習い
「メローネは、どうしていつもここにいるの? 学校とか、お家は?」
その日はいつもよりメローネの機嫌が良くて、本を捲るだけであたしをあまり構ってくれない。面白くないあたしが投げかけた質問に深いイトはなく、ただの話しかける口実だった。
けれど彼は、一瞬、恐ろしい程冷たい目をした。
「本当にそれ聞きたいの? 意味なく聞くにしては随分ハズレな話題だぜ。興味本位で踏み込まれたいような内容じゃ――……」
しかし淡々と告げられた言葉は段々勢いをなくして、最後には聞き取れないほど小さくなってしまった。
「いや、ごめん、君が気になるのも当然だ。……つい、かっとなっちまった……なァ、ナマエ。許してくれるか」
許すも許さないも、あたしが無神経だったから悪いのだ。そう慌てて弁解すれば、メローネはほっとしたように唇を舌で湿らせる。
「そう言ってくれてよかった。俺は君のこと結構気に入ってるんだぜ。……どうしてここにいるか。そうだな……」
こちらこそごめんと俯くと、メローネはぽんぽんと頭を撫でてくれた。
言い辛いことなのか、彼らしくない不明瞭な言葉をもごもごと口の中で転がしてから、覚悟を決めたように深く息を吐き出す。
「本当に、大したことじゃあないんだ。俺は……まァ、見ての通りのボンボンで、よくある話通り親との折り合いが悪くって……家に居着かない変わりに、どこでも好きな場所をやるっていう話になってさ。それでここ。言っておくけど、他にも馬鹿みたいにでかい別荘とかも案に上がってたんだぜ」
「それなら、なんでこんなところにしたの?」
「おいおい、随分だな。……意味なんかない。でも向こうの思惑通り遠くに行ってやるのも腹ただしいし……」
そんだけだよ、別に面白くもなんともないだろ。そう言って、メローネは今度はピカピカのナイフを磨き布で擦りはじめる。話はお終い、の合図だ。
あたしは本当に本当に後悔しながら、メローネの膝の上に乗せていた体をぐるりと回転させて、彼の顔が見えないようにした。
「――こないだ聞いた時さ、父親の髪の色はでなかったのに、母親のはすぐに出ただろ?」
しばらくして、今度はメローネが先に口を開く。
そういえばそうだ。父親の姿が浮かばなかったのは、あたしが顔を上げるのを父が厭うからに他ならないが、あたしが生まれると同時に死んだ母の姿も同じに思い描くことができない。ましてや父さんから聞いたこともない。
写真だって覚えている限りでは一枚もない。
「つまりさ、あんたが物心つく寸前くらいまで、母親は生きてたんじゃあないのか。というか、生きてたんだよ。……今も、生きてるよ」
「え?」
「だって、俺の母さんだもん」
それは読み終わったページをめくるよりもなんでもない風に、そう聞こえるように、精一杯気を張った言葉だった。
あたしは彼が告げた事実より、メローネがそんなことをすることの方にずっと驚いた。
「なんてね、冗談冗談。信じた?」
「びっ……くり、した」
「俺とナマエが兄妹とか、そんなわけないだろ」
「だよね。あたしとメローネじゃ、」
違いすぎる。
キレイな蜂蜜色の髪も、すみれ色の澄んだ瞳も、ミルクみたいになめらかな肌も、全部全部、私とは違う。
あまりにも現実離れした嘘だったので、あたしはそれを本当だなんてちっとも思えなかった。本当である可能性なんて、万に一つもないけれど。
「そう、だよ。全部、嘘」
でもメローネの震える手が、あたしのそばかすの浮いた頬を包んだ瞬間、また一つ間違えてしまった気がした。
「嘘だから」
いつも通り、眉も潜められてないし瞳は綺麗なアーモンド型のまま、頬だってひきつってないし――それでもそれは、今まで見た表情の中で、一等悲しそうな顔だ。
そんなメローネを見るたびに、あたしはオコガマシクも、守ってあげたいなと思った。
そんな日常とやらもあっけなく崩れるもので、思えばうまくいっていた方がおかしい。
あたしの中で一つ解けるたび、現実では一つ問題が増えていた。そんなかんじだったんだろう。
いつものように、いつもの場所で、その時は果物ナイフと人体の解剖図を使って、いつものようにメローネに新しいことを教えてもらっていた。
いつもと違ったのは、今日は珍しく父さんが起きていたこと、それくらいだった。
それが問題だった。
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