ヤギが、鳴いた

 必死に意識を繋ぎ止める中、ロシナンテの脳裏に浮かぶのは大切な人たちの顔だ。
 その中に幼い頃のドフラミンゴの姿があったのは、彼自身少し意外だった。確かに愛していた日々はあったのに。結局、彼には兄を止めることは出来なかった。
 ――なにを悔いても、嘆いてももう遅い。自分は自分に出来ることを精一杯やった。
 ただ出来れば、こんな不甲斐ない恋人のことを、あの子が早く忘れてくれるといい。
 視界が、雪に塗りつぶされるように白んでいく。
 まだだ、もう少し……。



 結局、ドンキホーテ・ロシナンテという男は、誰かの為には生きられなかった。
 彼は海軍にも、弟に、恋人にも向いていない。
 彼は彼としてしか、生きることが出来なかった。



 呼び出された執務室に入れば、大将センゴクがこちらをじっと見据えていた。目元は、微かに赤く腫れている。
 パーンの心臓は、けたたましい警告音を告げた。続く言葉が、なぜか目に浮かんだからだ。
 挨拶もそこそこに、本題は切り出される。

「ロシナンテ中佐が、死んだ」

 心臓が、白く溶け落ちるような感覚に襲われる。冷たく、熱い。
 ヤギが、鳴いた。
 それを最後に周りの音は、パーンの耳に届かなくなる。

 気づけば彼女は、ロシナンテの執務室にいた。
 倒れ込むように、椅子にもたれかかる。
 ロシナンテを待って三年以上も経った。もうどこにも匂いなんて残っていない。同じ煙草を吸ってみても、寂しくなるだけだった。
 彼の帰りを疑う夜もあった。危険な任務だ。そもそも海軍に身をおいていれば、死ぬような目にあうことなんていくらでもある。
 それでも、パーンは信じていた。どれだけ傷だらけになっても、必ず、またなんでもないことのようにあの扉を開いて――ここに帰ってきてくれるということを。
 それももう叶わない。

 ここに入る度に屈められた広い背中。彼は長い手足を持て余して、いつだって上手に椅子に座れなかった。何をするのも不器用で、なんて生き辛そうな人なんだと思った。不器用で、自分勝手で、優しくて、嘘つきで、残酷な人。
 思い出ばかりが膨らんで、どうしようもなくなる。罵ってやりたい言葉がいくつも浮かんだ。届かないと分かっていても、大声を出して謗ってやりたかった。

「……頑張りましたね、ロシナンテ中佐」

 けれど振り絞るように吐き出せたのは、それだけだった。 


END
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