中編
トワイライト・ラン

 簡潔に説明してしまえばほんの一行。
 命よりも今度の人生が惜しい地上げ屋は、二度目の『かくれんぼ』であっさり全てを吐きました。おしまい。
 結局、ナマエはあの男に報復らしい報復はせず、情報を手に入れたらすぐに席から立ち上がった。

「ハラヘッタゼーミスターミスター」

「ワーン! ミスター! コイツガオレヲカジルンダーッ! シカッテクレヨー!」

「ミスタ!」

「へいへい……ったくよォ、お前が遅れてくるからだぜ? 予定だったらもう終わって、飯も食い終わってる時間だっつーのによォ」

 スタンド『セックス・ピストルズ』にせっつかれながら階段を下るミスタは、――男の事務所は四階建てのビルの最上階にあった。――仕事を終えた開放感に体を伸ばす。
 しかしいつもなら打てば響くように返ってきた暴言が、今回はミスタに飛んでこなかった。
 ナマエは、汚れた手を壁になすりつけながら三四段先を進んでいた。彼はまるで上の空で、「おい、聞いてんのか?」という問いかけにようやく足を止め、振り返る。

「聞いてます聞いてます。でもナマエ、ぐるぐる階段を下りてたら目が回っちゃったァ。先に帰らせてもらいますね〜。もう今日のお仕事は終わりですもんね」

 先ほどの黒いキメラが、少年の体に巻きついた。『ハイド・アンド・シーク』。この名前はナマエが四歳の頃に飼っていた金魚と黒猫からとってつけられた。

「先に、って。おい、ナマエ!」

「本当に便利ですよねェ。スタンドって」

 彼はこの力を手に入れた時ほど、喜びと狂気に体を支配されたことはない。母を失ったその日から、ナマエは強さを求めた。最後まで美しく誇り高かった彼女のように、ファンデーションと口紅を鎧に、黒々としたアイラインと睫毛と武器とすることに決めた。
 もう隠れて泣くだけの子供は嫌だった。
 もう泣かなくてもすむ強さを、手に入れたはずだった。

「それで帰れるんなら、来る時もスタンドを使えばよかったじゃあねえか」

「わかってないなァ〜。グイードさんの助手席に座る口実に決まってるじゃあないですか。恥ずかしいこと、言わせないで下さい」

 きゃっと口元を両手で隠して、ナマエはまた階段を下り始める。

「まぁ、乗ってみたらやっぱりグイードさんはグイードさん程度か、って感じだったんで……」

 顔の前で両手の指を交差に絡ませた媚態を示して、

「おつかれさまでした〜ン」

 少年は音もなく姿を消した。
 舌打ちの音が、フロアに反響する。

「ミスタァ?」

 5はふよふよと空を泳ぎ、本体であるミスタの顔をのぞきこんだ。珍しく、彼は迷っているように眉を曇らせている。

「なんでもねーよ」

 そう言って、ミスタは大きく息を吸い込んだ。

「ナマエーーーーーーッ! ナマエちゃぁああん! 帰りますよーーーッ!」

 自分でも何をしているのか分からない。彼は理由を探しながら、もう一度声を張り上げる。
 近くにいるという確証もないのに、ミスタは名前を呼び続け、建物の外を目指した。
 なぜか、今にも泣き出しそうな顔で軽口を叩いた部下を、一人で家に戻らせてはいけないような気がしたのだ。

「ナマエ」

 ミスタはギャングだ。少年の過去はうっすらとしか分からなかったが、それでも並大抵の悲惨な過去を持つ人間、胸くその悪い事件は知っているし見てきた。ではどうして、ナマエにだけ妙な愛着を覚えてしまったのか。
 「お節介は俺の役目じゃあねえんだけど……でもよー、あいつ、カウントする時『4』を抜いてたんだよなァ……」と誰にいうでもなく独り言ちて、帽子の上から頭を掻いた。

