短編置き場


サラダ

 人がものを食べる姿というのは官能的だ。
 出来ることならゆっくりと食べて欲しい。どちらも噛み締められる。


 今日も、彼好みの味わい深い客人がやってくる。

 チーク材のドアに取り付けたベルが、密やかに鳴った。その日の客人は、変わったデザインの帽子を被った黒髪の女だった。どこか卑屈そうな視線を隠して、優雅を気取って腕を組んでいる。
 いきなりのことに驚いているのか、指先が怯えるようにリズムを取っていた。

「いらっしゃい、お前の為に席を空けといたんだぜ」
「あー、えっとォ……あたし達、どこかで会ったことあるかしら?」

 それでも気丈に、高飛車に鼻先で笑ってみせる女――グェスを、人の良さそうな笑みを浮かべて見つめるナマエ。彼はいつもの様に椅子を引いて、背もたれに手を掛けながら小首を傾げた。

「いいや、初対面だ。問題あるか?」
「……いいわ。それにしても、こんなところにレストランなんかあったのね」

 グェスはゆっくりと示された席に近付いて、まじまじとナマエの顔を眺める。数秒そうしてから、勢い良く椅子に腰を下ろした。舐められてはたまらないと言ったような態度だ。
 ナマエがグェスの座った椅子の後ろに立ったまま、「ようこそ、レストラン『カドリール』へ」とメニューに手を伸ばせば、

「いつまでもあたしにひっつくな」

 喉元に、ピタリとナイフが突きつけられる。
 (まるで手負いの獣のような神経の尖りっぷりだな)とナマエは思った。警戒している人間というのは、不思議と野生動物に似る。
 料理人は刃物に慣れているものだ。慌てるでもなく女の手からナイフを優しく抜き取ると、代わりのシルバーをと背を向けた。それから「食事用のナイフは先が丸い。フォークの方が、まだ脅しになるぜ」と小さく笑う。グェスは不快そうに眉根を寄せた。

「さァ、お前は何が食いたい?」

 戻ってきたナマエは客商売と思えないような粗雑な口調でそう言い、三つ折のメニューをグェスの前に置く。今度はきちんとテーブルの横に立って、だ。
 グェスはもう一度品定めするようにナマエを見上げ、それからメニューを開いた。彼女の目に飛び込むのは、美しいモスグリーンのインクで綴られた、出来の悪い詩。もとい、品書き。

「あっ、あ〜〜……」

 グェスは首をぐるぐると回し、店の天井を仰ぐ。次に頭を下げたかと思えば眉間を指で抑え、唇をぐねと曲げた。
 「やっぱり、あたし帰る」と深くため息をつくのと、立ち上がるのが同時。
 メニューに書かれていた文は、いつだって同じだ。

「そんなに気に食わないか? 『形なきものに形を。香りなきものに香りを。味なきものに味を。全てのものを食材に』 。我ながら名文だと思うんだけどよォ」
「キ印の作った料理なんか、気に食うわけないだろうが」
「どこのキさ」
「キ××イとキザ野郎。どっちも、気色が悪い」
「なるほど」

 扉へ足音高らか、走るように向かうグェスの横を、ナマエは呑気な顔で着いて行く。
 それもそのはず、歩けど走れど、扉は一向に近付いてこない。
 一分経つか経たないかのうちに、グェスの我慢は限界を超えた。並走する男の襟首をぐいと掴み上げて、睨みつける。

「てめェッ! あたしに! なにを! した!」

 唾が顔に飛ぶほどの剣幕に、ナマエは眉を下げ、降参するように諸手を上げる。それでも唇は柔らかく弧を描いていて――笑っていなければ蛇に似ているが、笑ってさえいれば――ナマエをどこまでも善良な人間に見せた。

「俺はただ、お前に料理を食って欲しいだけだぜ」

 グェスは殴ってやろうかと拳を固め、そしてふと最近手に入れた自分の能力を思い出す。こいつを小さくして『友だち』にしてやったら随分気分が晴れるだろう。そう考えたものの、どうやってもあの奇妙な生き物は現れてこない。

「……なにもしないって」

 睨みつけるアーモンドアイに動揺が走ったのを見て、ナマエはつとめて優しい声を出した。
 グェスの耳がぴくりと動く。同時に掴んでいた服を離して、代わりに男の胸を手で強く突いた。

「そんなに、あたしにあんたの料理を食べてほしいの?」
「ああ」
「ふ、うん……」

 グェスはナマエの真剣な瞳を一瞬半眼で眺めて、「いいわ。しょうがないから食べてアゲル」とさっきまでの表情が嘘のような満面の笑みを浮かべた。椅子に戻る足取りも、どこか機嫌が良さげに弾んでいる。
 今度はナマエの困惑する番だった。

「女っていうのは、本当によくわからねェ」

 しかし振り回されるのも満更ではないようで、ようやく座ってくれた客人を見る目はどこまでも柔らかい。

「で、何が食いたいんだって」

 「なんでも、って言ったわね?」というグェスの言葉に頷けば、彼女は『友情』が食べてみたいと言った。
 それはとても甘いものだろうと、グェスは確信していたからだ。

「『友情』、『友情』ね。OK、OK。あ、これはサービスだ」

 ナマエは軽く請け負うと、レモン水入りのグラスを置いてキッチンへと戻っていった。その背に、「気に入らなかったら代金は払わねえぞ」という鋭い叱責が届く。

「はーいはい」

 ひらひらと手を振る料理人は特に気負うでもなく蛇口をひねった。
 グェスはこちらの様子がナマエには見えないことを確認してから、キョロキョロと辺りを落ち着きなく見渡す。目線の高さに不審なものは見つけられなかったが、何気なく目線を下に下げると「ぎゃぁっ!」と悲鳴が口をつく。
 慌ててナマエがキッチンからやってくる。

