短編置き場


狂宴とは呼べず

 神をも狂わす氷輪と闇の帷、血に濡れた柱の男たちの瞳に狂気はない。むしろその二対の双眸には聡明さばかりが剥き出しにされており、辺りの凄惨さとは不釣り合いなほど、ただ粛々と計画は行われた。
 早々にこの場を立ち去ろうと踵に力を込め、しかし飛び立つのをやめた。――それは死への敬意か、少しの憐憫か、悔恨ではない。では、あまりに月の美しい夜だったから。
 カーズは一族の臓腑を喰らい尽くした赤の唇を曲げ、付き従う同類に浅い笑みをおくる。

「これで――この世の覇権は、既に我らが手中にあるも同然だ!」
 
 それに答え高らかに咆哮を上げたのは、赤子を腕に抱くエシディシだ。
 犇めく木々が、森に潜む生物たちが、危険信号と厳命を同時に受けたかのように轟く。彼の張りのある声は正に、地上の長と呼ぶに相応しい風格と自信に満ちていた。けれど、その様を仕様がないなと見守るカーズほどには、あと一歩威厳が足りない。
 埋まらない差を納得できるほどエシディシは老成していなかったし、かと言って無謀にも牙をむくほど臆病ではなかった。
 ただ、その付き合いの悪さに自身の厳しい眉をひょいと上げるだけ。

「吼えるなとは、言っていないだろう」

 玲瓏な響きだ。万物全てがひれ伏し崇め奉りたくなるような完璧な声。ゆうやかな口調で紡がれる言の葉は、その言葉の持つ意味以上の深みをもって、相手の耳に届く。 
 相変わらず、恐ろしい男だ――エシディシはそんな彼の傍にいられることへの優越感と劣等感を表に出さず、舌で唇を濡らした。

「分かっている。なあ、カーズ……ところで、だ」

 生き物の近付く感覚。明らかな血の匂い。それは彼らが纏っている死んだ血ではなく、未だ生きようと流れ出る赤い赤い血の香りだ。
 鍛えぬかれた鋼の肉が、争いを求めるようにひくつく。弱い生命の波動。それでも、意志が、燃えるような強い殺意が、なんとも心躍るではないか。
 ゆっくりと、しかし確実に、それはこちらに向かってくる。

「こいつは、俺がもらってもいいだろう?」

 エシディシがそう言い、カーズはなにも言わない。なにもかも分かっているような、笑みともつかない超然とした表情を浮かべているだけだ。
 エシディシは喜びに笑む。口角につられ歪んだ瞳には、先の虐殺で昂った熱が瞬時に戻ってきていた。

 しかし木立から影が現れると、影から現れた存在を見とめると、彼は目を丸くした。
 それから、体からふっと力が抜ける。

「――ナマエ」

 腹に空いた穴を抱き、見様によってはしどけなささえ感じる立ち姿。ほつれたその銀糸は細やかな星の光にさえ輝く。少女と呼ぶにも女と呼ぶにも躊躇われる『ソレ』は、エシディシの妹だった。彼は大きく舌打ちをする。
 手心を加えたつもりはなかったが、無意識の甘さが彼の腕を鈍らせたのだろう。裂かれた傷はじゅうじゅうと焼けるような音を立て、刻一刻と回復に向かっている。
 柱の一族。彼らを作り上げたなにかは、戦う術を持たないものにも平等に、強大な力を与えた。

「妹よ、生きていたのか……」

 感傷がないと言えば嘘になっただろう。
 箍はどこかおかしいが、エシディシとてただの鬼ではないのだ。出来うる限り、はやく、

「今、楽にしてやろう」

 末妹の苦しみを取り除いてやりたかった。焦がれるような痛み、それを凌駕する、憎悪と悲しみ。それから、太陽に怯えなければいけない寂寞。そんなものから、ナマエを逃がしてやりたかった。それが、彼なりの愛情だった。

 しかし、進み出る彼を手で制し、カーズは波打つ髪に夜風を絡ませながら、一歩、ナマエに近付いた。

「生きたいか?」

 語りかける口ぶりに孕む熱はない。冷然とした声は裁きを下す神のように。
 ナマエの喉からは、酸素が取り込まれないまま吐き出される。蠱惑的な曲線を描く肢体は恐怖からではない寒気に、小刻みに震えていた。頬に、唇に、生気はない。

 それでも、左右の色が異なるその瞳だけは――どんな絶望よりも、深い灼熱を湛えている。

「殺してやる」

 震える舌が誓いを掛けた。
 そして彼女は、復讐者となった。












※※※


「暇だろう」

 何故ナマエを生かしたのかというエシディシの問いかけに、カーズはなんてことのないように答えた。
 それから、「赤子を連れてきたはいいが、わたしに子を育てることなぞ出来ん。お前は慣れているかも知れないがな」と、威張るでもなく開き直るでもなく、やはりなんでもないように言うものだから、

「……そうだな」

 少なくない葛藤を乗り越えたエシディシは、同意しつつも唇を歪めるしかなかった。
 更にカーズの目は、恐ろしい男だと何度目かわからない感慨に耽らせるのに十分すぎた。濁りなく、澄み切った色をしている。

 思えばカーズという男は昔からそうだった。
 無邪気に鳥の羽根をもいだと思えば、同じ手で、同じ所作で、小さな花を愛でるのだ。
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