まあいいか

 パーンの目が開かれたとき、ロシナンテはうっかり泣いてしまいそうだった。
 彼は情深く、涙もろい。
 パーンは一週間もの間、目を覚まさなかった。発見されたときの彼女は、生きているのが不思議なほどボロボロだったのだ。
 医務室の真っ白なベッドに横たわるパーンの呼吸は浅く、訪れる度に痩せていく手首が恐ろしかった。
 ようやく「おはようございます」と開かれた唇に、ロシナンテがどれほど安堵したことか。
 ぎこちなく笑って、涙を飲み下す。うまく話せたことをほっとしながら、パーンの次の言葉を待った。

 しかし彼女の表情を見て、ロシナンテはまたも涙腺を刺激される。
 なんて顔をするのだろう。まるでようやく親をみつけた迷子のような頼りないその顔は、普段の生意気なパーンからは想像も出来ない。

「24時間営業年中無休全国チェーンの完璧な孤児院は、24時間営業年中無休全国チェーンの完璧な孤児院っスよ」

 震える喉から紡がれる言葉は相変わらずの彼女のものだが、少しずつ滲んでいく瞳を見ると、ロシナンテは胸を掻きむしられるような気持ちになった。
 許されるなら、抱きしめてやりたかった。抱きしめて、もう泣いてもいいのだと言ってやりたかった。
 生死の淵から戻ってきた部下にそうしてやることに、なんの問題もないはずだ。しかしロシナンテには、軽率に彼女に触れることが躊躇われた。なぜだかは、自分でもわからない。
 代わりに、いつものように軽口を返す。

「でっかい夢だな」

「そうっスよ。でっかいでっかい夢っス」

 パーンは目を開けてるのも辛いのか、だんだんと瞼を閉じていく。「寝てしまって構わない」と言えば、パーンは少しだけ口角を持ち上げた。

「だから自分は、もっと、頑張らないと」

 そして頬には、瞳を濡らしていた涙がゆっくりと伝う。

「この夢が、叶う必要がないように――」

 それだけ言って、パーンは気を失うように眠りについた。
 ロシナンテはそっと、濡れた頬を拭う。
 この細い体のどこに戦斧を振るう力があるのか、ずっと不思議だった。それが今日、ようやく理解できたような気がする。
 彼女にも、目指すべき世界があるのだろう。



 ロシナンテが廊下に出ると、同じく仕事を終えたらしい隊員たちとはちあわせた。
 敬礼をしながらも気遣わしげな表情を浮かべた彼らに、パーンの無事を伝える。今寝たばかりだから静かに、とロシナンテが言い切る前に、隊員たちは歓声を上げて部屋になだれ込んでいった。

「おい……」

 まあいいか。
 ロシナンテはいつもパーンがするような、呆れと親愛のこもったため息をついた。
 パーンもあれくらいの明るさに触れたほうが、完治も早まるかもしれない。きっと彼女はあの喧騒に叩き起こされ、不機嫌そうな顔を見せるだろう。それからため息をついて、愛おしそうに笑うはずだ。



 持ち帰った書類仕事を進めながら、ロシナンテは頭を抱える。
 今回の戦果はさんざんだった。生き残った人間は救えた、としか言えない。
 結果だけ見れば、海賊自体は船長を含めほとんどを捕縛でき充分なものだろう。
 それでも、ロシナンテはさんざんな結果だと思う。味方にも住民にも、あまりにも多くの犠牲が出た。死んでいったもの、パーンのように生死の境をさまよったもの。ロシナンテ自身、戦えるようになったのはあれから三日後だ。
 無慈悲な、無意味な暴力によって傷つき、命を落とす。そんなものが蔓延している世界が、正しいはずがない。

 ロシナンテは書類に走らせるペンを止め、引き出しから一枚の手配書を取り出した。
 描かれているのは、不敵に微笑む金髪の大男。彼と同じ苗字を持つ、ドンキホーテ・ドフラミンゴだ。
 ――やはり『海賊』を、許すわけにはいかない。
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