中編
ヴィブラツォーネ

「あああああああああいってええええええええッ! ふざけるなよ! お前ッ! 俺をこんな目にあわせてただで済むと思ってんのかあッ!」

「やだ、手ぇベトベトォ」

「俺の服で拭うなアホ」

 異様な光景だ。
 痛みと怒りに声を張り上げる男、誰もいないソファに食い込む弾丸と消えたターゲットに目を見開くボディーガード達、それからそんな状況をも気にもしないでじゃれ合う青年と少年。「便利なスタンドだよなァ」と褒めるでもなく言ったミスタに、ナマエは得意気に眉を上げた。
 ボディガード達は職務を忘れ、妖怪や化物を見るような目で二人を見ていた。その中で真っ先に我を取り返した黒服の一人が、照準を再び二人に定める。

 ――イーーヤッハーーッ!

 銃声と同時に、甲高い声が上がった。それが聞こえたのはミスタとナマエだけ、額に穴が開いたのは、何故か銃を握っていた彼。
 「便利なスタンドですよねェ」と混ぜっ返すナマエに、ミスタは面白くなさそうに唇を横一文字に結んだ。
 倒れこむ男の体。周りの黒服は騒然とし、何人かが慌てふためいて出口へと駆けた。再びの銃声。

「うるさい、黙れッ! 捨て駒が死のうが生きようがどうでもいい! お前だ、おい女! お前の名はなんて言うんだ! 一族郎党、生まれてきたことを後悔させてやる!」

 叫ぶのは腎臓をなくした男。打ったのも彼。敵前逃亡は死刑だなんて、一体いまは何時代だ。セリフも随分と時代がかっているね、と笑ったナマエを、男はきつく睨みつける。その目には正気は欠片もなく、随分と脆いのだなとミスタは思った。
 けれどごちゃごちゃとまとまりをなくしたこの場所で、平静を保っているのは奇妙な世界に足を踏み入れたものだけ。

「一族郎党……なんかよォ、お前って砂糖とスパイスと犬のしっぽで出来てるんじゃあねえのかって思うわ」

 文字通り全く別の世界を生きている。
 それにしても、見るからに男臭いミスタが投げた"Mamma Oca"マザーグース混じりの皮肉を、どう見ても少女趣味な少女にしか見えないナマエが「なんですかそれ?」と理解出来ない様子で首をかしげるというのは、人は見かけによらないという言葉を体現しているようだった。

「……え〜〜ッ」

 不満そうに、ミスタは口を横に広げる。
 「本とか、見ないですもん」と膨らませられたナマエの頬肉を、鉛弾が掠め取った。

「い゛ッ――!」

 痛いよりも熱い。さすがのそれには少年の顔にも苦悶の皺がよる。柔らかい肉の裂け目。額と背筋に嫌な汗が浮かんだ。

「聞いて、いるのか」

 白いスーツの男が唸る。

「……ッはいはい! 名前でしたっけェ? 私名はナマエ、姓をミョウジと申すものでございますですゥ。生まれはミラノ、踊り子だった母や本物のエトワール、父はどこの誰とも知れません。今や流れ流れてこの若きミソラでギャングに身をやつしております。悲劇と思われますなら、どうぞ暖かい拍手を」

 一瞬頬を引き攣らせたがそれが辛かったらか平静を取り戻したからなのか、すぐにナマエの表情は薄い微笑みに変わった。劇の口上のようにまくし立てる彼の言葉を、地上げ屋は殆ど聞き流していた。

「ミョウジ……だと?」

 けれどたった一つ、ナマエのファミリーネームを聞いた瞬間だけ、男の顔には薄暗く下卑た笑みが滲んでいた。瞳に鈍い理性の光が灯る。

「そう。一族? そんなもん是非見つけて欲しいものですね〜。見つけたところで肉親の絆だとかそういうものは一切ないし、ぼくには知ったこっちゃないけど。徒労ですよ徒労」

 よくもまあ舌が回る。傷口は文字通りもう一つの口なのかではないのかと、ミスタは腰に刺した銃に手を掛ける黒服たちを威嚇し続ける。あちらさんも出方を伺っているのだろう。与し易い『交渉役』ならば無血で――地上げ屋にとって都合のいい条約を結んで――お帰り願う。もしも牙を向くなら、殺してしまっても構わない。大方、そんな風に説明を受けているはずだ。今彼らが動けないのは、その牙が想像よりも鋭利で、得体の知れないものであるから。指示待ちに徹するこいつらは、もう問題じゃあない。
 ミスタがそんな風に考えていると、白スーツの男は気でも触れたのか、再びあの馬鹿笑いをはじめた。

「ミョウジ、ミョウジ……そうか、お前、あの女の子供か」

 血の気の引いた手を伸ばして言う。

「マンマの、敵討ってやつかァ?」

 ナマエの表情は変わらない。

「なに、言ってるの? 今どきそんなドロ臭いことするわけないじゃあないですかァ。グーゼンですよグーゼン! ……それよりも、あんたみたいなクズが、陥れた相手の名前を覚えている事のほうがナマエ、びっくりィ」

「色々、『世話』になったからなァ。いい女だったぜ、ナマエちゃんのマンマは。にしても、あいつに娘なんていたのか? 俺が知ってるのは、薄気味悪ィガキだ、け――」

 言葉を遮る、再びの銃声。
 慣れない銃撃の反動と怒りに肩を震わせて、ナマエは男の瞳を睨みつける。脳が燃えるように熱くなる。
 制止するミスタの声も無視して、もう一度少年は地上げ屋の太腿を撃ちぬいた。

「殺すのか?「黙れよ」いいだろう、それで済むと思うんならな。「黙れ」俺についてる「だまれ」あの人は、何をされても「だまれ」そう怒りはしねェ。だけどよォ、「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ」自分のものが勝手に奪われるのは酷く嫌うんだぜ!」

「……知るか、ンなもん」

 次の狙いは、その頭だ。
 低い声は、決して少女のものではありえない。
 音のないリロード。引き金にかかる指先は、まるで砂糖菓子だというのに。
 灯る殺意が弾丸になる。

「あんまりにも弱っちいんでなめちまったな。俺の判断ミスだ、悪かった」

 ――瞬間、ナマエの両目は立ち上がったミスタの片手に覆われた。
 野生動物を諌めるような、耳元に囁きかける声。

「でも今ここでこいつを殺っちまうのは、簡単だがちっとばかしまずい。俺たちはまだ足場を固めている途中だ。……ここからはお前にかかってる。どうしたい? ちゃんと情報が手に入れられたら、」

 早鐘を打つ少年の心臓が、息を止めていった。

「『あれ』はお前にやる。いいな、ナマエ」

 ぽんと肩を叩かれると同時に、目隠しが外される。怒り狂う少年は愛らしい少女に戻った。
 スカートをはたいて、お茶会に挑む令嬢のように淑やかにソファにつく。
 本当に血生臭いのは、ここからだ。
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