短編置き場


奇数拍子のジョーヴェディ

 毎週木曜日の、日付が変わる一時間前。オレはとある男のもとを尋ねる。酒の趣味も合うしジョークも通じる、顔もまあ悪くないレベルだし――ある一つの変わった性癖を除いて、なかなか気のいい仕事相手だ。
 星が眩しくもなく、それでいて暗くもなく、輪郭が蕩けそうな月が照らす春めいてきた夜。少し冷えた空気が、柄にもなく高揚した頬に心地よい。街灯の少ないレンガ通りの更に路地に入って、数メートル。看板すらなくただぽっかりと、黒と白に順々に塗り分けられた階段だけがある。そんな無愛想な店構えに似た、無愛想な店主。ナマエはいつも退屈そうに札束を勘定しては、オレが訪れると気怠そうに煙草に火を付けた。その時に竦められるピーコックグリーンの瞳が、薄暗い店の中でライターの光に鮮やかに輝く。それが何度見ても――息を呑むほどに美しいのだ。

「よォ」
「Venvenuti.プロシュート」
「いい夜だぜ。頼んでた仕事は出来てるか?」
「雨は降ってるか?」

ここまではお決まりの会話だ。ナマエは札束から目を離して、銀フレームの眼鏡を外した。土竜のように地下で暮らすこいつは、いまだ若いというのに既に老眼鏡が手放せなくなっている。あまり光を受けないせいか、こいつの瞳は宝石というより鉱物のようだ。

「次に頼みたいのがあるんだけどよォ。また同じ場所だ。出来るか兄弟フラッテロ?」

ここまでもそう変わらない。軽く肩を叩いてそう告げると、「そうか」と素っ気なく机の引き出しに目をやった。
 興味がないのなら聞いてこなければいいのに。まるでそうしなければ溺れてしまうのかと思うほど、こいつはきっちりと己のルールを守る。哲学とでも言うのだろうか。

「前金で5、終わったら残りの5、でどうだ?」
「今回の分だ」

 言葉と共に資料と、青く血管の浮く手首が晒された。
 こちらを見つめる、強い緑を帯びたベリル。口も寡黙にして、瞳さえ何も語ってはくれない。マホガニー材の机を叩く神経質そうな指だけが、やけに雄弁だ。

「ほらよ」

 絡め取られてしまう前に、ユーロ札を顔に押し付ける。今の時代に現金払いを求めるのは、こいつと肉屋の親父くらいなものだ。ベーコンを買う金額とは大分差があるやり取りに、物流に乗れと常々言い聞かせているのだが――。
 街頭に立つ花売りにでさえもカードや小切手が使えるというのに、大層な生き方をしてやがる。

「前金7、資料と一緒に3」
「おいおいッ!それはねェだろ極悪人ッ!オレとテメーは短くない付き合いだろ?それはいくら何でも冷たいんじゃあねェか〜!?」
「Grazie」
「……前金6、」
「前金6の、完了時に4。これが限界だ」
「はンッ!テメーならそう言うと思ったぜ」
「色つけとけよ」

 いけしゃあしゃあと、よくもまあ言いのけやがる。
 元より破格の値段での交渉。了承代わりに舌打ちをして、占領するものは多いながら整頓された机に腰を預ける。そして、その上でひときわ鈍く光る、緑褐色のボトルをオレは指差した。

「コレ飲ませてくれンなら、オレのスーツから足しといてやるよ」
「次は、お前には想像も出来ないようなふっかけ方をしてやろう」
「テメーんとこ、酒だけはいいの揃ってるよな。こんなんドコで仕入れてくんだよ」

 ふ、とナマエが、少しだけ目を和らげる。それはほんのちょっぴりの変化。夜明けの月のように、白目が歪んだ。

「有難く、飲みやがれ」

 ジャケットに突っ込まれたままだった左手で、危なげなくボトルを傾けるナマエ。溢れるのも気にしないで手の平でそれを受けると、外気よりも冷ややかなな水分が机と床と、オレの靴を濡らした。口に含むと、鉄の味がした。
 オレは楽しくなって喉の奥で笑い、ワインまみれのままの手で男の節くれだった薬指を撫でる。オレの知らない言語の刺青は、濡れると尚一層鮮やかに、刻まれた深さを主張した。くすぐったそうにオレの手を払う右手。光の放たない石が、人差し指に填っている。

「そのリングいいな。何の石だ?トルコ石じゃあねェよな」
「企業秘密だ」
「綺麗な碧だな」
「恐竜ディノザウロの骨だって言ってたが……どうだかな」
「骨が青いのか?」
「知ってるか?スキピオニクスは血が青いらしいぞ」
「そんなワケあるか」
「骨じゃなくて血が青いんだ」
「それを信じてるっつーなら、テメーも売った奴もイかれてんぜナマエ」
「訳も道理もない仕事をしているお前が言うのか」
「オレがイかれてるッつーのか?」
「そうかも知れないな」

 それはどっちの意味だ?
 聞かずに、オレは掌に残ったワインをべろりと舐めとる。ナマエは、黙って自分にだけグラスを出してそれにワインを注いだ。美味そうに上下する喉笛を掻っ切ってやりたくなる衝動を堪えて、オレはもう一度口を開く。
 そのまま同じように殆ど中身のない会話を繰り返してジャスト一時間、オレは店を出る。あいつの流儀に乗るわけじゃあねェが、自然とそうなっていた。

 奇妙な哲学を持つあいつの木曜日は、返事がいつも一つズれている。
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