めでたしめでたし
休暇を終えてから、ロシナンテの様子はどこかおかしい。
いや、休暇中も大分おかしかったのだが。それはバカンスの浮かれた気分とロマンチックな町並みに当てられたんだと、パーンは自分を納得させた。
現に海軍コートを肩に掛けたロシナンテは、あの島でセーターを着て笑っていた彼と違い、パーンに向かって「かわいい」だとか「キレイだ」などとの世迷い言をぬかさなくなった。
――それを残念に思う自分も、島に置いてこれたらよかったのに。
それはそれとして、ロシナンテの妙な行動だ。
彼は目が合うと気まずそうに目をそらし、しかしパーンが他の方向を向いているときは、なにも言わずにじっと彼女を見つめた。そして何かを言いかけては、下手くそな誤魔化し方をする。
パーンはあの目を知っていた。言えば叱られる秘密を、話そうかか話すまいか悩んでいる――弟たちの顔そっくりだ。必死に隠そうとする気持ちと、察してほしい甘えを混ぜた、いじらしい表情。
うちの上司はなんて可愛いんだろう。
もちろん、パーンは聞いてやるだなんて譲歩は見せない。
「なんか意地の悪いこと考えてるだろ!」
「なんのことッスかー?」
「すっげえ悪い顔したもん!」
なにが『もん』だ、まったく。この人は本当に、仕方がない。
見回りを終えて船へと交代に向かう道すがら、パーンはようやく、「ロシナンテ中佐、自分になにか言いたいことがあるんじゃないっスか?」と水を向けた。
「な、なんのことだ!?」
わかりやすく狼狽えるロシナンテの目には、よくぞ聞いてくれた! という喜びが見えるようだった。
もしかしたらこの人は、自分がショックを受けないようにとそれとなく匂わせてくれていたのではないだろうか。そう思えるほど、彼の目は雄弁だ。
「実は――」
けれどそっと耳打ちされた内容は、パーンの予想の遥か斜め上を行った。
驚いた。勿論突然の長期の潜入捜査というのにも驚いたが、なによりもそれに多大なショックを受ける自分に驚いた。本当はわかっていた。自分は、彼を愛している。
「極秘の任務だ。言うのが遅くなったのは、謝る」
項垂れるように、ロシナンテはそう囁いた。
ドンキホーテ・ファミリー。それはパーンも聞いたことのある、近年頭角を現しはじめた海賊団の名前だ。残虐で有名な船長のドフラミンゴは、ロシナンテの生き別れた兄なのだと言う。どうして気づかなかったのだろう。ドンキホーテなんて苗字が、そうあるはずないのに。
出発は明後日。全てがあまりにも突然で、パーンは言葉を失う。
「なあ、パーン」
何も言えないままのパーンの頬に、ロシナンテがそっと手を重ねる。
「……なんスか?」
ついぶっきらぼうな口調になってしまう。これ以上口を開いたら、涙がこぼれてしまいそうだったからだ。
「帰ってきたら――」
「縁起悪いっスよ」
「茶化すな」
強く、抱きしめられる。逞しい両腕は、パーンの全く知らない力強さで彼女を包み込んだ。
誰かに抱きしめられるなんて、いつぶりだろうか。
それは酷く甘美で、泣きたくなるほど幸せなものだった。このまま彼に身を預けて生きていけたら、どれだけいいだろう。縋り付いて、行かないでと言えたら。
パーンはロシナンテを強く抱き返しながら、希った。
けれど、それは絶対に出来ない。パーンにはしなければならないことがあるように、ロシナンテにも、きっとあるのだろう。自分の都合で、彼の人生を振り回すわけにはいかなかった。
厚い胸板をトンと押す。あっけなく、その体は離れていった。
「頑張ってくださいね、中佐。自分も、頑張ります、から……」
弱くも強くもなれないパーンが言えたのは、それだけだ。
自分はいま、うまく笑えているだろうか。
ロシナンテの顔を見るに、成功しているとはいえないようだ。
彼は顔を顰めて、それから、もう一度パーンを抱きしめた。それは先程よりも強く、息もできないほど。
「帰ってこれたら……お前の夢の半分、おれにも持たせちゃくれないか」
我慢の限界だ。
ついにパーンの瞳からは、堰を切ったように涙があふれでる。
ありがとうと、嬉しいと、愛していると、伝えたい言葉はたくさんあった。そのどれも声にはならなくて、ただ両腕に力を込めた。
そうして二人は、幸せなキスをした。
めでたしめでたし。
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