったいけど、誇らしい気分だ。

「うっす」

 結局アディショナルタイムはボールに触れないまま終わってしまったけれど、最後までフィールドにいられた。確かな達成感と勝利の喜びに、俺はぐっと手を握る。
 もっと強くなりたい。そうして、いつか絶対に世界に――。

「工藤く〜ん! 愛しの幼馴染を連れてきてあげたわよ〜!」

「ちょっと、園子ぉ! 邪魔しちゃ悪いわよ」

 黄色い声に、汗まみれの男ばかりなむさ苦しい空間がぱっと華やぐ。
 工藤の『あの子』――毛利蘭とその友人の鈴木園子が、客席からベンチに降りてきた。

「すっとんきょうな声で叫んでたのはオメーだったのかよ。おかげで一本、シュート外しちまったぜ」

「な、なによーそれ! 人が折角!」

 小学生の頃から名物な、工藤と蘭ちゃんのやり取り。すっかり見慣れたそれは微笑ましくもあるけれど、やっぱり工藤の態度はよくないと思う。好きな子をいじめてしまう小学生そのままだ。これじゃいつまでたっても進展は見込めない。

「工藤も、もう少し素直になればいいのに。蘭ちゃんが可哀想だ」

 横で手すりに頬杖をつく幼馴染に、「ね、園子ちゃん」と同意を求める。彼女も思うことは同じらしく、まっすぐ切られたボブカットをさらりと流しながらため息をついた。

「そーねー。見てるこっちとしては腹立たしいようなもどかしいような、面白いような」

「確かに」

「ほーんと、じれったい。アイツらを見てるとイライラして、甘い物が食べたくなるわ!」

「いいね。どっか、おいしいところあった? あんまり高くないの」

「あったわよー。駅前のね――」

 言い争いを続ける二人バカップルを横目に、園子ちゃんと甘い物の話に花を咲かせる。

「おら、そこのバカップル二組。さっさと帰るぞ」

 そのままオススメのケーキなんかの話をしていると、聞き捨てならない言葉が聞こえた。けれど俺は元より工藤もぐっと言葉をこらえる。言い返したら、余計に冷やかされるだけだ。
 ――工藤と蘭ちゃんはともかく、俺と園子ちゃんはまったく、全然、これっぽっちもそんなんじゃないと言うのに。

「打ち上げは焼き肉だってよ!」

 続いた言葉に工藤の顔がぱっと明るくなる。それも「毛利さんたちもおいでよ」という声を聞いて、苦虫を噛み潰したような顔になるまでの一瞬のことだ。
 面白がってか、本心か、「女の子がいる方が楽しいし」という下心を隠さない声が更に囃し立てる。

「こんなやつら連れってても盛り上がんないですよ。っつーわけで、蘭。園子連れて、さっさと帰れ」

「そ、そこまでいうことないじゃない……私だって、別に行きたくないわよ!」

 フィールド上のヒーローも、蘭ちゃんの前ではただの素直じゃないガキだ。

「蘭ちゃんを男ばっかのとこに呼びたくないんだよ。な、工藤」

「そうそう。アンタってサッカー部に結構モテてるのよ? 当然よねー。毎回健気に応援しに来てんだから」

「ヤキモチだヤキモチ」

 フォローのつもりで園子ちゃんと言葉を重ねる。

「ばっ! バーロー! 好き勝手いいやがって! そんなんじゃねえよ!」

「園子! それに来栖くんまで! こいつにそんな可愛げあるわけないじゃない!」

 あんまり、効果はないみたいだ……。むしろ逆効果?
 しかし工藤も工藤だけど、蘭ちゃんの鈍さも相当だ。結構可愛いやつだよ、そいつ。可愛げがないのは確かだけど。

「はいはい。それじゃ、いつも応援ありがとうね二人とも」

 放って置くとまた痴話喧嘩がはじまってしまいそうな雰囲気だ。名残惜しいけれど会話を切り上げて、二人に手を振った。

「うんっ。次の試合も頑張ってね」

 ったく、こんないい子を泣かせたらいつかバチがあたるぞ。
 蘭ちゃんたちと別れた俺たちは、先に会場を出て行ったチームメイトに追いつく為に足を早める。まだブツブツと「別にヤキモチとかそんなんじゃねえよ」と呟いているのは、どうにも素直じゃない新一くん。

「また来てくれたら、百人力だな」

 ヒーローの情けない姿をからかってやるつもりだったのだが、

「――来栖、オメー……園子のこと好きだったのか?」

「い、いや、そうじゃなくて……」

 べ、別に好きとかじゃない。小さい頃から明るくて友達思いなところがいいなとは思ってたけど。話してて楽しいとか、高校に上がってから大人っぽくなってますますキレイになったとか、それだけで。好きとかじゃ、ない。というか、今は園子ちゃんの話はしてなかったじゃないか!







 父が死んだ。死体は戻ってこなかった。
 外車のバイヤーだった父は、スペインのなんとかという地で交通事故にあったらしい。電話一本での報告だった。「お墓は、どうしましょうか」といやに爽やかな声が電話口で呟いた。死体をわざわざ日本こっちまで運んでもらうのも、空っぽのそれを建てるのもなんなので、「スペインでもどこででも適当に埋めてやってください」と返した。

 母は物心ついた頃からいなかったし、親戚縁者の話すら聞かなかった。仕事関係の連絡先もわからない。どうせ燃やすものもないので、葬式もしないことにした。
 けれど墓と葬式を差っ引いても、保護者が死ぬというのは色々と手続きが必要になる。通帳が使えなくなると聞いたことがあったので銀行にも走ったし、区役所にだって行かなきゃならなかった。
 書類の山を全て提出し終わった頃には、春大会も終わって、梅雨入りを迎えていた。

 しかしそれさえ落ち着いてしまえば、元より留守がちな父親がいなくなっても、俺の生活に変わりはなくなった。
 朝起きて、学校に行って部活の朝練、授業を受けて、また部活。それから友人たちとの寄り道、帰ってきて寝る。本当に今まで通りだ。

 ――減らない牛乳、増えない空き瓶、空のままの灰皿。そういうものが目につくようになって、ようやく少しだけ泣いた。
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