白い天井だ

 パーンは争いを好まなかった。
 世界は怖いものばかりだ。痛みも、辛さも、悲しみも、彼女は我慢出来ない。それでも、仕事はしなくてはならない。

「中佐ァ、生きてるっスか?」

 携帯電伝虫を握りしめ、震える手足を叱咤する。
 辺りは炎と硝煙に満ちている。救援に駆けつけた島は、まるで地獄だった。

『生きてる』

 交戦中だろうに、ロシナンテの落ち着き払った声が帰ってくる。電伝虫越しに聞こえる、悲鳴と銃声、耳を塞ぎたくなるような子どもの泣き声。目の前でも同じ惨状だ。避難させても避難させても、まだどこかで子どもが泣いている。
 一億二千万ベリーの賞金首が率いる海賊団は、まるで飲み込むように町を滅ぼしていく。狙いは、この島の市長が溜め込んだ財宝だろう。けれどこの無意味は暴虐はなんだ。
 パーンは舌打ちをして、「馬鹿みたいに広いこの島に、この人数で足りるわけがないだろ!」と毒づいた。

「あ、失礼したっス」

 人数が限られた状態では、少人数ずつ分かれて行動する他ない。他人を庇いながら道を開くのは、分かってはいたけれどしんどいものだ。
 しかも、幹部クラスだろうの海賊、数十人と鉢合わせてしまった。こちらは十三名の海兵と、五十人ほどの子どもだけ。これ以上の最悪を、パーンは知らない。
 銃弾がこちらに飛んでくる。避ければ、標的になるのは子どもたちだ。避けることも、反撃するために飛び出すことも悪手な状態。相手もそれがわかっているのか、嬲るように銃を撃つばかりで、こちらに近づいてはこない。
 手持ちの武器で防ぎ続けるのにも限界がある。戦火を抜けてきた隊員たちの体はもうぼろぼろで、このままでは相手を捕まえるどころか、船に戻れるかどうかも怪しい。

「ところで自分の夢聞きます?」

『やめろ、こんな時に。縁起でもねェ』

「まあ、そんなこと言わないで」

 パーンは深く息をする。
 灰と埃でむせそうになったが、生唾と共に飲み干した。笑いながら放たれた銃弾が、肩に食い込む。

「目指せ24時間営業年中無休! 全国チェーンの完璧な孤児院!」

 痛みも熱さも気にせず、パーンは大きく飛び出し、得物のハルバードを振るった。
 なかば自棄になっていたとしても、それがパーンの考えられる最善策だった。悪手がなんだというのか。

「きみらは一時撤退! まずは今いる子どもたちの安全を優先してください。どんどん逃げろ。さっさと逃げろっス」

 戦斧というのは、遠心力で相手にダメージを負わす。しかも柄の長さに比例して攻撃範囲が広がる武器というのは、彼女の求める力だった。とにかく多くの敵をなぎ払い、少しでも早くこの惨劇を終わらせる。一人でも、泣くことになる子どもを減らせるように。

「ということでロシナンテ中佐、独断で失礼します。ここ切り抜けられたら、なんか偉そうなやつらを片っ端から殴ります」

『パーン! 勝手な真似は――!』

 ロシナンテはまだ何かを怒鳴っていたが、気にせずに通話を切る。
 体が震える。武者震いではない。戦いに赴くとき、パーンを支配するのはいつだって恐怖だけだ。それでもパーンは歯を食いしばって、己の守りたいものの為に力を尽くした。
 どうやら敵は、逃げ出した子どもたちよりもパーンに興味を引かれたらしく、追うこともなく応戦してくる。もちろん何人かは隊員たちを追おうと走ったが、パーンがそれを許すはずがない。

「おれらも随分と舐められたもんだなァ」

「お嬢ちゃん。ハッタリを通すなら、いろんなところがもっとおっきくなってから言わねえとなァ」

「そしたら少しは優しくしてやったのに」 

 生きのいい獲物に、海賊たちは下卑た笑みを浮かべ、パーンの猛攻を御していく。いくら一体多数に長けた武器とは言え、海賊たちも生半可な力で海には出ていない。手持ちの爆弾はすでに使い果たした。
 庇う相手はいなくなったが、パーンを取り囲む自体にほとんど好転は見られない。

「うるっせえバーカ! バーカ!」

 そもそも彼女に振り分けられたのは、住民の救助だけだった。
 彼女の性格を鑑みた、ロシナンテの采配だ。それを大本から崩す単独行動。

「こちとら図体のでかいやつに、優しくしてやる気なんかないっス」

 生きて帰れたらさぞや叱られるだろう。
 ああもう、やってられない!



 真っ白な天井。

 どこが痛いのかわからないほど全身が痛いが、どうやら自分は生きて帰れたようだ。
 パーンは妙に冷静に思いながら、手にフルーツバスケットを持ったロシナンテの顔を見上げた。

「起こしたか?」

 不肖の部下を、見舞いにきてくれたのだろう。その表情からは感情は読み取れず、パーンは恐る恐る「おはようございます」と呟いた。

「おはよう。24時間営業年中無休全国チェーンの完璧な孤児院、ってなんだよ……」

 そうぎこちなく笑うロシナンテの顔を見ると、パーンはなんだか無性に、泣き出してしまいたいような気分になった。
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