 利用価値のある人材だから、今潰れられてしまうと困る。と言うのは、勿論あった。
 ミスタの望みや生き方はとてもシンプルで、それだけに少しばかりドライなところがある。自分の得にならないことは極力したくない。人として当然の考えだろう。

「いるんだろ?」

 それでも、今回ばかりは損得勘定だけで動いているわけではなかった。
 手が、届くのだ。ナマエはまだ成長過程にある。今止めることが出来れば、彼は一人暗いところに向かう必要がなくなるかもしれない。

「ナマエ」

 そんな思いが、ミスタに少年の名前を呼ばせた。
 眩しい西日が目を刺す。ようやく階段を下り終えるのと殆ど同時に、道をヒールが叩く音がする。

「……恥ずかしいから、そのマヌケな声、やめてもらってもいいですか」

 いつもの甘えるような声や神経を逆撫でするときの声とは違う、なにかを抑えているような声。ナマエが、傾いた太陽を背に立っていた。

「さっさと返事しねーお前が悪い。ほら、帰るぞ」

「だから、もう送ってもらわなくていいって言ってるじゃあないですか」

「家まで何回その『瞬間移動もどき』の世話になるつもりだ」

「なんのこと?」

「そう遠くまでは行けないんだろ。じゃあなきゃ、拳銃を道の上に放り出す必要はねえ」

 アジトに届けてくれたら助かっただけどな。そう言って足元に転がるベレッタを拾い上げ、ミスタは弾を抜き取った。ただの習慣がさせたことだ。

「お優しいですねーッ。どうしたんですかァ? もしかして、やっぱりぼくに惚れちゃいました? ダメですよ。ぼくはグイードさんと違ってそっちのケは――」

 相変わらず、わざと人を苛立たせる言葉選び。今朝までのミスタならば怒鳴り声の一つでもくれてやったが、今ではそんな気になれない。
 変質した雰囲気にナマエは訝しげに眉を寄せた。
 ミスタは怒声の代わりに、先ほどまで中にいた建物を見上げる。

「ジャポーネのマフィアはよォ、なんか新品のくせに汚れた石けんみてーなビルで働いてるんだよな〜」

「は?」

 脈絡ない言葉に目を丸くするナマエを置き去りにして、ミスタは目の前に止めていたプントカブリに乗り込んだ。

「灰色で四角くてなんか色々書いてある。分かりやすいよなァ」

 その間も口は閉じない。

「なにが、言いたいんですか」

「別に。こないだ見たからよォ、フーゴに借りたAVで」

「まじかよ」

「答えは本人に聞いてみろよ。あと話し方、ソッチの方がいいと思うぜ」

 「えっと……」と、流れるように続いていた会話がナマエで止まる。彼は頭に手をやって、恐る恐る、恐ろしい予想を口にした

「……もしかしてだけど、あんたそれで慰めてるつもりか?」

 ミスタの慰め。
 それはナマエにとってケーキに鉛弾をぶち込んだような違和感だった。

「はやく乗れ。じゃあねえと、轢いちまうぞ」

 けれど肝心の彼の表情は、そっぽを向いてしまっていて分からない。

「――ヘッタクソ!」

 その何もかもが、腹と胸にむず痒い。妙な熱を開放するように大声を上げて、ナマエは来た時と同じように助手席に飛び乗った。
 その笑顔は、なにが解決したわけでもないのにどこか晴れやかだった。ミスタにはなにか説く気もなかったし、そもそも解くべき問題もない。

「うっせーよ、やっぱり降りろやテメー」

 結局、この手のことは心持ち一つでどうにかなってしまうものだ。

「しょうがないから、名誉ある運転手にミスタを任命してやるよ」

「あ、その生意気な口のきき方は変わんねーのね」

 こうして黄色い車は、少しだけ和解をした二人をのせて、朱色に染まり始めたイタリアの街を走っていった。

「今回の借りは、いつか返すんで」

「期待しねえで待ってるよ」

 太陽は何度でも浮かび上がる。


Fin.
(連載期間2013/9/2~9/30)
 
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