黒衣の女
ドンキホーテ・ドフラミンゴは、退屈しのぎの殺戮を好まない。
賢しい彼は、それがどれ程無意味で、悪手であるかを知っているからだ。目的のない暴虐は敵を作るだけで、彼になんの利益ももたらさない。
かつて彼の部下たちはドフラミンゴが葉で頬を切ったと言えば森を燃やし、転んだといえば町を燃やした。まるで無花果の呪いだ。
その時こそ胸のすくような思いだったが、後に意味のないことだと思い知る。
いずれ己のものになる『家畜』の数を、みすみす減らす馬鹿はいない。たとえそれが、減らせど減らせど鼠のように増える生き物だとしてもだ。
けれど――逆らうものがいたら殺す。略奪の為に破壊する。支配の為の凶行。それは己の権威を知らしめる絶好の機会だ。ドフラミンゴは部下たちに命令する。
「思う様暴れろ」
悪逆の限りを、蛮行を許し、虐殺を望む。希望一つ残さず、すべてを喰らいつくせ。彼らファミリーが町を、人を屠る様は、厄災だ。
繰り返すが、ドンキホーテ・ドフラミンゴは退屈しのぎの殺戮を好まない。もしもそれを行うとしたら、衆人環視の、エンターテイメントであるべきだ。
彼の忠実な配下たちはそれに従った。
「おや、死んでしまった」
一人の女を除いて。
背の高い女だ。彼女は長い間、それこそ創設時からドンキホーテファミリーに居座りながらも、自分は幹部でも配下でもないと嘯く。曰く、ドンキホーテ・ドフラミンゴの『メイド』であると。
暗い路地裏に佇む彼女の足元には、首を締められて死んだ男が一人。
「ナマエ」
彼女の名前を呼ぶ低い声。彼女のただ一人の主君、ドフラミンゴその人だ。
月を背に立つ巨体は、まるでひとつの芸術品か、そうでなければ化け物だった。彼は呆れたように眉根を寄せ、地面に転がる死体を蹴り上げた。
「何度言ったらわかるんだ。それとも、おれを納得させられるようなワケがあるのか?」
声には段々と苛立ちの色が混ざっていく。
戯れに人を殺すことに、実のところそれほどの害はない。けれど、いつまでも言いつけに背く女を、ドフラミンゴは時折憎らしく思った。
「……私に、君に嘘を吐けというのか? 酷い人だな、ドフラミンゴさま」
人一人捻り潰した手を、嫋やかにドフラミンゴの胸に重ねる。
「でもそうだな。どうやらこいつは、明日とある商談を予定していたらしい。もしかしたらそれは、私たちの望んでいるものかもしれない。だから殺した」
どうだ? とナマエは唇を歪めた。まるで理にかなっていない。言っている本人でさえ、おかしくなったのか白い喉をのけぞらせて笑った。赤い唇が月光を受け、冴え冴えと輝く。
「それで、お前はどうしたいんだ」
ドフラミンゴの顔に、歪な笑みが張り付く。世界を嘲るような笑みだ。毒々しいその表情を、ナマエは一等愛していた。
「出来るだけ人が死ぬように」
彼女は殺戮は好まない。ただ、人の死が喜びだった。
島が燃える。赤々と燃える。悪魔の舌に似た炎は町を、人を飲み込み、ゆくゆくは島全部を焼き滅ぼすだろう。
ドフラミンゴたちにとって、ただ通り過ぎるだけの島だった。目的もなく錨を降ろしたその場所は、戯れと詭弁で灰になる。
結局のところ、ナマエが殺した男の商談というのは、果実の苗木だった。何の変哲もない、しかしこの島にとって利益をもたらす、ただそれだけのものだった。しかしその苗木も、ナマエはため息と共に火にくべた。
緑豊かな、まるでおとぎ話に出てくるような島だった。
それだけに、火をつければあっという間に燃え広がっていった。
幹部たちは実入りの少なさを嘆き、久方ぶりの悪逆を喜んだ。甲板では誰からともなく酒を酌み交わし、宴が始まっていた。
「これで、満足か?」
デッキの手すりにもたれ、飽きることなく炎を眺めるナマエに向かって、ドフラミンゴは笑声を漏らした。
女は瞳に赤い炎を映したまま、「勿論だ」とつぶやく。
「まったく、我ながら甘いな」
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