「どうした!」

 震えるグェスが指差した先には、奇妙な小さな生き物。ガラクタをかき集めて作ったような小人が、キキキと声を上げていた。手にはなにやら野菜を持っている。

「……ああ、ウミガメモドキか」

 ほっと息をついたナマエは、なんでもないようにその不気味な小人を抱き上げる。それから目を白黒させるグェスに、「食材を調達してくれるーーぅ、なんて言ったらいいんだろうな。ここの従業員だ」と説明をした。
 まだ息の落ち着かないグェスはグラスの中身を一気に飲み干して、「ンなケッタイな従業員がいるか! そんなもんが調達してきた飯なんか食えるかよ!」と怒鳴り散らす。そんなもん扱いされた小人、ウミガメモドキは抗議をするようにキーキー言いながら歯を剥いた。それがますます不気味で、グェスの肌はぞっと泡立つ。

「まいったね」

 ナマエは折角解決した問題が再び訪れたことに、頭を抱える。

「ここに来れたってことは、お前もスタンド使いなんだろ? いちいち人の精神体にケチをつけるもんじゃあねえよ」
「スタンド?」
「おいおい、これじゃあこの前と逆だなまったく。とにかく、味にも安全にも保証するから大人しく待っとけ!」

 いいな、と唇を尖らせ、ナマエはウミガメモドキを抱いたままキッチンに再び引っ込んでいった。
 「あたしに命令するんじゃあねえ!」とグェスは声を張り上げたが、席を立つことはしない。ただ空になったグラスに歯を立てるだけだ。

「不味かったら……そうだ、ぶん殴って口にグラスを突っ込んでもう一回ぶん殴って……」

 (ああ、でもやり返されたらどうしよう)。グェスはスタンド能力を手に入れる前よりも自分が無力になった気がしていた。一度手に入れた武器を奪われてしまうというのは、なんと心許ないことか。
 そんな彼女の気持ちを察してか、これ以上グェスの不安が膨らんでしまう前にと急いで料理を仕上げにかかった。

「おまちどうさま」

 数分もしないうちに、色鮮やかなサラダがオリーブグリーンのボウルに入れられて運ばれてくる。
 どの野菜も新鮮そのもので、照明の光を受けてピカピカと輝いていた。ドレッシングは半透明の淡いオレンジ色。
 しかしグェスは、ボウルに入った数種類の野菜にどれ一つ見知ったものがないことをまず驚く。しばし訝しげな表情で、ナマエの次の言葉を待った。

「きず菜のフレンドシップサラダだ。召し上がれ、ってな」

 けれど説明を聞いても、ますます顔が渋くなるだけ。

「絆?」
「いいや、きず菜」
「……帰ってもいい?」

 くだらない掛詞に、グェスの口からは深いため息が落ちた。

「また店内デートするか?」
「食べるわよ、食べればいいんでしょ」

 フォークが野菜に突き刺さると、パリと音が立つ。(確かに、美味しそうではあるのよね)。グェスは恐る恐る口を開いて――、「……ジロジロ見るな」と手を止めた。

「ちぇ」

 拗ねたような声と共に視線が外され、ようやくフォークは運搬の役目を果たす。
 まずはドレッシングの味が口いっぱいに広がった。酸味と香りづけのハーブ、塩辛さと、ほんのりと舌を舐める上質な油の甘さ。歯を立てればシャクリと程よい歯ごたえの野菜がドレッシングと混ざって、次の一口が待ち遠しくなる。

「おいひ――」

 しかしもう一度の咀嚼で、口の中は一気に混沌と化す。野菜の味に代わりはないのだが、ドレッシングが酷い。なんというかやけに甘じょっぱいのだ。それでもしばらく噛んでいると、どんどん上顎にへばりつくような甘さは増していった。更には生臭さまで感じるようになってくる。

「……ッ」

 飲み込んでしまっても、言葉も出ない。
 無理やり嚥下したせいで、グェスの目には涙が浮かんでいる。いつの間にか視線を向けていたナマエをグェスは強く睨みつける。それから無言でテーブルに拳を叩きつけた。

「だってよォ、お前の言う『友情』ってそういうもんだろ?」

 「違うか?」とナマエは本当に不思議そうに首を傾げた。
 ナマエのスタンド『レストラン・カドリール』には三つの能力がある。

1、ナマエのテリトリー(レストラン本体)に踏み入れたものは、スタンドを一時的に失う。
2、その際、来訪者の記憶や感情の一部をナマエは知ることが出来る。
3、ウミガメモドキ(さっきの小人。)とグリフォン(もう一体いる、こちらはサイクロプスによく似ている。)が触れたものは全て食材になる。

 上二つは補助効果で、メインは三つ目だ。

「『友情』って、油みたいなもんなんだぜ。だからドレッシングがまずいなら、それがお前の考える『友情』ってこった。お前のは随分粘度が高かったから、扱いに困ったぜ」

 グェスの顔がかっと赤くなる。なにか怒鳴りつけようと口を開いたが、それもやめ、代わりに猛然とボウルの中身を口に運んだ。噛むことも満足しないで、まるで飲むようにサラダを食べ尽くす。
 一口で飲み込んでしまえばそれはただの美味なる普通のサラダだ。

「おお、いい食べっぷり」

 ナマエは嬉しそうに手を叩いていたが、グェスはなにもかも気に入らない様子で空になったボウルをテーブルに投げる。
 そして相変わらず一言も話さないまま、扉へ向かって歩く。今度はきちんと歩けば歩く分だけ、チーク材の扉は近づいてきた。

「またおいでな」

 ほっとしたのもつかの間、呑気な声がグェスの神経をばっちり逆撫でする。


To be continued
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