中編
il secondo capitolo


 「あ、テメェこの間の!」でも、「またあいましたね」でもない第一声。

「豆腐と納豆ってよォ! どう考えても逆だよな!!」

 昨日と同じ本屋の、昨日と同じ棚。予約をしていた資料を再び受け取りにいった私と……この人は今日も絵本を持っている。今日持っているのは、ジャポーネを題材にした絵本だ。
 連れの男性はたしか、彼のことをギアッチョと呼んでいた。

「豆が腐ったのが納豆だろ!? 箱に納めてつくんのが豆腐だろ!? 自分の国の文化だっつーのに間違えてんのか!? この国の人間の脳味噌には酵母でもわいてのンのかァ〜〜〜ッ!」

「逆になったという説の場合、豆腐も納豆も中国から伝わったものよ。諸説色々あるけれど、聞きたい?」

「納得できる理由か?」

「……ええ」

 納得できる、というのはどういうことだろう。説としてあるわけだから説得力はあるものだろう。辞書上での『納得』という言葉は理解できても。実感としての納得というのは、やはり私にはわからない。

「じゃあいいや」

 そしてまた繰り返される質疑応答。
 彼の原動力を言葉に当てはめるのなら、好奇心。それとも、やり場のない憤りか。

「――っつーことはよォ」

「お母さん! これが買ってー! これが欲しいの」

 漫然と会話を続けていると、外から走ってきたこどもが、ギアッチョの手にする本に手を伸ばした。こどもの小さなてのひらがそれに重なろうとする瞬間、母親は制止するようにこどもの名前を呼ぶ。

「泣いてでも、母ちゃんに買ってもらいな」 

 しかしギアッチョは怒るでも笑うでもなく、仏頂面のまま、その絵本をこどもに押し付けた。
 何度もグラッツェを繰り返す母親と、目がなくなるほど笑顔になるこども。ギアッチョは二人がここを離れるまで、しばらくその後姿をながめていた。 

「……あ゛? なんの話してたんだっけか?」

「それは――あ」 

「なんだ、用事でもあったか?」

「いえ。この話がまだ続くようだったら、お茶でもどうかしら」

 久しくこんな長い会話をしていなかったからか、どうにも喉の調子がよくない。声がでにくい。つまり水分が必要だ。
 ギアッチョはこの間のように何度か目をぱちぱちとさせて、「これだけ買ってきてちまうから待ってろ」とレジスターへ向かっていった。私は店の外で、彼を待つことにした。吐く息が、色を持つ。

「待たせたな。にしたってよォ、わざわざ外で待つこともねェだろ。寒いのが好きなのか? それともただの馬鹿か? 嫌味だったらフザケてんのかテメー」

 ひとつの出来事によくもまあこんなにぽんぽんと言葉がでるものだ。私がしばし黙って見返していると、彼は目をすくめて頭をかいた。そして「クソッ!」と吐き捨てて、まっすぐと道を行く。

「ご注文は」

 本屋の向かいにあるカフェに入ると、すぐさま店員がやってきた。白いシャツにはのりがきいていて、紙みたいだなと思う。
 ここでも彼は、唸るように声を上げる。

「まだ決まってねェよ! この店はリスタを見る暇もくれねェのかッ!」
「オレンジジュースを」

 リスタを開いたまま固まるギアッチョ。
 続けて、とてのひらで促せば、「寒くねェ?」と呟いた。
 そして――それから何日か、なぜか彼と出会った書店への用が増えた。しかもなぜか、いつ行っても彼は同じ棚の前で、やはり私のかいた絵本を手にしていた。不思議なこともあるものだ。

「今日は何を殺したの?」

「ハァッ!?」

「……ジョークなのだけれど、わかりにくかったかしら」

 今日はシャーベットブルーのチョコレートの本。彼の髪の色と、少しだけ似ている。
 それにしてもコミュニケーションは難しい。

「わかんねェよ! 脈絡がなさすぎんだろうが! こちとら商売がバレたのかって気が気じゃなかったぜ!」

「つまりアサシーノなの?」

「ジョ、ジョークだよッ!!」

「そう」

 寝て起きてかいて、時々思い出したようになにかを食べて。そんな毎日に追加された出来事。本屋に行って少しだけ資料を探して、一冊づつ絵本を買っていくギアッチョとカフェへ行く。
 彼と出会うことが、朝起きたら歯を磨くのと同じ日常になっていった。
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