甘い声だ
結局二人は、孤児院にたどり着くまで走り続けた。なまじ軍人同士で体力があったのが裏目に出た。
息も整わぬロシナンテを迎えたのは、矢継ぎ早に繰り出される質問の嵐だ。
「おかえりパーン姉! おっちゃん、パーン姉の彼氏ー?」
「でっけー! なに食ったらそんなにでかくなるんだ? ヤギ!?」
「あなたパーンの上司なんでしょ? パーンはちゃんとやってる? 怪我してない?」
「ねえねえ鬼ごっこしよー!」
右から左から、子どもの甲高い声が襲いくる。新しいおもちゃにみな興味津々だ。
ロシナンテの周りには、子どもたちの小山がこんもりと出来上がった。
「絵面がめっちゃ面白いっスね」
「はやくどうにかしてくれ」
困り果てたロシナンテを横目に、パーンはシスターらしき妙齢の女性に報告と手土産を渡している。
そうしている間にも、ロシナンテを取り囲む山はどんどん大きくなっていった。およそ20人ほどはいるだろう。
「パーン」
ロシナンテの口からは、自分で思ったよりも情けない声が出た。
やんちゃな少年たちによじ登られ、いよいよ彼は身動き一つ出来なくなる。その小さな体は、少しでも身じろぎしただけで吹っ飛んでいってしまいそうだったからだ。
ロシナンテは子どもの扱いに慣れていない。人柄はともかく、環境が、彼に子どもと接触する機会を与えなかった。
「はいはいチビども解散! シスターが、ケーキ切ってくれるってよ」
パーンが慣れた様子で手を打つと、山はばっと崩壊する。「キャー!」「ケーキ!」などと楽しげな声を上げて、子どもは奥の部屋へと走っていった。
「おつかれさまっス」
「どうも」
平和な島での穏やかなバカンスは、望めそうにないな。ロシナンテは少しだけ遠い目をした。
その後二人は、子どもたちに混ざってケーキを頂いてから、――その間も、ロシナンテには雨のように問いかけが降り注いだ。その大体は、パーンがいなしてくれた。――外に散歩へと出かけた。
パーンの暮らしていた孤児院は、町から少し離れた場所にある。小高い丘の上、かつては森があったであろう荒れ地に、それは建っていた。
太陽は沈みかけ、見下ろす先には、淡い色合いの島がオレンジ色に染まっている。並んで歩く道に、二つの影が長く伸びた。
「キレイだな」
「そうっスね。観光する場所とかはないけど、自分はこの島が気に入ってます」
つぶやくパーンの横顔は、刻々と色を濃くしていく夕焼けに照らされて、少し別人のように思えた。
薔薇色というのは、今の彼女の頬の色を言うのだろう。
ロシナンテはその頬に手を伸ばしたが、結局、ごまかすように頭を掻くだけで終わった。以前なら、なんのためらいなく触れていただろう。
彼は近頃、自分がよくわからなくなる。
「キレイだ」
もう一度、今度はパーンを見つめながら、ロシナンテは言った。
「……そんなにここが気に入ったなら、『ウチ』で雇ってあげましょうか?」
はじめこそ扱いに戸惑っていたロシナンテだったが、滞在二日目になれば、すっかり子どもたちのよき遊び相手となっていた。
ナギナギの実を使った一発芸は、しっかりと滑ってしまったが。
「おっかしいな、鉄板だったんだが」
「どんだけ甘やかされてたんスか」
少し休憩したらどうっスか。と差し出されたレモネードを手に、ロシナンテは一旦、孤児院の中へと戻る。
「二人が来てくれて助かったわ。私じゃもう、あんな風に元気に遊んであげられないから」
外で走り回る子どもたちを窓越しに見つめ、シスターは目を細めた。その瞳には体温があり、彼女の子どもたちへの深い慈しみと愛情が見て取れた。
なんとこの孤児院は、この妙齢のシスター一人で運営しているらしい。腕白盛りで育ち盛りの子どもが20人以上もいるのだ。並大抵の苦労ではないだろう。国からの補助金はあるらしいが、それも微々たるもの。実質、パーンの給料と自給自足だけで賄っているらしい。通りで子どもたちもパーンも、細くて頼りない体をしている。
「でもごめんなさいね。ロシナンテさん、せっかくのお休みなのに」
「いいんスよ。中佐は、あいつらと精神年齢がそんなに変わらないっスから」
「おい」
それでも彼女たちの表情は明るく、このひとの良さそうなシスターからたっぷりの愛情を受けて、健やかに育ったのだろう。
ロシナンテの胸は、感謝したい気持ちでいっぱいになった。
日中は子どもたちと遊び、夕方になればパーンと島を散策する。料理はお世辞にも豪勢とは言えなかったが、笑い声の絶えない食卓というのはよいものだった。夕食後はパーンとキッチンでとりとめのない会話――昔のことだったり、好きな音楽の話。私服の相手にまだ見慣れないなどのくだらない話――をして、まだ宵のうちから床につく。
思っていた休暇とは少し違うが、これはこれで、つかの間の休息として悪くない。
ロシナンテはそう思いながら、夕食に使った皿を洗うパーンの背中を眺める。
この島に滞在するのは四日間。明日は出発の日だ。すこしでも、彼女たちの力になれることはないだろうか。頼りなげな後ろ姿を見ていると、そう思えて仕方がない。
「パーン」
せめて皿洗いくらい手伝おうかと椅子から立ち上がると、「どうしたの?」と驚くほど柔らかな声が返ってきた。
甘い声だ。
「またなにか壊したな。ほんとにしかたな――」
振り返ったパーンの顔が、ぱっと赤く染まる。
「で、でかい図体で赤ちゃんみたいな声だすんじゃねーっスよ!」
そんな声出してないとか、弟たちにはそんな甘い声で話すんだなとか、言いたい言葉はたくさんあった。
それでも、ロシナンテの口をついたのは「お前が、可愛くてしかたねェ」ということさら甘い言葉だった。
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