ヤギが鳴いた

 人を値踏みするような、嫌な目つきだ。
 毛を逆立てた母猫に似た表情。それは棒のように細い手足とまだあどけない頬には不似合いで、向かい合ったロシナンテは目を瞬いた。

「今日付けで君の下につく、エバーランド曹長だ」

 センゴクはそう言って、少女――パーンの方を一瞥し、己の髭に手をやった。

 突然呼び出されて、何用かと思えば。
 随分と急な人事だ。普通なら先に通達かなにかあるはずなのだが――。センゴクの態度を見るに、それこそなにかあるのだろう。ロシナンテはそう思いながら、パーンに握手を求めた。

「よろしく。ドンキホーテ・ロシナンテだ」

「……エバーランド・パーン、っス。よろしく、ドジっ子中佐サン」

 差し出した手を握り返してくる華奢なてのひら。含みのある口ぶりと、毒のある笑み。
 炸裂する殴打音。

「だから大人はキライなんスよ! すーぐ殴る!」

「これだからガキは嫌なんだ! 礼儀というもんを知らん!」

 パーンは頭を抱えながら、横で憮然とするセンゴクにわめき散らす。対するセンゴクも、引きつった笑みを浮かべ、なおも拳を固めていた。

 やれやれ、厄介なものを押し付けられたもんだ。
 ロシナンテはため息の代わりに煙草に火をつける。そして燃えた。

「大将……――あれ、ウケ狙いでやってるんスよね」

「じきに分かる」

 ヤギが鳴いた。



 そんな、あまり素晴らしいとは言えないファーストコンタクトを果たした二人も、ニ三ヶ月も経てば、関係はかなり良好なものとなっていた。

 貧乏くじを引かされたか? と疑っていたロシナンテも、パーンの勤務態度を見て考えを改めた。彼女はなにごとにも一生懸命というわけではないが、しかし真面目に働き、こと『子ども』が関わる事件に関しての熱意は並々ならぬものだった。
 そしてもとより人懐こい性質なのだろう。よくよく話してみれば、この小生意気な部下の可愛げも見えてきた。

 パーンの方もはじめこそ警戒心をむき出しにした棘のある態度だったが、ロシナンテの情深い人柄に触れるにつれ緩和していった。誰かの為に傷つくことをいとわない彼の背中は、同士としてとても頼もしいものに思えた。
 ロシナンテの、まるで『これが正しい歩き方だ』というように転び、なにごともなかったように立ち上がる姿。そんな光景を見慣れた頃には、すっかり彼を上司として認め、友好と敬意、それと少しのからかいをもってロシナンテに従うようになった。



 毎度毎度、ロシナンテはまるで『これが正しい椅子の座り方だ』というように転んだ。そしてやはり、なにごとにもなかったかのように座り直す。

「ロシナンテ中佐。中佐はいつになったら、自分の身幅を覚えるんっスか」

 パーンが、呆れと親愛のこもった笑みを浮かべながら言った。彼女のそんな表情が直視出来ず、ロシナンテはコートの襟を整えながら、目を泳がせる。

「なんのことだ」

「し、シラのきりかたがあまりにも下手くそ」

 逃走を許さない追求が続いたが、ロシナンテは聞こえないふりをして書類に目を走らせた。「さかさっスよ」という言葉が届くまで。
 手にしていた書類を机に放り、ロシナンテは深刻そうに指を組む。

「……黙っていたがな、パーン。実はおれは――」

 それからたっぷりと間をとって、「ドジっ子なんだ」と重々しくのたまった。

「え、っと……」

 パーンは一度こめかみに手をやり、よき部下としてどうあればいいのか逡巡する。浴びせたい罵倒がいくつか浮かんだ。

「うわー、知らなかったっスー。そうだったんスねー」

 しかしぐっと堪え、振り絞るように言葉を選んだ。
 これが最適の一手だったかはわからないが、最善であることだけは確かだろう。

「ああ、そうは見えないだろうがな」
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