完敗である

 頭が痛い。
 パーンは昨夜の深酒を悔やみながら、島の見回りをしていた。
 マリンフォード周辺だけあって、きちんとした整備された町並みだ。そのこと自体は幸いなのだが、足音は石畳によく響き、彼女を苛める。頭に矢でも刺さっているようだった。

 我慢出来ずに、隣を悠々と歩くロシナンテを睨みつけてしまう。八つ当たりも甚だしいことは、パーンにも分かっていた。
 ところで、二人の間には身長差がゆうに一メートル以上ある。必然的にパーンは大きく上を見ることになり――馬鹿みたいな青い空と太陽が、彼女の頭を殴った。

「〜〜ッ!」

「大丈夫か?」

 なにもかも面白くない。一緒に酒を飲んだ上司が平然としていること。隊員たちに「そんなに楽しかったんですかー? 曹長ー」と囃されながらの出勤となったこと。歩く度に痛むならさっさと『浮いて』しまえばいいということに気づかなかった自分。
 そしておぼろげな記憶の中にある、ロシナンテの広い背中。
 パーンは己の失態に、力いっぱい歯ぎしりをした。まさか、歩けなくなるまで酔っ払うなんて! 羞恥と不甲斐なさ、申し訳ない気持ちが彼女の中で渦を巻く。

 さっさと謝罪をして忘れてしまおう。そうだ、それがいい。
 そう己を鼓舞し口を開くが、「昨日は、大変失礼したっス……いつもはあんな――」、つい歯切れの悪い言葉選びになってしまう。

「らしいな。いつもは介抱する側なんだろ。そんなに疲れてたのか?」

 返ってきたのは、心得ていたような伝聞口調。
 なんで、と尋ねる前に、「送っていったとき、隊のやつらが言ってた」とロシナンテは微笑ましそうに目を細める。

「……余計なことを」

 パーンは顔が熱くなるのを感じた。
 そんな風に言われたら、まるで自分が彼に気を許し、信頼しているような、あまつさえ甘えてきっているようではないか。
 上司と部下の間柄ではあるが、戦場ではともかく、日常生活においてはむしろ自分のほうが彼の面倒を見てやっている。パーンはそう思いながら、ロシナンテとの関係を築いていた。なのに、この体たらくである。

 もちろん、ロシナンテもこの若さで海軍本部の中佐になるような人物である。ぬけているところはあるが、仕事も、日常生活だってうまくやっている。それでも、彼のあまりの人のよさと屈託なさ、そして彼いわく『ドジっ子』のせいで、パーンはどこか弟たちにするように接していたことは否めない。

「以後このようなことがないよう、気をつけるっス……」

 幸いなのは、そのどちらもロシナンテには気づかれていないことか。

「構わない。そこまで気を許してくれるのは、上司としては喜ばしい限りだからな」

 パーンが思っていただけだったが。

「ぐ、うう」

 完敗である。



 朝から晩まで歩き回って、捕まえたのは海賊くずれの食い逃げ犯五人だ。

「それじゃあ、お先おつかれさまっス」

 平和である、とのんきには思えない。今もどこかで、海賊たちによる暴虐の被害者が出ているのかもしれない。そう思うだけで、パーンの心は少しだけ重くなる。海軍に属する人間には、大なり小なりある感情だろう。
 現にロシナンテは、まだ難しい顔をして書類と電伝虫と睨み合っている。

「ああ、おつかれ」

 一礼してから廊下に出ると、目の前には懐かしい顔があった。相変わらず険しい顔をした男だなと、パーンは思う。

「スモーカー。久しぶりっスねー」

「エバーランド……そうか、お前もこっちに来たんだな」

 彼とパーンは以前、大規模な海賊狩りで任務を共にした。短い付き合いながら、上官に舐めた態度ばかり取るパーンと、跳ねっ返りの強いスモーカーは、それなりに気が合った。

「遅ればせながら、栄転っスよ。ところで、そろそろ海軍やめる準備できたっスかー?」

 壁を背にもたれかかり、パーンはニマニマと質の悪い猫のような笑みを浮かべた。

「んなもんしてねェよ」

 スモーカーは舌打ちをするが、気にせずに勧誘を続ける。
 彼はこんないかつい顔をしているが、子どもに大層優しいことをパーンは知っている。夢の実現の為に、ぜひともほしい人材だった。

「絶対、『うち』の方が待遇いいっスよー。スモーカーに向いてると思うし」

「絶対に向いてねェ!」

 『うち』とは、彼女の育った孤児院のことだ。このご時世、家や家族を失った子どもは大勢いる。孤児院はいつだって人手不足なのだ。

「退職後でもいいから」

「じじいになっても、付き纏うつもりかお前……ッ」

 ハッハッハッハッと軽やかに声をあげるが、パーンの目は笑っていない。やっと見つけた逸材だ。手放すつもりは毛頭なかった。
 しかしスモーカーも彼女のしつこい誘いには慣れたもので、適当なところで話を切る。
 それから目の前の扉を指差して、「お前、ロシナンテ中佐の下についたらしいな」と言った。

「知り合いっスか?」

「訓練生時代にちょっとな。お前、あんまりあの人のこと舐めてると――」

 言われなくても、パーンにはわかっている。というか、今日わかった。苦々しく、顔が歪む。
 それを確認すると、スモーカーの眉間に寄った皺が微かに緩まった。

「もう痛い目見た後か」

 面白くない。
 パーンは、上司に差し入れる予定だったコーヒーをめちゃくちゃに苦く、熱いものにする決意をした。
 きっとあの人は盛大にこぼすだろう。それを恩着せがましく懇切丁寧に拭いてやる自分の姿を想像すれば、少しだけ溜飲も下がった。

「あんたも中佐も、イイ性格してるっスね」
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