短編置き場


全てがあなたの為の色


 星晶獣の餌になるしかない『私』に『肉』を与えてくださった御身の名前は――。


 量産される同一体の中から、なんの気まぐれか彼の方は『私』に名前と役目をくださいました。
 名前は『ナマエ』、役目は『暇つぶし』。
 例え気まぐれでも暇つぶしでも、『私』には彼の方が見たこともない神様のように思えました。

 『私』たちを作ったのはルシフェル様あるいはルシファー様でしたが、『僕』を作ってくれたのは、紛れもなく彼の方、ベリアル様だったのです。

 「としてもまあ、お題目は必要だろうな。そう、だな」とベリアル様は長くしなやかな指先で『僕』のおとがいをなぞりました。
 そうして「『貞節』を司る天司、ナマエ。『狡知』の玩具としては悪くないだろ?」と何ものよりも美しく微笑んだのです。

 はじめて彼の方と出会った時から、もうどれほどの時間が経つのでしょう。それでも僕は、あの時の、花さえ手折ったことのないような笑みより、美しいものを見たことがありません。





 ベリアル様は空に腰を掛け、長い足を持て余したように組んでいます。それから、美しい顔を躊躇いなく歪めて大きなあくび。

「退屈、だなァ」

 それでも吐息には笑みが混じっています。僕の大事なお方は、愉快でなくても笑うのです。

「無事に作戦が成功したのに、ですか?」

 見下ろした先には、目を覆いたくなるような惨状が広がっています。島全体が、まるで一つの生き物のように醜く蠢いて、うねり、悲鳴を、咆哮を、嬌声をあげています。この世のどこかにあるという魂の坩堝というのはこういうものなのではないでしょうか。
 島の人々は思う様悪徳に耽り、殺し殺され、犯し犯され――畜生以下の振る舞いを、彼らは自分の意志で行っています。

「だってもう終わっちまったしな」

 ベリアル様は、ただ一つの石を投げただけ。
 人間というのは、たったそれだけのことで欲望に負けてしまうのです。それはきっと、天司と呼ばれていた僕も同じことなのでしょう。

 ――下で大きな炎が上がりました。緑の多い島はどんどんと火の海となり、僕らのいる空にも強い風が吹きます。

「なぁ、ナマエ」

 ベリアル様はちらりとも島の様子を目にかけません。ただ風になびく前髪を煩わしそうにかき上げ、さらなる天を仰ぎました。
 追従して見上げれば、まるでこの世界では不幸なことなんて何一つ起きていないような、そんな風に錯覚するほど鮮やかで抜けるような青空です。

「どうして、空は蒼いんだろうな」

 脈絡のない話題。
 ベリアル様には珍しいことです。彼はまるで息をするように嘘をつき、毒にしかならない甘言を囁きます。まるでそうしなければ、生きていても仕方がないというように。
 ベリアル様は、意味のないことを話しません。

「あなたの瞳が、一等映えるように」

 しかし質問にどんな意味があろうとも、『僕』の答えは決まっています。
 空が蒼いのは、ベリアル様の朱色の瞳が美しく見えるように。海が碧いのも、木々が深い緑を湛えるのも同じこと。全てが全て、ベリアル様のために作られたかのような世界。

 僕がそう言うと、ベリアル様は珍しくこちらをじっと見て目を見開きました。やはり、空にはこの人の瞳が最も似つかわしい。

「ナマエ」

 噴き出すように『僕』の名前をなぞって、それから面白くて仕方がないといった様子で腹を抱えて笑いました。
 その笑顔の理由もわかりませんが、僕の役目は今もこれからも、ベリアル様の『暇つぶし』、ただそれだけです。なれば喜びこそすれ、悲しむなんてお門違いです。それどころか腹が立つなんて!

 それでも、僕はなんとなく胸のうちに不満を抱いてしまいました。
 彼の方に、なにか期待する事。それほどおこがましく、無意味なことはありません。
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